上田方面への研修
10月20日(火)、平成21年度第3回研修会が行われました。研修場所は長野県上田市方面、参加伝道師45名、事務局2名、総勢47名です。
朝8時10、高崎駅を大型バスで一路、上田市に向けて出発しました。車中、町田睦伝道師から研修場所について解説がありました。
日本で蚕種を製造している場所は、最初に訪れる上田蚕種の他、高原社、群馬県の蚕糸技術センター、福島県の富田蚕種、愛媛県の八幡山の5カ所だということです。
また「座繰りの歴史について」や上塩尻蚕種製造農家群の一角にある「信濃国蚕業頌功碑」には「群馬県人が信州に製糸方法教えた」と記述されていることなどの説明がありました。なお碑文の意訳は築比地規雄伝道師が担当しました。
貴重な前説を聞いているうちに上田蚕種に着き、手塚社長の案内で社内の見学をさせていただきました。
【上田蚕種(株)】(上田市常田)
国内最大の蚕種製造会社。群馬で飼育されている「蚕品種」もここで製造されている。事務所棟は、大正ロマンあふれる建物で、国登録有形文化財。
10月10日から上映されている太宰治原作の『ヴィヨンの妻』は、上田蚕種の応接室や廊下などがロケに使われています。ロケ現場もしっかり見せていただきました。
次に信州大学繊維学部講堂へ行きました。
【信州大学繊維学部】(上田市常田)
蚕都上田を象徴する上田蚕糸専門学校時代の講堂が残存し、建物各所に桑・繭・蛾の意匠がある。初代校長は、渋川市出身の針塚長太郎で銅像がある。大正2年に設置した開綿機から撚糸機までの一連の絹糸紡績機械一式10台が保存され、完全なセットは世界で唯一である。
ここでは絹糸紡績機による実演を見せていただきました。次は笠原工業株式会社です。総務部の山田さんが社内の案内をして下さいました。
【繭倉(笠原工業株)】(上田市常田)
明治33年に常田館製糸場として創立。戦後、笠原工業に社名変更し、電子部品、ポリエステル事業も開始する。製糸部門は昭和59年に休止した。
現在、鉄筋・木造4~5階建ての繭倉が3棟保存されている。
繭倉の中も見学させていただきましたが、天井が低いので5階とは思えないほどです。敷地内が広く、煙突や倉のある景観は趣がありました。この後「東急イン上田」で昼食となり、午前の部は終了です。
昼食後、バスに15分乗り、上塩尻蚕種製造農家群へ着き、解説員の清水さんに案内されて散策しました。
【上塩尻蚕種製造農家群】(上田市上塩尻町)
江戸末期から明治初期に〝蚕飼の郷〟として蚕種業で栄えた。
北国街道沿いには、蚕種業が盛んな頃の大きな白壁の蚕室造りの家や門構え、土塀、桑屋など当時の蚕種製造の特徴を伝える農家群が今も50軒ほど残る。
曲がりくねった狭い道路の両端に大きな家が点在している風景は圧巻です。解説員の清水さんの家には風穴代わりに使ったという地下室があり、外気温が38度の時でも締め切ると中は15度くらいになったということです。
農家群の通りに小岩井紬工房があります。
【小岩井紬工房】(上田市上塩尻)
300年以上の歴史のある絹織物「上田紬」を、今も織り続けている会社。上田紬は江戸時代に大島紬、結城紬と日本3大紬として知られた。建物は明治時代に建てられたもので、博物館ではなく、今も機織り機で業務として織られている。
小岩井紬工房では、絹糸は草木染めや化学染料で染められ、伝統の手織一筋で織られているということです。
次に同地区にある開館したばかりの藤本蚕業歴史館に寄りました。
【藤本蚕業歴史館】(上田市上塩尻)
藤本工業(上田市 佐藤圭司社長)は3日、同社の前身で上田地域の代表的な蚕種(蚕の卵)製造会社だった藤本蚕業などの蚕業製造に関する史料1万2千点を収蔵した「藤本蚕業歴史館」を上田市上塩尻の旧藤本蚕業の社屋に開館した。
史料1万2千点が陳列してあり、研究者には宝の山に見えるのではないでしょうか。
上田を後にして、バスで30分の地にある海野宿へ着きました。解説員の小林さんの案内で1時間ほど散策しました。
【海野宿】(東御市本海野)重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には北国街道の宿場町として栄えたが、明治以降は養蚕・蚕種業とした。
江戸時代の旅籠屋造りの建物と明治以降の櫓の付いた蚕室造りの堅牢な建物が今なお残存。昭和62年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定。
650mにわたり、かつての家並みが保存されている。
「本うだつ」と「袖うだつ」の違いを確認できました。「うだつ」は防火壁の役目と、家の格を示すために出来たという説があるようです。
【海野宿歴史民俗資料館】(東御市本海野)
寛政年間に建てられたもので、海野宿特有の〝江戸時代の旅籠屋造り〟と〝明治以降の養蚕農家〟の形式を兼ね備えた建物。
展示資料は、海野宿の起源、江戸時代の海野宿、明治の養蚕、蚕種、製糸に関するものなどがある。
4時20分、全行程を終え帰路に着きました。バスの中では、器械製糸場の功労者である速水堅曹の子孫の速水美智子伝道師が、速水堅曹について30分くらい解説しました。
その後も、原三渓の話、研修会の案内、ワーキンググループのお誘いなどが続き、話が途切れることがありませんでした。最後に近藤会長が「これまでの活動報告やこれからの展望」などを話し終えたところで、午後6時に高崎駅へ着きました。
一時の気を許すこともままならないほど内容が詰まっていて、有意義な研修でした。(Y.N記)
