富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

「富岡製糸場と絹蚕業遺産群」世界遺産登録を祝う会・富岡製糸場世界遺産伝道師協会

2014年06月30日 19時49分22秒 | 世界遺産伝道師協会

世界遺産登録を祝う会

 

 平成26年6月28日(土)、高崎ワシントンホテルプラザにおいて、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録された記念に、富岡製糸場世界遺産伝道師協会主催による『世界遺産登録を祝う会』が行われました。

 参加者は伝道師の他、来賓、県職員を含め、総勢136名です。午後3時の開始前に全員が記念写真に納まりました。

 中嶋弘副会長の「開会の辞」から始まり、主催者挨拶では近藤功会長が10年間を振り返り、次のように語りました。

 「平成16年に富岡製糸場世界遺産伝道師協会が世界遺産運動を始めたころは『世界遺産などなるはずがない』とか『世界遺産は無理』などの否定的な受け止め方をする人たちがほとんどでしたが、伝道師たちはあきらめずに世界遺産的価値を語ってきました。幾多の困難を乗り越えて10年間よく頑張ってくれました。

 平成19年1月23日に国内の暫定リストへ登録されたのを機に『もしかしたら世界遺産になるかもしれない』と考える人が増えていきました。

 構成資産を4資産に絞り込んでからは、世界遺産としての普遍的価値をしっかり伝えられるようになり、『いつごろ世界遺産になるの?』と聞かれるようになりました。4資産に絞ることは群馬県の世界遺産を検討する学術委員会の『絶対に世界遺産を実現する』という強い思い入れからの英断だったと思います。

 世界遺産運動は誰かが、どこかでやってくれるのではなく、県民一人一人が群馬の遺産を大切にする気持ちで支え、未来永劫に継承していくことが必要であり、求められていることです。

 皆様の熱い声援で伝道師協会も10年間頑張り抜くことが出来ました。伝道師はこれからも遺産を後世に伝える努力をしてまいります。伝道師の皆様お疲れ様でした。世界遺産おめでとうございました。多くの方々のご支援に感謝いたします」(祝辞抜粋)

 

 来賓の方々からの祝辞も頂戴いたしました。

笠原寛・群馬県 企画部長「私もドーハへ行って劇的な瞬間を体験しました。絹の王国・群馬を世界に発信したい……」

高木賢・財団法人 大日本蚕糸会会頭「これを機に生きた蚕糸業につなげていきたい。蚕糸業の応援をお願いいたします……」

岩井賢太郎・富岡市長「富岡の発展に努力したい。富岡が群馬にあることを知ってもらいたい……」

藤井浩・上毛新聞社 論説委員長「世界遺産になったことで多くの人が勇気づけられたと思います。絹の文化の地域づくりに手を差しのべたい……」

 来場者は貴重な話に耳を傾けていました。

 来賓挨拶と来賓紹介の次に、松浦利隆・県企画部 世界遺産推進課長の乾杯を賜り、和やかな雰囲気に変わっていきました。

 上州島村新地八木節愛好会の「八木節」の披露で会場は華やかになり、来場者は立食パーティーで思い思いに歓談しました。各種の飲み物と、肉や魚の料理、スパゲッティ、寿司、そば、サラダ、果物などが豊富に揃えられ、好みの物を食すことが出来ました。

 

 歓談中、数人の伝道師に活動を振り返っての感想を聞きました。

 第1回伝道師養成講座の立ち上げ時に尽力した方は「講座に人が集まるかどうか心配だったが予想外に多くの方が来てくれた。国も市民も動いていなかったので不安だった。この日を迎えられて感無量です。

 印象に残っていることは、『当時の小学校の教科書に殖産興業の一つとして富岡製糸場が載っていたが、錦絵で紹介されていた。現存していることを知らせると驚き、平成17年か18年ころ、写真に変えた教科書もある』と話してくれました。

 高崎市の女性は「後世の人が『先人がいい仕事をしておいてくれた』と思ってくれればうれしい。世界遺産になったことを一番喜んでいるのは当時の職人さんではないかと思う」と語りました。

