自分というもの

2012-11-14 22:05:28 | 日記
 毎度のことのように言っているのかなぁ。自分のことを自分と
言っていることに唐突に、アレっというものが走るときがある。
今日も雷雲たなびき、ときおり雷とともに激しい雨が降っている。
そんななかお米の荷造りなどをしながら、もやもやしている。
鯖江の俳人と言うか妙好人、ちゅうかガールフレンドといった
ほうがぼくにはぴったりくる助田小芳さん94歳が急に亡くなら
れたと。そんな訃報に接したことも関係しているのかもしれない。

 「ギリシャ神話に、プロメテウスが人間のために神様から
火を盗んで来てくれたために人間は重宝したが、その変わり
プロメテウスは神様に捕らえられて罰をうけたという有名な
話がある。この「火」というのは「自己意識」のことだと
アンドレ・ジイドは解釈している。自分で自分を知る、見る、
意識する、これが人間であると。ハイデガー的には「自分の
存在が問題になるような」そんな存在のしかたを人間はして
いる。」と川原栄峰さんは紹介しているが、だいたいこの
もののことを平気で自分だといってなんのモンダイも生じない
日常の方がへんなのではないか。

 などとぶつぶついいながら、ハナと散歩していたら大地が
大きな大きなキャンパスになっていて、黄色赤などの葉っぱが
見事に散りばめられていた。
コメント
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