富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

伝道活動報告(渋川山車まつりでの活動;平成28年8月13日14日)

2016年08月29日 20時25分34秒 | 世界遺産伝道師協会

伝道活動報告(渋川山車まつりでの活動;平成28年8月13日14日)

 

渋川山車まつりでの活動を報告します。

世の中は、お盆でいろいろな行事を抱えている方も多く その中で今回参加していただいた伝道師は、13日は、F縄宗一、O澤直希、I田みち子、N屋和幸の4名、14日は、N島進、K谷美千代、M下寿美江、I田みち子、N屋和幸の5名でした。

両日とも、10時に蚕糸技術センターへ集合し、1台の車での乗り合わせで現地へ向かいました。お祭りによる交通規制は、12時からで それまでは、人も少ないという話もあり、午前中は、駅前のテントで、午後は、本部テント前での活動にしました。

活動は、パンフレットの配布で、メインパンフレット、子供用パンフレット、群馬絹遺産ガイドブックの3種類の配布としました。

1日目の活動は、駅前での配布時に、駅の観光案内所の方が、来られてパンフレットがほしいと言われたので、何部かまとめてお渡ししました。また タクシーの運転手が、群馬絹遺産ガイドブックを見てこのパンフレットは「いいよね!」と言って、わざわざもう1部もらいに来ました。午前中 人の流れが少ないので、早めのお昼を取り12時過ぎに本部前に移動しました。

移動は、手分けしてパンフとのぼりを持っての結構大変な移動になりました。

さあ 本部前での活動だと思って若干張り切っていましたが、人は少なく拍子抜けの状態でした。どうもメインは、夕方からで 本来の人出はまだまだこれからということでした。

その中で F縄さんは、また 重いパンフを抱えて駅前での配布に戻ってくださいました。

それでも 15時を過ぎるころからは、お客さんも増えてきて いつものペースになってきました。

時々 本部前には、山車もきて 賑やかな囃子、笛の音が響きました。さすが“関東あばれ山車”と言われるだけあって見事な山車でした。

暑いさなかでの活動でしたが、何とか休みながら17時ころに活動を終えました。

車は、渋川市役所本庁の駐車場へ止めているのでそのあとは、皆さんには、一緒に駐車場へ歩いていただきました。

帰りの車の中では、本活動の反省にプラスアルファで、F縄さんの温泉の話、I田さんの介護の話といつも聞かれない話をお伺いすることができました。

2日目の活動は、1日目の反省も含めて、駅前からの移動の際には、午後も駅前で配布することにし、その配布用のパンフは、駅前のテントに残し、本部へ移動しました。

2日目は、人数も多く、のぼりも本部テントへ取り付けたままなので、移動は、随分と楽になりました。

駅前の残したパンフは、K谷さんとM下さんに配布をお願いしました。

人出も1日目よりは多く14時ころから増えだしました。

丁度そのころには、駅前での配布を、終えてK谷さんとM下さんも本部前での配布に合流しました。

山車も本部前には、多く集まり囃子と笛の音色は、見事なものでした。まさに 一見の価値ありというところでした。

2日目も17時ころには、活動を終了し、市役所の駐車場へ徒歩で移動し1台の車で帰りました。車中では、また 様々な情報交換をさせていただきました。

2日間とも暑い中での活動でしたが、伝道師の方たちには頑張っていただきました。

次回以降は、参加するにしても夕方2~3時間に集中してもいいのではないかという反省もありました。

また 渋川市役所の方からは、冷たい飲み物を差し入れていただきありがとうございました。

今回 活動して 渋川市内を歩く機会が多かったので感じたことは、町の中がきれいになっていることでした。

また おまつりを 町全体で楽しんでいる雰囲気がすごくよかったです。

見ている人を楽しませるというより まさに参加者全員で楽しんでいます。

参加するおまつりを体現していたのが印象的でした。

ただ 残念だったのは、タバコを吸われる方が多く、お祭りの後半は、吸い殻があちらこちらに散見したことでした。お祭りの時ぐらいは、適宜喫煙所の設置等でエチケット順守の補助も一考の価値ありということでしょうか?