 富岡市の女性は「フランスと日本との技術と知恵を結集した和洋折衷の価値ある建物。全部、公にするように言う人もいるがそれは出来ない。全部見せていたら保存が出来ないし守れない。良い状態で後世に引き継ぐ責任がある」と話してくれました。

 

 会場には、会長宛てに桐生織物協同組合 理事長 須藤隆造様からの祝電も届けられました。

 

 瞬く間に楽しい2時間は過ぎ去り、今井幹夫・富岡製糸場総合研究センター所長の締めの挨拶となりました。

行事は滞りなく終わり、中島良員副会長の閉会の辞をもって散会となりました。

(Y.N 記)

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JR伊勢崎駅自由通路における世界遺産」「富岡製糸場と絹産業遺産群」の伝道活動(中北毛支部)

2014年06月28日 21時52分06秒 | 世界遺産伝道師協会

JR伊勢崎駅自由通路における伝道活動(中北毛支部)

6月25日(水)午後3時30分から午後7時まで、通学・通勤者等でにぎわうJR伊勢崎駅自由通路においてパネル解説とチラシ配布活動を行いました。

当日は一日中蒸し暑く大気が不安定であったことから、午後5時頃から雷を伴う激しい雨が降り続き、活動を終了した午後7時時点でも小雨がぱらぱら降っている状況でした。

今回は「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されて以降最初の活動であり、私は県民・市民の反応に大きな興味を持って活動しました。

当日の参加者は、I上さん、S澤さん、F縄さん、M井さん、K下部さん、Iの6名で、当日参加する予定のT柳さんは数日前のアクシデントにより欠席となりました。また、F縄さんは今回が初めての活動となりました。

さて、私は午後3時30分からチラシ配布を始めましたが、高校生や大学生と思われる多くの学生たちがチラシを受け取ってくれました。私は昨年の1月頃にも当場所でチラシ配布を行いましたが、当時と比べて県民・市民の反応が明らかに異なっていることを肌身で実感しました。「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されマスコミ等で頻繁に報道されたことから、県民・市民も大きな関心を寄せていることが伺われます。

しかし、チラシを受け取ってくれた高校生のなかには富岡市がどこにあるかを知らないと言っている女子高校生もいたので、私たちの活動も継続して行っていく必要を感じました。

また、南側出入口から大学生等と思われる多くの女性が頻繁に入ってくるので、チラシを勧めると大方の人が快く受け取ってくれ気持ちよく活動することができました。なかには、富岡製糸場に5回も行っていると年配者もいました。

活動が中盤に差し掛かったころに、空が急に暗くなり赤城山方向からの強風が吹いて自由通路に設置していたパネルが倒れたので、急いで北側出入口のガラス扉を閉め安全を図りました。

チラシを受け取ってくれる人が多いことから手持ちのチラシを頻繁に追加しながら、活動を行っていると終了時間の午後7時が近づいてきました。

K下部さんからは、いつものチラシ配布枚数は800部くらいであるが、今日は約1,200部も配布できたとの話がありました。

午後7時に活動を終了し全員で撤退作業にかかり、その後一同輪になって当日の活動について各自がコメントし意見交換を行いました。そして、午後7時30分頃に解散し、雨が少しパラつく中、各自が家路に着きました。

F縄さんは今回が初めての活動でしたが、パネル解説も行う等、落ち着いてしかも粛々と活動をしていたことが私には大変印象的でした。

私は伝道師活動を始めてから1年とちょっとですが、「世界資産への登録」という歴史的な時期に伝道師として活動できたことに大きな喜びを感じると共に、今後も自分のできる範囲で引き続き伝道師活動を行っていきたいと考えています。

なお、S澤さんが全員に美味しい饅頭を差し入れしてくれましたので、元気に活動することができました。S澤さんにはいつも美味しい饅頭を頂きこころから感謝を申し上げます。

また今回も活動に先立ち伊勢崎駅職員の方から冷たい飲み物の差し入れがありましたことを申し添えます。

(S.I  記)

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日本絹の里で世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の伝道活動

2014年06月27日 20時00分17秒 | 世界遺産伝道師協会

日本絹の里で伝道活動

 

