富岡製糸場世界遺産伝道師協会 世界遺産情報

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本で初めての近代産業遺産として2014年6月25日付でユネスコ世界遺産に登録されました。

絹遺産研究会リポート』第7号

2016年07月16日 12時17分26秒 | 世界遺産伝道師協会

絹遺産研究会リポート』第7号

 

7月12日(火)13:30から第7回目の研究会を、県庁舎10階101会議室において発表者のK爪伝道師を含めた6人で実施しました。

 

 今回は、K爪伝道師から「生糸の町 前橋と共に-勝山宗三郎-」と題して、初代前橋市長となった下村善太郎とともに生糸の町の繁栄に大きな役割を果たした生糸商(後に製糸場経営者)として名を馳せた勝山宗三郎の生涯について、江戸末期から明治初期における国内・外の蚕糸絹業の動向と併せてその研究成果のお話を伺うことが出来ました。

 

 特に、日本最初の器械製糸といわれる前橋製糸所が、藩営から小野組への払い下げの後、休業状態にあったものの経営を引き継ぎ、生産規模の拡大・品質改良等を積極的に行うことにより、個人経営製糸所としては当時日本四大製糸所の一つに数えられるに至る等、世界に向けた「マエバシ」ブランドを確立する一翼を担った彼の業績は注目に値するとともに、「彼は藩営事業に関与しつつ自らの知見を磨き、それを藩、県の活動に生かす機会を得たという幸せな一生であったと思う。」と結ばれた発表者のご意見には一同首肯した次第。

 

語られることの少ない勝山宗三郎の群馬の蚕糸絹業に果たした役割については、先行研究が乏しい中で、彼の生糸に関する品質管理や製糸改良に関わる動向等を含めた功績についてこれまで以上に注目する必要があるのではないでしょうか。

(A.T 記)

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「片品村の第24回ふれあいバザール」で絹産業遺産伝道活動

2016年07月16日 12時12分17秒 | 世界遺産伝道師協会

「片品村の第24回ふれあいバザール」で伝道活動

7月3日(日)午前10時より午後3時まで、片品村鎌田の花の谷公園(役場隣)で開催の第24回宝さがしin片品ふれあいバザールに参加して来ました。

 来年で四半世紀になるという恒例の村民バザールですが、2015年より伝道師協会としては参加しています。昨年同様、今年も、地元の連携団体「紺周郎とお蚕さまについて語る会」(シルクカントリーぐんま連絡協議会メンバー)とテントを共同使用しました。

それ故、蚕種やその成長過程が分かる小中大の蚕やカラフルな繭の展示に恵まれました。繭クラフトづくりを担当した語る会の宮沢福寿さん(養蚕研究家)が自ら飼育している蚕が提供されたからです。

その日は、時折、小雨や強風に見舞われるなど必ずしも恵まれた天候ではありませんでしたが、来場者は切れ目がなくあり、午前中そして午後も対応に追われました。

伝道師は、K下部、M田、I上(雄)、T丸の4名でした。テントの設置場所は比較的良かったので、展示パネルの紹介に困ることはありませんでした。

片品村は、温暖育「いぶし飼い」の師匠・永井いとさんが「かかあ天下」しっかり者の象徴だとして日本遺産の地。したがって、群馬の世界遺産群啓蒙だけではなく、気持ちの伝わりやすい日本遺産・ぐんま絹遺産のPRにも自ずと力が入りました。

午前10時のバザール開始に先駆けて、記念写真を撮りましたが、伝道師協会のメンバーたちもそこに加わりました。主催者に続いて千明金造・片品村長がマイクを握り、「ただ単に一生懸命働くというだけではなく、家計の財布の紐をしっかり握る者が正真正銘のかかあ天下でありますけど、そうしたかかあ天下ばかりの皆さんの協力で(このバザールが)盛大に開催できましたことをお慶び申し上げます」と話をまとめられました。まるで伝道師協会の活動を意識して下さっての発言だろうなと思えたので、気のせいか啓蒙活動に拍車が掛かりました。そして、順調に終了時間を迎えました。

片品村を含め、北毛における広報活動に尽力してゆくうえで、さらに良いきっかけとなった7月3日の活動でした。遠方から参加された伝道師の皆様におかれましては、その熱意と努力にあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

(H.T 記)