最後に 本部テントへ来られていた阿久津市長へご挨拶をさせていただきました。

伝道師の皆様には、お休みの中暑い中活動に協力してくださり本当にありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。

(K.N 記)

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『絹遺産研究会リポート』 第8号

2016年08月26日 21時01分43秒 | 世界遺産伝道師協会

『絹遺産研究会リポート』 第8号

 

平成28年8月9日(火)午後1時30分より3時30分までの2時間、県庁舎10階の101会議室において、気温35度C以上の猛暑の中6名の参加により8月例会を開催しました。

今回の発表者はM田睦副会長で、「上州座繰器の歴史と伝播」と題して約1時間半パワーポイントを利用してのお話です。

『群馬県蚕糸業沿革調査』(明治35年)、『群馬県蚕糸業史』(昭和30年)、『信濃蚕糸業史』、『信濃蚕業沿革史料』(明治23年)、『在来技術改良の支えた近代化』(平成16年、松浦利隆著)、『郷土の文化財4』(岡谷蚕糸博物館発行)などの文献を丹念に読み込まれたレジメを用意していただきました。

同時に現地調査した碑文や糸繰器の写真を写しながら、「上州座繰器の歴史」については、製糸の始まり、「座繰り」の名称、奥州座繰器の呼称、上州座繰器の発生時期および松浦氏の上州座繰器発生時期の見直し説、上州座繰器周辺機器の改良、などを説明した後、上州座繰器の創始者として高橋邦吉(前橋市)、松島倉吉(前橋市)、高橋鷲次(安中市)などを、絵馬や石碑などの資料により紹介していただきました。

続いて「座繰り製糸の伝播」については、信州上田地方、信州岡谷地方、庄内地方、豊橋地方、宮城県、東京都などへの伝播の状況をそれぞれのエピソードを交えながら解説していただきました。最後に引き続き座繰り製糸器の研究を続けていきたいと結ばれ発表は終了しました。

フリートークの時間では、大昔の糸繰りは繭を口に含み唾液で溶かしながら糸を挽いていたという話になり、古代の人たちは繭を食い破って、蛹を食べていたのではないか、唾液でぬれた繭から糸が取れることを知り、口に含みながら糸繰を開始したのではないか。蛹を食べることが先で、糸をとることを後に気が付いたのではないかとの議論で盛り上がり例会は終了しました。 

(N.T記)

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2016年8月コクーンでの世界遺産活動報告

2016年08月26日 20時44分11秒 | 世界遺産伝道師協会

2016年8月コクーンでの活動報告

 8月6日(土)・7日(日)の二日間、さいたま新都心駅前の「コクーン2」3階の下りエスカレーター前のスペースで広報活動をしました。コクーン2は昨年11月以来になります。

 コクーンがあるカタクラモールは片倉工業大宮工場の跡地で、片倉学園が現在の県立大宮高校となり、初代の大宮市長は二代目社長今井五介の次男今井五六で、氷川神社の三の鳥居は今井五介が寄進、またさいたま新都心駅前に「釣り餌のマルキュウ」ビルがありますが、製糸業の盛んだった岡谷市で開業し東京千駄ヶ谷から大宮市に進出した片倉工業から“蛹”を購入し事業を行っていたということで、ここにも歴史を知ることができます。

活動内容は、パネル展示・解説、パンフレット配布、蚕種・生きた蚕・マブシ・いろいろな繭・織物の展示、繭クラフト、世界遺産クイズです。

 初日の6日は広岡誠、I上雄二、M田睦、N塚晶彦、I井玲子、S田敏子、Y村和子、M寺清江、K下部の9人と世界遺産課島田喜美主事で活動しました。9時前に全員が受付に集合、会場設営を10時前に済ませ準備完了です。

会場が3階で10時の開店当初客足は疎らでしたが、11時を過ぎる頃から生きた蚕に人が集まり始め、繭クラフトに誘導したり、世界遺産クイズに誘導したりと、多くの集客ができました。

 先日たくみの里で生きた蚕を見てきてここでまた見られてうれしいといって来てくれた親子、夏休みで大宮のおじいちゃん家から来たという八王子の小学生は学校で蚕を飼ったとのこと、大宮で生まれ育ったという女性は大宮工場の歴史を知ることができたといって喜んでくれ、蚕を手に乗せた女性が“はまりそう”といってスマホで記念撮影したり、何人ものパネル解説を聞いていただいた方から“今度見学にいきます”と言っていただき、手ごたえ一杯の一日でした。