6月22日(日)、紫陽花と露草が小雨に映える「日本絹の里」において伝道活動を行いました。当日の参加伝道師は佐藤(昌)の1名でした。

日本絹の里では、5月31日から7月14日まで世界文化遺産関連特別展「海を渡ったシルクとオールドノリタケ~対米輸出の軌跡~」が開催されております。その協力イベントとして、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を紹介する展示パネル解説の活動を行いました。

世界文化遺産登録決定の翌日という事もあり、日本絹の里の館内・外には登録をお祝いする幟がところ狭しと立てられており、お祭りモード全開といった様相でした。某テレビ局のオールドノリタケ紹介の撮影取材もあり、前回(20013年11月9日)の活動でお邪魔した時とは違った、華やいだ雰囲気が感じられました。「世界文化遺産登録」恐るべしです。

・・・ここで、ちょっと寄り道を・・・

今回開催されている特別展は、シルクが盛んに輸出された同時期にアメリカに輸出された陶磁器オールドノリタケを展示・紹介しているものです。オールドノリタケとは、1878年頃から1935年頃までに製造され、主にアメリカに輸出された陶磁器の総称。このオールドノリタケを生産し対米輸出した始りが森村組で、創始者の森村市左衛門が或るいきさつ(此処では割愛)によって海外貿易の大志を固め森村組を設立。以降陶磁器などの直売,製造を行い、後にオールドノリタケと呼ばれるようになる。因みにノリタケは創業地の現・名古屋市西区則武に由来。尚、ニューヨークに派遣された市左衛門の弟の森村豊は、渡米仲間の一人である新井領一郎のパートナーとして、日本製の生糸の輸入販売を行う「森村・新井商会」を設立。この新井領一郎は水沼製糸所を起こした星野長太郎の実弟。

 さて、本題に戻ります。富岡製糸場と絹産業遺産群を紹介するパネルは、展示室の出口にあります。華美で高貴な陶磁器を鑑賞し、やや昂揚気味のお客様、若しかして素通り?との心配は無用でした。「皆様のご支援のお陰で昨日、世界文化遺産に登録が決定しました。ありがとうございました」と声を掛けさせて戴くと、一様に「おめでとう!」の言葉が返ってきます。そして、ご夫婦,ご家族,仲間同士等、多くのお客様に熱心に解説を聞いて戴く事が出来ました。午後の一時期は2グループ一緒という場面もあり、嬉しい悲鳴?と相成りました。「へえーそうなんだ」、「知らない事が聞けて良かった」、「出掛ける時の参考になった」、「行ってみたくなった」等といった手応えがありました。これからも出来る限り判り易く、物語性を持った解説を心掛け所謂「語り部」としての活動を、着実に続けて行こうとの思いを新たにしました。午後3時過ぎ、赤黒い実を付けた桑の葉が、「頑張れ!」と云わんばかりにウエーブの如く風に揺れる、絹の里を後にしました。 館員の皆さん、大変お世話になりました。ありがとう御座いました。

(M.S記)

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世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産伝道師協会伝道師の喜びの声(3)

2014年06月26日 19時25分26秒 | 世界遺産伝道師協会

お世話になります。
連日お疲れ様です。

24日の世界遺産登録報告会は、コアとなった富岡製糸場だけではなく、他3か所の構
成資産も平等に取り上げたとても気持ちの良い報告会でした。

4か所全てを学習し絹産業遺産群としての歴史的価値を広める活動を続けてきたのが
私共『世界遺産伝道師協会』でした。

4か所揃ってこその世界遺産ですから、伝道師協会がやってきたことは正しかったと
の思いを新たにいたしました。

これからも世界遺産を正しく広めるために、伝道師協会の果たす役割は大変重要では
ないかと思っておりますので、楽しみながら活動を続けさせていただきたいと思って
おります。

変わらぬご指導宜しくお願い申し上げます。(S.Y)

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「富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録バンザイ」活動の経過が走馬灯のごとく思い出されます!

