17日18日は勉強会だった。兵庫の安泰寺住職ネルケ無方さん
の講義である。例年ならば冬に行われるこの会、今回講師の都合で
この時期になりました。鎌倉、山梨、金沢からも参加されて典座教
訓という祖録で行われました。これは禅寺の台所仕事をするにあた
っての心得るべきことを、道元禅師が書かれたものです。
無方さんは44歳、若くて身体も大きく、顔もいい男ぶり。快活
で頼りがいの有るタイプ。安泰寺は山里から4キロも入った、それ
こそ山のなかの一軒家で10人ほど(外人多し)自給自足で暮らし
ながら坐禅を中心に修行しているお寺である。
ご存知の方もおられるかと思うけれど、ほとんどの修行道場は
住職養成所の趣があるけれど、この安泰寺は檀家もなくもちろん
スポンサーなどもいない。皆して托鉢などしながら自給の暮らしを
している。その意味では日本ではここだけだと思うけれど、純粋な
禅道場である。ここで典座つまり料理をするということは、食材
から買い出し、田畑の作務までも含めておよそ今の家庭生活では
到底味わえない醍醐味のある暮らし、自分自身と対峙する日々を
送っている。
そこの堂長さんであるから、雲水さんたちの悩みや問題などに
対処しながらエネルギーを燃やしている方である。
ぼく自身が祖録をほとんど最近は読まないでいる。そんなこと
もあってか、ぼくはとても刺激になったし中国唐時代のもっとも
禅の活動が盛んなころのようすや六祖慧能のこれまで語り継がれ
て来たお話はやはり、のちの時代に整理された物語であることな
どの話などはうーむであった。
ぼくたちはつい言い伝えられた物語の中でだけめぐらす。
つまり自分の問題としてどこまでも日常的なありように視点を
おいて考えようとはしない。そこのところも無方さんは見落とす
ことなく語ってくれたのであった。
の講義である。例年ならば冬に行われるこの会、今回講師の都合で
この時期になりました。鎌倉、山梨、金沢からも参加されて典座教
訓という祖録で行われました。これは禅寺の台所仕事をするにあた
っての心得るべきことを、道元禅師が書かれたものです。
無方さんは44歳、若くて身体も大きく、顔もいい男ぶり。快活
で頼りがいの有るタイプ。安泰寺は山里から4キロも入った、それ
こそ山のなかの一軒家で10人ほど(外人多し)自給自足で暮らし
ながら坐禅を中心に修行しているお寺である。
ご存知の方もおられるかと思うけれど、ほとんどの修行道場は
住職養成所の趣があるけれど、この安泰寺は檀家もなくもちろん
スポンサーなどもいない。皆して托鉢などしながら自給の暮らしを
している。その意味では日本ではここだけだと思うけれど、純粋な
禅道場である。ここで典座つまり料理をするということは、食材
から買い出し、田畑の作務までも含めておよそ今の家庭生活では
到底味わえない醍醐味のある暮らし、自分自身と対峙する日々を
送っている。
そこの堂長さんであるから、雲水さんたちの悩みや問題などに
対処しながらエネルギーを燃やしている方である。
ぼく自身が祖録をほとんど最近は読まないでいる。そんなこと
もあってか、ぼくはとても刺激になったし中国唐時代のもっとも
禅の活動が盛んなころのようすや六祖慧能のこれまで語り継がれ
て来たお話はやはり、のちの時代に整理された物語であることな
どの話などはうーむであった。
ぼくたちはつい言い伝えられた物語の中でだけめぐらす。
つまり自分の問題としてどこまでも日常的なありように視点を
おいて考えようとはしない。そこのところも無方さんは見落とす
ことなく語ってくれたのであった。