 途中に井上健一郎支配人がお出でになりましたので今回の活動への御礼とともに今後とものご支援をお願いしました。

 浦和在住のM寺さんのお姉さんからお心づかいいただきました。

二日目の7日はN嶋弘、T比地規雄、O田三枝子、I上雄二、N塚晶彦、K林春樹、M井かつ枝、U井洋子、K下部の10人と世界遺産課岡田係長に参加いただきました。

 昨日同様持ち場を代えながら16時まで活動しました。

活動場所近くのトイレに通じる通路壁に前記の片倉の歴史と大宮との繋がりを紹介していますので、富岡製糸場と片倉、コクーンについても紹介しながら、富岡製糸場と絹産業遺産群について知っていただくことができた二日間だったと思います。

 コクーンシティ営業部高橋様、三井田仁様、上席主任宗像賢治様には大変お世話になりました。厚く御礼を申し上げます。

 各地から参加いただきました参加伝道師の皆様にはお疲れ様でした。

(K.K 記)

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現地研修会「下仁田町・南牧村の絹遺産を訪ねる」

2016年08月25日 22時11分25秒 | 世界遺産伝道師協会

現地研修会「下仁田町・南牧村の絹遺産を訪ねる」

 

7月26日(火)8時40分、20名の伝道師が富岡市生涯学習センターの駐車場から4台の車に分乗、出発しました。今回の講師は、3年前にもお世話になった西毛の地理・歴史に明るい市川肇伝道師です。

今年はまだ梅雨が明けず、出発して間もなく雨が降りだす中を荒船風穴に向かいます。

現在は、直接車で荒船風穴脇の駐車場まで行くことは禁止されているので、下仁田駅前から予約しておいた5台のタクシーに分乗して風穴を目指します。

国道254号線から左にそれて県道に入り、山道を約3.5㎞登って行くと戸数5戸の屋敷集落が現れ、間もなく荒船風穴の駐車場です。

 風穴に向かう小路もすっかり整備され、歩きやすくなっています。常駐の解説員の案内で、まず番舎跡付近から風穴全体を見渡してから1号風穴の脇の高台に上ります。小雨に煙る3連の風穴を眺めながら解説を受けます。

6年前、2号風穴上方の岩陰から縄文土器が発見され話題になりましたが、縄文人もここが世界遺産になろうとは夢にも思わなかったでしょう。

 

約35分の滞在後、タクシーで春秋館を目指します。まず西方300mの高所から遠望して、位置と全体像をつかんでから春秋館に向かいます。事務所や付帯施設が現存していますが、標識や案内板もないので、初めて訪れる人には見つけにくいことでしょう。

個人の所有で公開していないので、敷地外から外観の見学だけです。訪れる度に建物が劣化していることを実感するので、何らかの手が打たれることを切望します。

タクシーで下仁田駅前に戻り、会員の車に乗り換えて下仁田町青倉地区に向かいます。富岡製糸場の建設資材の一つ、漆喰の主材料となった石灰は、この青倉及び沢違いの栗山地区で採掘・焼成が行われたという記録があります。道の右手に石灰が露頭し、白い岩肌を見せている山を背にして市川伝道師の解説がありました。

南牧村役場近くの店の広間で昼食を摂り、順に自己紹介をしました。ユーモア交じりの発言に笑い声も起こり、参加者同士が一層親しくなった気がします。

昼食後、旧尾沢小学校を活用した南牧村民族資料館に行きました。村民が提供してくれた約4,000点にのぼる生活用具等を大変興味深く見学しました。その中に329点の「ぐんま絹遺産(南牧の養蚕・操糸・機織用具)」が含まれていて勉強になります。

次の見学は星尾風穴です。産卵台紙の収容能力は10万枚で、荒船風穴の110万枚に比べると規模はかなり小さく風穴は一つです。しかし、荒船風穴よりも一足早く明治38年1月に合資会社組織で営業を始めています。雨の中ですが、風穴正面に立つと冷気を感じることができました。

続いて風穴から150mの距離にある諏訪神社にお参りしました。長野県の諏訪大社と同じく6年ごとに御柱祭を行っている神社です。

300年続く51回目の神事がこの4月に行われ、その際のスギの御柱が境内中央に立っていました。

 

次に、仲庭地区の斜面に残る約20軒の養蚕農家群の間の起伏に富んだ道を歩きます。いずれも木造・切妻屋根・2階建でかつては重要伝統的建造物群保存地区の候補にもなった素晴らしい景観です。今は養蚕を行っている農家はなく、空き家になった農家が増えているそうです。