2014年06月25日 23時21分03秒 | 世界遺産伝道師協会

「世界遺産登録バンザイ」

 

近藤会長、伝道師の皆さん、世界遺産登録おめでとうございます。

 

21日の県民ホールのパブリックビューイングおよび24日の登録報告会での伝道師の皆さんの熱気・盛り上がりは凄かったですね。

 

10年間、暑い日も寒い日も、街頭に、駅頭に、イベント広場等々、1枚1枚チラシを配布してきた努力が実った瞬間でした。ご苦労様でした。

25日付け上毛新聞には皆さんのはじける写真が載っておりました。

大澤知事をはじめ、各首長さんがボランティアの皆さんの活動も大きな支えになったと讃えてくれました。またイベント会場で私たちに励ましの声を絶えず掛けてくれていた東毛の県議さんもブログで伝道師の活動を称賛してくれておりました。頑張ってよかったとつくづく思います。

 

ところで、第1回の養成講座は富岡市を会場に行われました。私の自宅(太田市)から65kmもあり、当時は北関東道も一部しか開通しておらず、製糸場近くの旅館に宿泊して受講しました。製糸場の門扉は閉ざされており、城町通りもひっそりとしておりました。

本当に世界遺産になれるのかなというのが第一印象でしたが、講座で清水慶一先生や松浦室長(現課長)の熱い語りに引き込まれていったのを覚えています。

 

また、県外での伝道活動の最初は2005年5月の愛知万博「群馬の日」のイベント参加からでした。前日に名古屋に行き、座繰り繰糸器やパネルなどの準備をした後、居酒屋で世界遺産への夢を語り明かしたことが昨日のようです。

ホテルで一泊(もちろん宿泊費自己負担)。翌日は万博会場での活動です。県内の八木節や郷土芸能などが披露される会場の片隅で行いました。中野伝道師が自己所有の座繰りをもってきてくれてイベントは好評でしたが、富岡については大部分の人が知らず、前橋ダメ、高崎ダメ、軽井沢の山を越えた東にあると話して、やっと理解してもらうような状況でした。地図を持って来ればよかったと思いました。ましてや製糸場については、ほとんどの人が知りませんでした。丁寧に説明して理解してもらうように努めたことが思い出されます。

このような状況は、2007年暫定リストに搭載されるまで続きました。伝道師の皆さんのそれぞれの立場での地道な活動の成果が表れ、リスト登載後は県内外において徐々に関心が高まり、今回の世界遺産登録につながったことと思います。

決定の報を聞き、活動初期のころを思い出し、記させていただきました。

≪ まー、とにかく、世界遺産登録 バンザイ ‼ ≫         (N.T記)

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群馬県庁で「富岡製糸場と絹産業遺産群」の「世界遺産登録報告会」開催される

2014年06月25日 17時15分24秒 | 世界遺産伝道師協会

「世界遺産登録報告会」開催される

 

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産の登録決定を受けて、6月24日(火)午後3時から、群馬県庁県民ホール(北側)で、カタールのドーハで開かれたユネスコ世界遺産委員会に出席した大沢正明知事が帰国し、県民の皆さまに対しての「世界遺産登録報告会」が開催されました。

 大沢知事は、登録決定の瞬間を振り返り「議長に『おめでとう』と言われ、頭が真っ白になったこと、そして世界の宝だと強く感じ、震える思いがしたことを冒頭述べられました。また、登録はゴールではなくスタートであり、大きな喜びとともに次世代に引き継ぐ責任を果たしたい、構成資産の保全管理に力を注ぐ考えを示すと同時に、群馬には養蚕・製糸・織物が存続しているので、これを『ぐんま遺産』として登録している“絹の遺産”を全国に、世界に再認識してもらい、県として一連の絹産業をしっかりと後押しして産業振興にもつなげたい。」と世界遺産委員会の報告と抱負を述べられました。

 その後、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の所在地である岩井富岡市長、五十嵐伊勢崎市長、新井藤岡市長、金井下仁田町長が、それぞれ地元としての抱負を述べられました。

そして富岡製糸場世界遺産伝道師協会近藤功会長が、関係団体の代表として挨拶に立ち、これまでに協力を頂いた諸団体に対して感謝の意を述べるとともに「伝道師協会」のこれまでの活動等の紹介と今後の活動の展開にも触れました。

