きょうは小さな歌会の日。 ランチを食べながらの歌会です。 ランチのあとにいつも小さなデザートがつくのですが、きょうはつぎつぎとおいしそうなケーキが運ばれてきて、もうちょっとで「それは別のお客さんじゃないですか」といいそうになったのですが、みんながお祝いのサプライズを用意していてくれたのでした。 あー ありがとう。(泣)
きょうは水曜日。短歌の日です。
いま「梁」87号を読んでいます。 大森静佳さんの評論「河野裕子の歌鏡」は読みごたえがありました。『ひるがほ』と『桜森』は好きな歌集なので、引いてある歌にいちいち頷きながら、あぁやっぱりこの歌はいいなぁとか思いながら読みました。歌を丁寧に見ていきながら思考しているのがわかります。 自分の頭と心の中を通って書かれたものは読んでいるとよくわかります。
一つの論を立てるのはよい。だが自縄自縛に陥らぬ闊達明敏さが必要である。
自ら規定したものに違わざらんとして些かでも自由を束縛し、真意をまげるに到れば不幸である。
実作は理論をどんどん破って進むべきものである。
論はむしろその時々の作者の決意を示すだけのものであり、従来の自己に対する一つの決算報告であるに過ぎない。
自己のあり方を確かめ、未来への決意を固めたならば、その用はもう果したのだ。
作者は、実はもうそこには居ないのである。
- (1947.09.16 『高槻』第2巻第9号) 『抒情と現実 今日の短歌 明日の短歌』(高安国世)
論を読むとき、書くときに思い出す高安さんの言葉です。
「梁」を読んでいて、檜垣宏子さんの「春がうるさい」の一連がいいなと思いました。 この人の歌は初めて読んだのですが、こういう出会いがあるので楽しいです。
・生垣の葉が迫り出して道狭まるわれもわれもの春がうるさい
・わが町に煙の出ない煙突が高々ありて物語する
・幼子に戻ってぱつぱつと奪ひたい薔薇の垣根に薔薇の呼ぶ声
・大声を出したのですね小手毬の花がちりちり路上に散らばる
(3首目、旧かなだったら「戻つて」?)
私にとって好きな歌は、「私も歌をつくりたい!」という気持ちになる歌です。
作りたくなってきました。 今作っている歌の推敲をすることにしましょう。