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富岡市の情報提供:富岡市郷土館オープン

2016年07月15日 16時55分08秒 | 世界遺産伝道師協会

富岡市郷土館オープン

富岡市郷土館が妙義庁舎敷地内に6月10日(金)オープン

致しました。

レンガ壁造りの2階建ての施設です。

1階展示場

 ・富岡製糸場の写真パネル展示 

明治11年の富岡製糸場全景写真等々

・市内発掘の文化財写真パネル

 

 

2階展示場

・富岡製糸場から発掘出土した、近現代の遺物の数々。その中から建築・繰糸・

工女に関わるもの製糸場の象徴である煉瓦や「ヨコスカ刻印のレンガ

韮塚直次郎㊞」の食器などなど

 

・富岡市から出土した縄文時代から中世までの埴輪や土器

等などなどが、ガラスショウケースに展示されていました。

是非ともお出かけして、見て下さい。

 

   

期日: 平成28年6月10日(金)から

時間: 午前9:00~17:00

場所: 富岡市妙義町上高田 妙義庁舎敷地内

観覧料;無料

駐車場:無料駐車場あり

 

市町村 富岡西毛地区担当

T,I(記)

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記梅雨の伊勢崎駅で世界遺産広報活動

2016年07月15日 16時37分23秒 | 世界遺産伝道師協会

 

 7月5日(火)、JR伊勢崎駅の自由通路で広報活動を行いました。この駅での活動は平成26年6月以来で7回目になります。

(伊勢崎駅)

 伊勢崎駅はJR東日本の両毛線と東武伊勢崎線が乗り入れ、接続駅となっています。伊勢崎駅周辺連続立体工事により、高架駅となって北口と南口を結ぶ自由通路が設置されました。JRと東武鉄道を合わせた伊勢崎駅の1日の平均乗車人員は約1万2千人です。

 午後3時集合。パネル7枚、ノボリ2本を設置、メインパンフレットに下仁田町から依頼のあった荒船風穴のパンフレットを組ませます。簡単な打ち合わせ後、活動開始です。

登録からちょうど2年が経過し、世間の人々の関心が低くなってきていることを感じます。パンフレットを渡しながら「群馬の世界遺産は4か所あります」と言うと、一人の男性が「本当ですか」と言いながらパネルに近寄って来ました。解説すると驚きながらも納得して帰って行きました。

富岡製糸場以外の構成資産を知らない群馬県の方は現在でもかなりの数に上ると思います。

駅での活動は、列車の時間を気にする乗車客、家路を急ぐ降車客で、立ち止まって話を聞いてくれる人は少数です。そういう状況の中でもパネル前に立ち止まってくれる人は熱心に話を聞いてくれ、そして自分の体験などを話してくれます。

愛知県から知り合いの所に来ていて、これから帰るという人は「残念ですが見学に行く時間がありませんでした」。出張で岐阜から来た男性は「岐阜から工女がたくさん来たことは知っています」と感慨深げにパネルを見てホームに向かいました。

活動を始めて間もなく自由通路に大勢の人々が集まり出しました。中に知り合いの方がいたので様子を聞きました。伊勢崎市の青少年指導員と県の青少年育成推進員の合同チームによる列車内補導をこれから行うのだとのことでした。間もなく上りと下りの列車で出発して行きました。2時間ほどすると列車内補導から戻って来ました。

先ほどの知り合いから「2日後に会議があるので、パンフレットをいただければ、その席で配りたい」とのことで、25部渡しました。また指導員の中に、参加伝道師の渋澤さんの現職当時の同僚がいて、指導員の集まり時に配付したいとのことで30部を渡しました。その方から指導員に配ったペットボトル茶のお裾分けを参加伝道師分いただきました。感謝を述べてありがたくいただきました。

 

予定時間の7時に活動を終了しました。今回の参加者はK下部、M井、I十嵐、S澤、A井春、S藤久、I上雄の7名でした。 

連日の暑さですが、この日はグリーンジャンパーを着ていても、ほとんど汗をかかずに活動することのできた気温でした。休憩も取らずに活動された参加者の皆さん、お疲れ様でした。

最後に、活動スペースや車4台の駐車場所の提供等、ご配慮いただいた伊勢崎市に感謝申し上げます。また活動が2年空くと伊勢崎駅もJR前橋駅務管区と駅長不在駅になっていて驚きましたが、松井管区長にはご配慮いただきましたこと御礼を申し上げます。

            (Y.I 記)

 

 