 続いて、「くす玉」の開花を行い、伝道師を含めた参加者約500名が、ともにソフトドリンクで乾杯しました。

(S.N 記)

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「太田吉沢ゆりの里」で「富岡製糸場と絹産業遺産群」のPR活動

2014年06月24日 21時11分33秒 | 世界遺産伝道師協会

「太田吉沢ゆりの里」でPR活動

 

芝桜で名高い「太田市北部運動公園」の東側に、平成22年に開園した「太田吉沢ゆりの里」があります。

8万平方メートルの敷地に50種150万輪のゆりの花が咲くといわれています。東毛支部では、去年に引き続き、6月15日(日)にチラシ配りの活動をさせていただきました。時間は9時~14時、参加者は3名(N嶋弘、T井八千代、N田裕美子)です。

この日は梅雨の晴れ間で暑く、係りの方から「熱中症にならないようにしてください」と言って「自家製梅ジュース」を差し入れていただきました。

6月7日(土)に開園して間もないため、花は早咲きのオレンジ色が主流でした。7月13日(日)までの開園期間中には遅咲きの朱色、黄色、白の花が咲いていきます。

晴天のため多くの入園者に知ってもらう機会となりました。

活動後は、園内で販売している「ゆりの根天ぷら付きうどん」を食べて解散としました。

(Y.N記)

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世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」全国からお祝いと励ましの言葉をいただいています

2014年06月24日 20時39分27秒 | 世界遺産伝道師協会

世界遺産に決定したニュースに国民・群馬県民の、
皆さんが大変喜んでおられる様子が連日伝わってきます。

 世界遺産になった以上は、いかに後世へ、この素晴らしい
遺産を伝えていくか、群馬の末永い観光資源として活用していくかが、
大きな課題だろうと思います。

 むしろ、これからが、伝道師協会の一層の積極的な活動が必要であり
重要ではないかと、外野席にいる私も思っております。
 是非とも貴協会組織を堅持発展させて下さるよう
ご祈念申し上げております。

遺産決定の翌日、神奈川の地元新聞が報道した記事(1面等)を
ここに添付しました。ご参考になるかどうかは分かりませんが、
他県でもこのように県民に報道されております。
見にくいコピーですが拡大してご覧になってください。
 
 今後の益々の御活躍をご祈念申し上げます。(K.K様)
(神奈川新聞の切り抜きをいただきました。)

 

世界遺産登録おめでとうございます

待望の。長年宿願の、世界遺産が実現しさぞお喜びのことと存じます。

伝道師協会を率いての幅広いご活躍、「伝道師通信」を通じて拝見いたしておりました。いつもお送りいただき有難く感謝しておりました。

思えば、石見銀山が登録になる数年前に会員の皆様と視察にお出掛けいただいたり、登録後のフォーラムに再度お越しくださったり、最後となった伊香保でのガイドの全国大会の折には、富岡製糸場のご案内を頂いたり、と数々の誤嚥の中での朗報、わがことのように嬉しく心からお祝い申し上げます。これから忙しくなるでしょうが、少しゆったりと朗報の余韻に浸りながら健康に留意なさって、お過ごしのほど、同じ産業遺産の仲間として、念じております。取り急ぎお祝いまで。早々

石見銀山ガイドの会(S.N様)

 

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世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」お祝いキャンペーン、インモール高崎にての伝道師活動報告

2014年06月24日 20時26分23秒 | 世界遺産伝道師協会

インモール高崎にての伝道師活動報告

 

6月22日(日)当日の雰囲気を語るには、前日の歴史的瞬間の出来事を明記することの必然性を感じます。

 

2014年(平成26年)6月21日午後4時55分。世界が、日本が、群馬県が、富岡市が、伊勢崎市が、藤岡市が、下仁田町が、そして、群馬県民全員にとって大きな大きな歴史的瞬間でありました。「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、世界の至宝の仲間入りを果たした瞬間・・・・・

 

登録決定の興奮が冷めやらない、22日の高崎イオンにての伝道師活動は、長く携わってきた伝道師にとって、感極まった次第でした。1階の記念売り出し抽選会場に大勢のお客さんが列をつくり、その隣りが「富岡関連」。天井から、イオン様の「お祝い」の大きな垂れ幕が下がり、その下に、富岡製糸場、ほか3箇所のパネルとチラシ、清月堂さん提供の御菓子で作った「該当4資産の立派な作品」等で・・・雰囲気満点。

