英語のこと

2013-10-24 20:57:54 | 日記

 韓国は英語学習を積極的にやったことで今の経済成長があると言われている。大学教授の論文はすべて英語であるし。韓国は戦後漢字文化からハングルに切り替えたということも大きい要因かもしれない。英語が喋れることで積極的に、外国に折衝し貿易も活発化したのかもしれない。しかしながら、このことは私たちのモンダイとしても知らなければならないとおもう。それは、今の現役世代からすれば、その祖父母に当たる人たちの書いたものが読めないということになる。この国のことでいえば、今から800年ほど前に書かれた親鸞さんや道元さんのものがお粗末ながらでも読めるということが、大切なこと、それこそ文化なのであるとおもう。

 それとこのことは直接関係するかどうか解りにくいけれど、韓国での自殺率もフィンランドに次いで、世界2位であることも知る必要があるとおもう。経済活動が活発になったからといって、充実した暮らしになるとは言えない時代になったのだとおもう。もちろん第三世界のように貧困のために生じるであろう、もろもろのことは経済活動が活発になることで解消されていくことが多いことは承知しているつもりである。

 日本という国は不思議なところだとおもう。どんなにセレブなものも、そうでないものも等しく同じ言語を喋るということ。ことばそのものにはっきりとした階級がないということなどは他の国々からみればまことに驚くことなのだとおもう。

 こんな国でいよいよ小学校低学年から英語の授業を取り入れることが決まったらしい。今でさえ英語教育を受けて育った大半のものたちがほとんど喋れなくて、そのことがろくに解消されないまま低学年から始めるということに疑問を抱かざるを得ない。

 もうひとつは、あまつさえ日本語としての会話能力が落ちているのに、そして母国語をきっちり学ぶことで基本的な人格形成が行われるのに、(人というのは言葉を生きる動物であるからだ)低学年から英語を学ぶということは、その大切なこともおろそかになる。

 学ぶということの基本は、本人が必要と感じた時に初めて学べる。英語がどうしても必要なものは、イヤでも学ぶのだと思う。それをどっちつかずのことをまたやりはじめて、ますます混乱するようなことになるとおもうけれど如何なものだろうか。

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