10月20日(火)、平成21年度第3回研修会が行われました。研修場所は長野県上田市方面、参加伝道師45名、事務局2名、総勢47名です。
朝8時10、高崎駅を大型バスで一路、上田市に向けて出発しました。車中、町田睦伝道師から研修場所について解説がありました。
日本で蚕種を製造している場所は、最初に訪れる上田蚕種の他、高原社、群馬県の蚕糸技術センター、福島県の富田蚕種、愛媛県の八幡山の5カ所だということです。
また「座繰りの歴史について」や上塩尻蚕種製造農家群の一角にある「信濃国蚕業頌功碑」には「群馬県人が信州に製糸方法教えた」と記述されていることなどの説明がありました。なお碑文の意訳は築比地規雄伝道師が担当しました。
貴重な前説を聞いているうちに上田蚕種に着き、手塚社長の案内で社内の見学をさせていただきました。
【上田蚕種(株)】(上田市常田)
国内最大の蚕種製造会社。群馬で飼育されている「蚕品種」もここで製造されている。事務所棟は、大正ロマンあふれる建物で、国登録有形文化財。
10月10日から上映されている太宰治原作の『ヴィヨンの妻』は、上田蚕種の応接室や廊下などがロケに使われています。ロケ現場もしっかり見せていただきました。
次に信州大学繊維学部講堂へ行きました。
【信州大学繊維学部】(上田市常田)
蚕都上田を象徴する上田蚕糸専門学校時代の講堂が残存し、建物各所に桑・繭・蛾の意匠がある。初代校長は、渋川市出身の針塚長太郎で銅像がある。大正2年に設置した開綿機から撚糸機までの一連の絹糸紡績機械一式10台が保存され、完全なセットは世界で唯一である。
ここでは絹糸紡績機による実演を見せていただきました。次は笠原工業株式会社です。総務部の山田さんが社内の案内をして下さいました。
【繭倉(笠原工業株)】(上田市常田)
明治33年に常田館製糸場として創立。戦後、笠原工業に社名変更し、電子部品、ポリエステル事業も開始する。製糸部門は昭和59年に休止した。
現在、鉄筋・木造4~5階建ての繭倉が3棟保存されている。
繭倉の中も見学させていただきましたが、天井が低いので5階とは思えないほどです。敷地内が広く、煙突や倉のある景観は趣がありました。この後「東急イン上田」で昼食となり、午前の部は終了です。
昼食後、バスに15分乗り、上塩尻蚕種製造農家群へ着き、解説員の清水さんに案内されて散策しました。
【上塩尻蚕種製造農家群】(上田市上塩尻町)
江戸末期から明治初期に〝蚕飼の郷〟として蚕種業で栄えた。
北国街道沿いには、蚕種業が盛んな頃の大きな白壁の蚕室造りの家や門構え、土塀、桑屋など当時の蚕種製造の特徴を伝える農家群が今も50軒ほど残る。
曲がりくねった狭い道路の両端に大きな家が点在している風景は圧巻です。解説員の清水さんの家には風穴代わりに使ったという地下室があり、外気温が38度の時でも締め切ると中は15度くらいになったということです。
農家群の通りに小岩井紬工房があります。
【小岩井紬工房】(上田市上塩尻)
300年以上の歴史のある絹織物「上田紬」を、今も織り続けている会社。上田紬は江戸時代に大島紬、結城紬と日本3大紬として知られた。建物は明治時代に建てられたもので、博物館ではなく、今も機織り機で業務として織られている。
小岩井紬工房では、絹糸は草木染めや化学染料で染められ、伝統の手織一筋で織られているということです。
次に同地区にある開館したばかりの藤本蚕業歴史館に寄りました。
【藤本蚕業歴史館】(上田市上塩尻)
藤本工業(上田市 佐藤圭司社長)は3日、同社の前身で上田地域の代表的な蚕種(蚕の卵)製造会社だった藤本蚕業などの蚕業製造に関する史料1万2千点を収蔵した「藤本蚕業歴史館」を上田市上塩尻の旧藤本蚕業の社屋に開館した。
史料1万2千点が陳列してあり、研究者には宝の山に見えるのではないでしょうか。
上田を後にして、バスで30分の地にある海野宿へ着きました。解説員の小林さんの案内で1時間ほど散策しました。
【海野宿】(東御市本海野)重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には北国街道の宿場町として栄えたが、明治以降は養蚕・蚕種業とした。
江戸時代の旅籠屋造りの建物と明治以降の櫓の付いた蚕室造りの堅牢な建物が今なお残存。昭和62年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定。
650mにわたり、かつての家並みが保存されている。
「本うだつ」と「袖うだつ」の違いを確認できました。「うだつ」は防火壁の役目と、家の格を示すために出来たという説があるようです。
【海野宿歴史民俗資料館】(東御市本海野)
寛政年間に建てられたもので、海野宿特有の〝江戸時代の旅籠屋造り〟と〝明治以降の養蚕農家〟の形式を兼ね備えた建物。
展示資料は、海野宿の起源、江戸時代の海野宿、明治の養蚕、蚕種、製糸に関するものなどがある。
4時20分、全行程を終え帰路に着きました。バスの中では、器械製糸場の功労者である速水堅曹の子孫の速水美智子伝道師が、速水堅曹について30分くらい解説しました。
その後も、原三渓の話、研修会の案内、ワーキンググループのお誘いなどが続き、話が途切れることがありませんでした。最後に近藤会長が「これまでの活動報告やこれからの展望」などを話し終えたところで、午後6時に高崎駅へ着きました。
一時の気を許すこともままならないほど内容が詰まっていて、有意義な研修でした。(Y.N記)