 

我々にとって、チラシを配る手応えが従来と全く異なり、御客さんの殆どが、笑顔でうけとって戴き「おめでとうございます」の声を、大勢の御客様から戴きました。外は、雨でも、中は、晴天の明るいムードが漂っておりました。かくして、あっと言う間に、午後0時30分から5時までの時間が過ぎてしまいました。改めて、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の偉大な存在に心打たれました。

6月22日の上毛新聞記事・・・・・・・

 

かけがえのない宝引き継ごう未来へ(有名人お言葉より引用)34名様。そのなかの、「技術を世界レベルに」法政大学総長、田中優子先生の御言葉。

 

「日本は古代から徐々に紬織りや生糸、絹織物の技術を向上させてきたので、近代に始まつたこではない、しかし、富岡製糸場は積み上げてきた日本のノウハウを一挙に世界レベルに引き上げ、世界商品としての価値を生みだした記念すべき産業遺産。登録は、当然のことだと思う。」

 

・・・伝道師にとって、感極まる御言葉。

 

「富岡製糸場」・・・生糸輸出し外貨獲得。 

「高山社」・・・全国に優秀な指導者。

「田島弥平旧宅」・・・通気重視し屋根に櫓。

「荒船風穴」・・・蚕種のふ化時期調整

 

改めて、再認識し、活動報告にかえさせていただきます。

                        K.N・T.I記

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世界遺産登録「富岡製糸場と絹産業遺産群」 富岡製糸場世界遺産伝道師協会伝道師の喜びの声(3)

2014年06月24日 08時29分28秒 | 世界遺産伝道師協会

いよいよ  ドーハでの審議時間が判明したようで  歓喜の万歳も間近でしょうか、楽しみです。
近藤会長や 先輩の皆様のご活動の  多くの場面が  司馬遷の『史記』のように  膨大な「巻」に  なるのでは  と  想像致します。貴重な歴史の一場面に  私も加われたことに  感謝申し上げ  心から御礼申し上げます。(H.S)

 

 おはようございます、おめでとうございます,本当に良かったと思っております
昨日は17時半位から外せない用事があり9時位までと伺っておりましたので県
庁へは伺えませんでした。シルクカントリー群馬これからが正念場と思っており
ますので出来ることをさせていただきます。(Y.Y)

 

お疲れ様でした。
富岡の地でお祝いしました。(Y.N)

 

会長、お疲れ様でした!
テレビで県知事がインタビューに答え、早くからの支援活動のおかげで・・・
と話していました。きっと伝道師協会のことを言ってくれたのだな、と思いました。
私などは偶にしか活動に参加しませんが、会長は陣頭指揮にあたり、いつも活動を牽
引していらっしゃいました。本当にお疲れ様でした。そして、ご指導ありがとうござ
いました。これからも宜しくご指導くださいますようお願いいたします。(C.I)

 

おはようございます
 世界遺産登録本当に良かった
長い間お疲れ様でした
今後もよろしくお願いしますm(._.)m(H.A)


おめでとうございます。
長年の夢が現実となりました。
会長におかれましては長い長い一日で、遅くまで群馬テレビでの解説お疲れ様でし
た。
活動が始まった当初は、「あれが世界遺産?まさか!」とか、チラシを受け取って頂
けなかったり、捨てられたチラシを拾い集めたことなどが懐かしく思い出されます。
県庁での弾ける様な喜びも感動いたしましたが、これから日増しにじわじわとこみあ
げてくる嬉しさをじっくり楽しみたいと思います。
有難うございました、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。 (S.Y)

 

おめでとうございます!
決まりましたね。
生中継みてました。(M.H)→茨城県の伝道師

 

 お疲れさまでした。これまで強いリーダーシップで牽引して頂き誠にありがとうございました。今日は、歴史的瞬間に苦楽を共にした仲間と一緒に立ち会えた事は一生の宝です。今後ともご指導下さい。伝道師 (Y.I)

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