アラン

2014-10-16 21:46:37 | 日記

 「幸福論」からの引用文です。

 「礼儀作法とは、身についた物腰であり、ゆとりである。無作法な人間とは、まるで皿や置物をひっかけでもするみたいに、自分のしたいと思っていることとは別のことをしてしまう人のことである。自分の言いたいと思っていることとはちがうことを言ってしまう人、あるいはぶっきらぼうな口調になったり、不必要な大声を上げたり、ためらってしまったり、早くてわからない言い方をしてしまい、自分が伝えたいと思っていることと違うことを伝えてしまう人のことである。礼儀作法はしたがって、フェンシングを学ぶように、学ばれるものである。気障な奴とは、わけもわからないのにわざと大げさな言い方で伝える人間のことである。臆病な奴とは、気障なまねはしないのだが、どうやったらいいのかわからない人間のことである。というのも、彼は言葉や行為がどんなに大切なものか知っているからだ。中略、つまり荒ぶる情念をなだめる体操なのだ。礼儀作法をわきまえるというのは、すべての身ぶりを通して、すべての言葉をつくして、「いらいらしないように。われわれに与えられた人生のこの瞬間を台なしにしないように」と示すこと、言うことである。」

  アラン著「幸福論」、(処世術)、(楽しませること)から

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする