後悔

2012-11-04 21:47:41 | 日記
 車庫作りを弾がすると。「そりゃやりたい」というもの
だから、ちょっといじいじしながらいつするかと待っていた。
確かに1週間前の休みの日には出て、材料を並べて寸法など
を計測していたようである。けれどそんなことは午前中で終
わってしまい、昼から雨が降ったということもあり、
また図面でも書いているのだろうといい風に解釈していた。
ちなみに彼のお休みは、第2と第4土曜もお休みだから連休
なのである。

 で今日の日曜日、もでてこないではないか。来週の土日は
甲府の父さんの3回忌で向こうへ行かなければならないし、
そんなゆっくりとしている暇などないことは彼も承知のはず
である。それで何か出来ないことでもあるのかと思い、昼に
彼の部屋に。別に理由などないというなんとなくこうなって
しまったと。彼は相変わらずゲームをしていたのだ。それで
ちょっとどやした。なにをおまえは甘えているのかと。でき
るならこんなどやしかたしたいと、思っているわけでは毛頭
ない、彼が決めたことだし。彼が自分で責任もってすればいい
と思っている。怒るのも難しい、なお一層の責任が
問われるが。まぁどうするのか様子を見ようと思う。

 今日は久しぶりのいいお天気。こんな日は逃すまいと
我が家の薪を玄関口に運び入れた。いつもならその弾にも
手伝って貰うところなのだが、彼は大工をするものと思って
いたから、呼ばないでいたのだ。まぁともあれ薪が家の中に
運び込まれると、もう一気に冬でそしてこの薪があれば安心
なのである。

 この頃の来信に秋の深まりのせいだろうか、反省というか
後悔の文が多いようだ。寒くなるというのは、身体だけでは
なく気持ち、心もさむくなるようである。
 なるほど、わたしというものは色即是空なるものと一応は
理屈で押さえることが出来ても、さはいいながら私という
意味を生きているのが凡夫の所以である。

 色即是空とは昨日も10年前も、明日も10年後もそれら
そのものがいまここのわたしのありようとしてあるということ。
つまりいつも今ここ、今ここに輝くものとして生かされていると
示されている。

 なれど、後悔と希望(楽しみ、喜び)のあいだをゆれて無常の
御身をゆらして生きるのでしょうか。
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