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「煮繭と座繰り講習会に参加して」

2016年07月15日 16時26分02秒 | 世界遺産伝道師協会

「煮繭と座繰り講習会に参加して」

 

 

 7月2日(土)、日本絹の里で行われた座繰り講習会(富岡製糸場世界遺産伝道師協会主催)に参加しました。指導は、座繰りの第一人者、狩野寿作先生です。

プログラムは、製糸技術の移り変わりの講義と、煮繭・座繰り・揚げ返しという、一連の作業。8名の参加者は、狩野先生のお話に集中しました。

 座繰りで最も重要なのは「煮繭(しゃけん)」です。糸の出具合を見ながら、調整します。糸量、光沢、抱合は煮方次第。繭の種類、産地、季節によって変わります。

 二人一組で煮繭に挑戦しました。沸騰した鍋に繭を入れ、落としぶたをして3分。糸の出具合を調べて、落としぶたの上から差し水をして1分。明治44年に発行された碓氷社の「製糸改良講習録」によると、煮繭後、水の中で三分の一か四分の一浮いていると、繭の中に湯が適量に入っているとのこと。私達の繭は、品質の良さに助けられ、バケツの中で頭を出して整列してくれました。

 そして、いよいよ糸挽きです。糸口を集め、鼓車にかけ、綾振り棒に通して、小枠に巻き付けたら、ハンドルを回します。右手はミゴボウキで鍋の中の繭を回転させます。

「いい糸とは、

①繊度ムラがないこと、

②節がないこと」です。

そのためには、目で鍋に浮いている繭の量を見て、手で糸の太さを確かめます。とはいうものの、習得には3ヶ月かかるそうです。

新しい繭糸の補給や、糸が切れた時の結びもしながら、ひたすら左手はハンドル、右手はミゴボウキを動かし続けました。

 

前半はここまでで、昼食休憩。

小枠に巻いた生糸は乾燥しないよう水につけておきます。

昼食後は、揚げ返しです。1台の揚げ返し機に4本の生糸をかけ、小枠から大枠にまき直します。巻き終わったら、最初と最後の糸口を結び、くち留め。カセの形が崩れないよう、あみそかけをしました。あみそかけには苦労し、狩野先生の「左手をあげる、右手を入れる、左手をさげる、右手を水平に引く、猫の目に糸を通す」のかけ声にあわせました。

 最後は、生糸の繊度計算です。まず、揚

げ返しの回転数で長さをだしました。人によって、2000メートル台後半から5000メートルまで。生糸の繊度であるデニールは、9000メートルあたりのグラム数で表されます。私の生糸は約194デニール。座繰り中、狩野先生から「200デニールくらいだね」と言われた通りでした。

 私は、東京で着付け教室に通っています。「自分で糸を挽いた」と話すと驚かれます。着物が好きな人でも、繭や糸に触れる経験はなかなかないからです。

 繭は入手困難になっているそうです。そんな中で、上繭で座繰りをさせていただき、感謝しています。ウエーブのある座繰り糸には、あたたかみがあります。もっと座繰りを学びたいと思った一日でした。

(R.A 記)

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八王子市・小金井市・入間市現地研修会報告

2016年07月05日 17時56分04秒 | 世界遺産伝道師協会

八王子市・小金井市・入間市現地研修会報告

 

 6月28日(火)に行われた現地研修会の報告です。

中型バスでの久しぶりの現地研修会です。参加人数は、27人の予定でしたが、最終的には、25人での活動になりました。

運転手さんに安全運転をお願いして、高崎駅を少し遅れて出発、最初の研修先“小泉家屋敷”へ向かいました。

バスの中では、町田副会長の挨拶から井上理事の最初の見学先“小泉家屋敷”、“絹の道資料館”の説明の後、町田副会長から“絹の道”の語源から由来と事細かな説明がありました。(その後、移動の都度 次の研修先の説明を井上理事がされました)

そこで 私は、もともとはドイツ語でそれを英語に訳して“シルクロード”となり日本語の“絹の道”になったということを初めて知りました。

途中 上里SAでの休憩をはさみ、最初の八王子市鑓水にある“小泉家屋敷”へ到着。我々は、バスを降り、バスは、止めるところがないのであらかじめ決めた駐車予定の場所へ移動しました。早速最初の研修が始まりました。小泉家の17代目当主は奥様で、説明してくださったご主人は、婿だと一生懸命話をされていました。家の中、家の裏と普段は入れない場所も案内していただきました。

