世界遺産登録を祝う会
平成26年6月28日(土)、高崎ワシントンホテルプラザにおいて、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録された記念に、富岡製糸場世界遺産伝道師協会主催による『世界遺産登録を祝う会』が行われました。
参加者は伝道師の他、来賓、県職員を含め、総勢136名です。午後3時の開始前に全員が記念写真に納まりました。
中嶋弘副会長の「開会の辞」から始まり、主催者挨拶では近藤功会長が10年間を振り返り、次のように語りました。
「平成16年に富岡製糸場世界遺産伝道師協会が世界遺産運動を始めたころは『世界遺産などなるはずがない』とか『世界遺産は無理』などの否定的な受け止め方をする人たちがほとんどでしたが、伝道師たちはあきらめずに世界遺産的価値を語ってきました。幾多の困難を乗り越えて10年間よく頑張ってくれました。
平成19年1月23日に国内の暫定リストへ登録されたのを機に『もしかしたら世界遺産になるかもしれない』と考える人が増えていきました。
構成資産を4資産に絞り込んでからは、世界遺産としての普遍的価値をしっかり伝えられるようになり、『いつごろ世界遺産になるの?』と聞かれるようになりました。4資産に絞ることは群馬県の世界遺産を検討する学術委員会の『絶対に世界遺産を実現する』という強い思い入れからの英断だったと思います。
世界遺産運動は誰かが、どこかでやってくれるのではなく、県民一人一人が群馬の遺産を大切にする気持ちで支え、未来永劫に継承していくことが必要であり、求められていることです。
皆様の熱い声援で伝道師協会も10年間頑張り抜くことが出来ました。伝道師はこれからも遺産を後世に伝える努力をしてまいります。伝道師の皆様お疲れ様でした。世界遺産おめでとうございました。多くの方々のご支援に感謝いたします」(祝辞抜粋)
来賓の方々からの祝辞も頂戴いたしました。
笠原寛・群馬県 企画部長「私もドーハへ行って劇的な瞬間を体験しました。絹の王国・群馬を世界に発信したい……」
高木賢・財団法人 大日本蚕糸会会頭「これを機に生きた蚕糸業につなげていきたい。蚕糸業の応援をお願いいたします……」
岩井賢太郎・富岡市長「富岡の発展に努力したい。富岡が群馬にあることを知ってもらいたい……」
藤井浩・上毛新聞社 論説委員長「世界遺産になったことで多くの人が勇気づけられたと思います。絹の文化の地域づくりに手を差しのべたい……」
来場者は貴重な話に耳を傾けていました。
来賓挨拶と来賓紹介の次に、松浦利隆・県企画部 世界遺産推進課長の乾杯を賜り、和やかな雰囲気に変わっていきました。
上州島村新地八木節愛好会の「八木節」の披露で会場は華やかになり、来場者は立食パーティーで思い思いに歓談しました。各種の飲み物と、肉や魚の料理、スパゲッティ、寿司、そば、サラダ、果物などが豊富に揃えられ、好みの物を食すことが出来ました。
歓談中、数人の伝道師に活動を振り返っての感想を聞きました。
第1回伝道師養成講座の立ち上げ時に尽力した方は「講座に人が集まるかどうか心配だったが予想外に多くの方が来てくれた。国も市民も動いていなかったので不安だった。この日を迎えられて感無量です。
印象に残っていることは、『当時の小学校の教科書に殖産興業の一つとして富岡製糸場が載っていたが、錦絵で紹介されていた。現存していることを知らせると驚き、平成17年か18年ころ、写真に変えた教科書もある』と話してくれました。
高崎市の女性は「後世の人が『先人がいい仕事をしておいてくれた』と思ってくれればうれしい。世界遺産になったことを一番喜んでいるのは当時の職人さんではないかと思う」と語りました。
富岡市の女性は「フランスと日本との技術と知恵を結集した和洋折衷の価値ある建物。全部、公にするように言う人もいるがそれは出来ない。全部見せていたら保存が出来ないし守れない。良い状態で後世に引き継ぐ責任がある」と話してくれました。
会場には、会長宛てに桐生織物協同組合 理事長 須藤隆造様からの祝電も届けられました。
瞬く間に楽しい2時間は過ぎ去り、今井幹夫・富岡製糸場総合研究センター所長の締めの挨拶となりました。
行事は滞りなく終わり、中島良員副会長の閉会の辞をもって散会となりました。
(Y.N 記)