少し下った所にある一部4階建のかつての養蚕農家Iさん宅を訪問します。2・3階で蚕を飼い、4階で上蔟を行いました。昭和40年代までの養蚕の盛んな頃の話や、その後繭・こんにゃく・木材の売値が下落して、若い人は外へ出て行く時代になってしまったこと等、現実の厳しさがひしひしと伝わってきます。日本一の限界集落となったこの村の対策は、県民全体が考えなくてはならない問題なのではと感じました。

南牧村からの帰途、南牧川の浸食でできた長さ100mに渡る「蝉の渓谷」で10分ほど車を止め、その景観に見入りました。「県の天然記念物及び名勝」に指定されています。紅葉の秋の美しさが想像できます。

続いて「道の駅オアシスなんもく」で小休止後、降り続く雨の中「道の駅しもにた」に到着。屋根のある回廊で簡単な解散式を行い、各車は集合場所の富岡市生涯学習センターに向かいました。雨のため比較的気温も低く、熱中症の心配もなく動きやすかったことは幸いでした。

 最後に、南牧村役場の石井係長、旧養蚕農家のIさん、終日各所で興味深く分りやすい解説をしてくださった市川肇伝道師に感謝いたします。

        (Y.I記)

 

 

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「藤岡まつり」での世界遺産活動報告

2016年08月21日 15時13分03秒 | 世界遺産伝道師協会


 

7月24日(日)午前10時から午後3時30分まで、藤岡市中央公園において開催された「藤岡まつり」で活動を行いました。夏休み最初の日曜日で、ちびっ子相撲大会等が開催されていることもあり、大勢の親子連れで賑わっていました。当日の天気は、曇り時々晴れで午後は結構日差しがありました。

活動内容は座繰り体験、繭クラフト制作、及びパネル展示等であり、参加者はI川武男さん、O田三枝子さん、Y村和子さん、Y井恵美子さん、N岸五百子さんとI﨑の6名で、隣接する高山社顕彰会のブースで活動していたM寺清江さんもお手伝いしてくれました。

私が会場に着いたのは午前8時30分頃でしたが、ちびっ子相撲大会の会場は既に多くの観客が集まっていて賑やかでした。午前9時前にI川さんとY井さんが見えたので私たち3人でブースの場所を確認した後、I川さんの車から資機材を降ろし活動の準備にとりかかりました。午前9時過ぎには参加者全員が集まったので、机や椅子及び幟旗等の設置、並びに座繰り体験及び繭クラフト制作の準備等、I川さんの指示の下、資機材の配置を要領よく行いました。準備完了後、I川さんから注意事項確認等のミーティングがあり、参加者全員の意思疎通を図った後、活動を開始しました。

Y村さんが煮繭された繭を持ってきてくれた関係もあり、Y村さんが座繰り体験の主担当で、O田さんとI川さんも担当し、その他の人は繭クラフト制作を担当することになりました。

座繰り体験は小さな子供達の参加が多く、座繰り器があまり調子良くないこともあり、しばしば糸が切れてしまう状況でしたが、子供たちは珍しい体験ができたことと小枠に巻き取られた生糸を貰うことができることもあり、大変満足の様子でした。なお、群馬テレビが録画をしてくれました。

また、繭クラフト制作では、I川さん考案の繭カットセットにより繭を安全に効率的に制作することができました。なかには、現在も養蚕をしていて、市に繭を提供していると話してくれた年配の女性もいました。

座繰り体験と繭クラフト制作で結構忙しく活動していると正午近くになったので、私はO田さんとY村さんの3人で食事に行くことにしました。会場内にはお昼になるような食べ物を販売している店がなく、市内のファミリーレストランに行ったのですが、「藤岡まつり」による混雑のため約2時間もかかってしまいました。他の3人の方には大変迷惑をかけてしましました。

午後は日差しが結構出るようになり、I川さんの指示により座繰り体験器と繭クラフト制作の机が日陰になる様に移動しました。また、時折はテーブルに置いてあるパンフレットに興味を示し持ち帰る方もいらっしゃいました。午後2時過ぎには時折さわやかな風も吹くようになり、活動をしていても快適でした。午後3時30分を過ぎたので、活動を終了し後片付け作業にかかり、午後4時頃には帰宅の途につきました。

なお、当日はO田さんが冷たい飲料を提供してくれた上に、活動終了時に天然氷を使用した美味しいかき氷を提供してくれ、O田さんに参加者全員からお礼を申し上げます。座繰り体験と繭クラフト制作への総参加者数はおよそ150組ほどでした。「藤岡まつり」での活動で楽しい一日を過ごすことができました。