次の研修先は、“絹の道資料館”です。徒歩で約10分でしたが、やや上り坂で少し汗をかいた方もいたようです。そこでびっくりしたのは、近くの公民館に駐車しているはずのバスが、“絹の道資料館”の駐車場に止まっていたことでした。入り口が狭く 館長からは、「バスが入るのは、無理ですから別の場所に駐車してください」と言われていたのですが、逆に我々が歩いて現地に着くと館長が、「この運転手さんすごいよ、無理だというのに入れちゃったよ」としばらくは感嘆の声が続きました。

“絹の道資料館”では、八王子市教育委員会経由でお願いした解説ボランティアの方が休憩室で現地の“鑓水”の語源から鑓水商人また絹の道等養蚕・製糸にまつわる様々な内容の説明をしていただきました。説明を聞いた後は、昼食と館内の見学を同時としたフリータイムとなりました。

遅れた時間を取り戻そうと超短めの昼食時間をとり、資料館を出発、約1.5Kmある絹の道を歩きました。幸いにも雨が上がり、少し涼しくなっていたので、皆さん無事に上り坂を歩きとおすことができました。

最後に頂上の大塚山公園(道了堂跡)まで登ると八王子の町が望めました。そのあとは、道を戻るのではなくて、“絹の道”の碑の横の道を降りるとバスが待っていました。そして次の研修先、小金井市にある“東京農工大学科学博物館”へ向かいました。

この時点では、出発時の遅れ時間は取り戻し、予定の時間になっていました。

現地へ着くと説明をされる方たちが待ち構えていました。というのは、火曜日は、OBの方たちが集まり解説のボランティアをされているとのことで、当日は、ちょうど火曜日でした。豊富な所蔵品を誇り、絹関連資料、絹以外の天然繊維・人造繊維・化学繊維、製糸機械、紡績機、織機、等々です。

見学は、二グループに分かれて、織機から見学するグループ、製糸機械から見学するグループに分かれて豊富な解説員に恵まれて質問をすると時間がすぐたってしまいました。

同時に“自動車の自動運転の最前線”という展示もあり若干興味をそそられました。

2~3時間は見学したかったところですが、予定は1時間なので 説明する方は、タイムキーパーもしていただいたので大変だったと思います。私自身も半分も見られなかったと思ってしまいました。これも せっかくの機会だからと多くの場所を研修先にしたためだと思います。

それでも予定を少しオーバーしただけで次の研修先、入間市の“旧石川組製糸西洋館”へ向かいました。途中道が混み予定の時間をかなりオーバーしての到着になってしまいました。

それにもかかわらず、説明をしてくださる方は気持ちよく迎えてくださいました。

ここでもバスの運転手さんは、大活躍で上手に狭い入り口をバックで入って行きました。

 普段は、公開していない場所でしたが、我々伝道師協会が来るということで本館の1階と2階を事細かく見学させていただきました。とても清掃が行き届いており綺麗なのでびっくりしました。当時の石川組の興隆ぶりを思わせる贅を尽くした感がありました。

またクリスチャンであった創業者のキリスト教への思いも込められていました。

建設当時の内容が幾分改造されていたのは、戦後進駐軍に接収されていたためで、これも歴史なのでむやみに変更できないという話も伺うことができました。

最後に お宝の棟札まで見学させていただきました。

予定通りのすべての研修先の見学も終わり、一路 帰路につきました。帰りのバスでは、町田副会長が、絹の道ではなく“蚕種の道”の話をされたあと、各参加者から思い思いの感想等を含めた話が出されました。

その中で印象的で多くの方が話をしていたのは、我々伝道師協会の看板で見学に行くと丁寧な対応とともに普段見学できないところまで見学させていただけることです。

この話を聞くと我々も普段の活動で、いい加減な対応はできないと改めて思いました。

高崎駅へ着いたのは、19時頃でした。まる1日の大変 中身の濃い現地研修会を無事終えることができました。

みなさんどうもありがとうございました。

井上理事の十分準備した解説書、町田副会長のとっておきのお話、そして 何より研修先での暖かい対応、そして バスの運転手さんの安全運転。

全て「終わりよければすべてよし」だと思います。

我々は、この研修経験を活かすべく積極的に次の伝道活動へ参加しましょう。

よろしくお願いします。

(K.N記) 

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