1月30日の上毛新聞com欄で「“地域の宝”再評価本登録へもう一山」との大見出しで2ページの世界遺産特集が組まれました。
「薄根の大桑」「栃窪の風穴」「冨沢家住宅」「赤岩地区養蚕農家群」「高山社発祥の地」「旧官営富岡製糸場」「旧甘楽社小幡組倉庫」「碓氷峠鉄道施設」「荒船風穴」「旧上野鉄道関連施設」の10資産の解説と荒船風穴についての住民からの聞き書きなどがカラー写真と共にまとめられていました。
その他に、「文化庁が示した『価値』『課題』世界遺産推進室長に聞く」という読ませてくれる記事が大きく取り上げられています。今後の課題についても明確に述べています。記者の「報告書は絹紡績(旧官営新町屑糸紡績所)と絹織物(桐生の絹織物関連遺産)などを取り込むことができないかと指摘している。蚕種産地として栄えた伊勢崎市境島村の養蚕農家群、座繰製糸で日本一の組合となった安中市の碓氷社本社本館なども含めて、県も当初は構想に入れていた。どうして現在対象外なのか。今後はどうなるのか。」の問いに対して次のように室長は答えています。
「文化庁へ世界遺産構想を提案する昨年11月末の時点で、所在する市町村の推薦を得られなかったのが原因。産業遺産というものはまだ新しい概念で、価値あるものという意識が全部の人には伝わっていなかったのかもしれない。維持管理の費用負担を心配する市町村もあるが、国指定重要文化財になれば、国や県もかかわって保護していく態勢ができる。今がその国指定を取れるチャンス。遺産の保護を放棄するなら別だが、遺産の価値を理解して保存していく上で、地元自治体の負担が少なく、観光PRの効果が大きく、地域を活性化させるメリットを持つのが世界遺産登録ではないか。文化庁の指摘は、逆にいえば、今後関連する遺産を取り込むチャンスを与えてもらったことでもある。今あるものだけで小さくまとまらず、より立派な世界遺産に仕上げたい。」
“今が、国指定文化財にできるチャンス”“世界遺産の実現こそ保護管理計画実現の早道”と考えて関係市町村には新しい視点で産業遺産の保護について、再度の見直し検討をされるよう期待したいと思います。
また、「近県の遺産への広がりや比較なども課題とされた」との問いには「本県は政策として絹産業に力を入れてきたのでこれだけ発展し、遺産が残った。」としています。これを読んで、すぐに思い出だしたエピソード(理論的な話でなく申し訳ないのですが・・)は、群馬の生糸をアメリカに時期輸出をすることに成功した新井領一郎が渡米する時、群馬県の初代県令楫取素彦の妻(吉田松陰の妹)が領一郎に渡航の無事を祈って松陰の短刀を与えた、という松陰の思いを込めて送り出すほどだったことでした。
「群馬の絹産業と富岡製糸場を世界に位置づけることも求められている」との問いには昨年イギリス、フランスの学者、それも産業遺産を世界遺産に登録することを成し遂げてきた学者の方に来県いただき連携を深めていることや、ヨーロッパの遺産との関連性などが話されています。
フランスの学者が来て講演されたことなどは「日仏産業遺産シンポジウム『世界から見た富岡製糸場』」として上毛新聞社出版局から出版されています。イギリス人学者のシンポジウム等については、本ブログ内の2006年1月22日23日25日の記事をお読みいただきたいと思います。
世界遺産登録は当然ながら「世界に位置づける」こと世界に通用する普遍的な価値が説明できることが大切なことです。世界遺産は「地域で見れば宝です。国内では大切なものです。」といった観点では通用しない、視野が広い観点が必要になります。
富岡製糸場世界遺産伝道師協会も運動をさらに進化・深化させられるよう、これからも新しい知見を、広い視点を身につけて行きたいと考え、活動してまいります。
【写真は「碓氷峠鉄道施設」のうち通称”めがね橋”】
「薄根の大桑」「栃窪の風穴」「冨沢家住宅」「赤岩地区養蚕農家群」「高山社発祥の地」「旧官営富岡製糸場」「旧甘楽社小幡組倉庫」「碓氷峠鉄道施設」「荒船風穴」「旧上野鉄道関連施設」の10資産の解説と荒船風穴についての住民からの聞き書きなどがカラー写真と共にまとめられていました。
その他に、「文化庁が示した『価値』『課題』世界遺産推進室長に聞く」という読ませてくれる記事が大きく取り上げられています。今後の課題についても明確に述べています。記者の「報告書は絹紡績(旧官営新町屑糸紡績所)と絹織物(桐生の絹織物関連遺産)などを取り込むことができないかと指摘している。蚕種産地として栄えた伊勢崎市境島村の養蚕農家群、座繰製糸で日本一の組合となった安中市の碓氷社本社本館なども含めて、県も当初は構想に入れていた。どうして現在対象外なのか。今後はどうなるのか。」の問いに対して次のように室長は答えています。
「文化庁へ世界遺産構想を提案する昨年11月末の時点で、所在する市町村の推薦を得られなかったのが原因。産業遺産というものはまだ新しい概念で、価値あるものという意識が全部の人には伝わっていなかったのかもしれない。維持管理の費用負担を心配する市町村もあるが、国指定重要文化財になれば、国や県もかかわって保護していく態勢ができる。今がその国指定を取れるチャンス。遺産の保護を放棄するなら別だが、遺産の価値を理解して保存していく上で、地元自治体の負担が少なく、観光PRの効果が大きく、地域を活性化させるメリットを持つのが世界遺産登録ではないか。文化庁の指摘は、逆にいえば、今後関連する遺産を取り込むチャンスを与えてもらったことでもある。今あるものだけで小さくまとまらず、より立派な世界遺産に仕上げたい。」
“今が、国指定文化財にできるチャンス”“世界遺産の実現こそ保護管理計画実現の早道”と考えて関係市町村には新しい視点で産業遺産の保護について、再度の見直し検討をされるよう期待したいと思います。
また、「近県の遺産への広がりや比較なども課題とされた」との問いには「本県は政策として絹産業に力を入れてきたのでこれだけ発展し、遺産が残った。」としています。これを読んで、すぐに思い出だしたエピソード(理論的な話でなく申し訳ないのですが・・)は、群馬の生糸をアメリカに時期輸出をすることに成功した新井領一郎が渡米する時、群馬県の初代県令楫取素彦の妻(吉田松陰の妹)が領一郎に渡航の無事を祈って松陰の短刀を与えた、という松陰の思いを込めて送り出すほどだったことでした。
「群馬の絹産業と富岡製糸場を世界に位置づけることも求められている」との問いには昨年イギリス、フランスの学者、それも産業遺産を世界遺産に登録することを成し遂げてきた学者の方に来県いただき連携を深めていることや、ヨーロッパの遺産との関連性などが話されています。
フランスの学者が来て講演されたことなどは「日仏産業遺産シンポジウム『世界から見た富岡製糸場』」として上毛新聞社出版局から出版されています。イギリス人学者のシンポジウム等については、本ブログ内の2006年1月22日23日25日の記事をお読みいただきたいと思います。
世界遺産登録は当然ながら「世界に位置づける」こと世界に通用する普遍的な価値が説明できることが大切なことです。世界遺産は「地域で見れば宝です。国内では大切なものです。」といった観点では通用しない、視野が広い観点が必要になります。
富岡製糸場世界遺産伝道師協会も運動をさらに進化・深化させられるよう、これからも新しい知見を、広い視点を身につけて行きたいと考え、活動してまいります。
【写真は「碓氷峠鉄道施設」のうち通称”めがね橋”】