   (S.I 記)

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「おぎのや横川店」での世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の広報活動

2016年08月21日 15時04分25秒 | 世界遺産伝道師協会

「おぎのや横川店」での広報活動

 

 「おぎのや横川店」での広報活動は、本年4月以来、2度目の活動となります。7月30、31日両日の活動は、学生が夏休みに入り梅雨明け後の最初の土日に重なり各足の動向を伺うには好条件が整いました。活動内容はパンフレットの配布、パネル解説、繭クラフトのグンマちゃん作りの体験コーナーを備えているのが強みです。

荻野屋は明治18年に横川駅前に開業し、構内で駅弁を販売し始めます。転機は昭和42年に「釜めし夫婦」のTV放映で知名度があがり、「釜めし」の老舗として現在に至っています。とりもなおさずこれが主力商品なわけです。

さて、活動の準備が整い、お客様の来場を待つだけとなりました。本日の団体客の予定や、来場時間などを確認後徐々にこられた方々への対応にと活動が移っていきました。今回の活動内容を<お客様の動向>から始めます。

大型バスの団体客が到着すると、パンフレットの売れ行きが一気にアップし、特に夏季林間学校で埼玉県などから学生や引率の先生方が来るとあっという間に学生向けパンフがなくなるという状況でした。四国愛媛からの団体客を含め東北仙台やからの家族連れ、バイクでのツーリング各など比較的遠方からこられる方が目に付きました。外国からの団体客、中国語、韓国語とは違うイントネーションで、お国を聞いたところベトナムとのこと、本国では日本からの出店の食事処も多く、日本食がかなり浸透している由、日本で食べた寿司は本国で食べたのより味が良かったとの事でした。外国からのお客が増えていることはTVなどで承知していましたが、横川でこれを実感できるとは思いがけない体験でした。さすがに世界遺産の日本語のパンフレットは残念ながら受け取ってもらえませんでした。

次に<繭クラフトのエピソード>です。協会の活動の強みのひとつは繭クラフトや座繰りなどで繭体験できることです。老若男女問わず興味ある人は繭を見つけると集まってきます。時間のあるときは養蚕・製糸の話まで、背にしたパネルを使い説明し、出来上がった「グンマちゃん」は記念にお持ち帰りいただき、いつも好評です。最近は学校で蚕を飼育している所も多くなり、父兄の方も承知しているようでした。愛媛県から来方は、話の中に以前は養蚕の盛んな土地であったことを出したところ、ご存知なかったようで、大変驚いていました。またニュージーランド出身の若い女性は、「グンマちゃん」つくりに興味深々取り組み、お国柄でしょうか、出来上がった時は歓声をあげ喜んでいました。小学生以下の児童には「グンマちゃん」自体が人気で、繭玉からの制作には親子ともども真剣に取り組んでもらいました。出来上がったときの笑顔はなんともいえない光景でした。

<食事風景から感じたこと> 「峠の釜飯」といえば横川の定番ですが、来場者の目当てもこれにあることは出された釜容器の圧倒的な多さから伺い知ることが出来ました。店長さんに予め聞き及んでいたことですが「コア」商品をいかに維持するかに日夜苦労している事でした。以前商品の多様化を考え、いろいろと試みたが、結局「釜めし」に特化してうまくいくようになったことを述懐していました。午後2時過ぎまで食堂の客足は途切れることもなく、私どもが昼食にありつけたのはその後交代で取ることとなり、おかげで美味しくいただくことが出来ました。

今回「おぎのや横川店」にお邪魔をし、毎回同じではない人に「絹産業遺産」に関する記憶に残るような解説や話が何か出来るかを考えながら活動していく中で、「おぎのや」さんでは、「コアの商品」を大切にしてきた経緯があり、そのことが現在につながっていることを新たに知ることが出来ました。伝道師協会の「コア」の活動を考える良い機会となりました。繭から糸を引いたり、クラフトでストラップを作ったりすること、これを通しての絹文化の伝承は確実に重要な広報活動であることを再認識しました。

 

 今回の活動に参加された伝道師は、30日(土)K下部、S藤(英)横田、M下、H岡、31日(日)Y村、M寺、A澤、K淵、K下部の計10名でした。夏本番を迎え、熱い道中を含めた長時間の活動お疲れ様でした。合わせて、設営に配慮頂きました「おぎのや」の関係者の皆様に感謝いたします。  

                           (M.H記)

 

 

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