きょうは、すっきり雲ひとつない秋晴れでした。 両親の代理でお墓の契約に宇治へ。
このあいだはじめて見に行った日も晴れていましたが、きょうは空の奥から私の足元までなんにもないような青一色で、整えらえた広い芝生の上を歩いていても歩いている実感がなく、心細さがこみあげたりしました。
用事が思ったよりはやく済んだので、家族で天ヶ瀬ダムへ寄り道しました。 15年くらい前(もうそんなに経つことに驚きますが)、天ヶ瀬の発電所で仕事をしていたことがあって、当時の職場へも行ってみました。きょうはお休みで門が閉まっていましたが、門の隙間からあおい柳が見えました。
タクシーで通勤していたので、ああ、あの柳の下に立って宇治川を眺めたりしてタクシーが来るのを待ったなぁと、あのころのことを思い出しました。
そうそう、塔へはじめて投稿した歌も、あの職場でお昼休みに書いたのでした。
・他支店の同期の訃報受けたあと業務に戻る新任課長
・死因さへ聞き返さずに置く受話器一行のメモの書かないままに
・山積みの書類の中で鳴る電話受諾するのみ香典の額
・死去という連絡だけを伝えいる転勤通知以下の軽さで
・現実を受け入れられぬ棺かな名刺ケースは白き死者抱く
・繰り返す死亡連絡聞いている机の中の真白き名刺
・家族さえ知らないだろう藤色のケースに収まる名刺の白さ
なんとも初心者ぽい歌ですが、訃報の扱われ方に理不尽なものを感じてなんだか憤っていたことを思い出します。当時城陽で超結社の歌会をしていて、そこのメンバーのひとに「腹が立って、昼休みに十六首書いてその中の十首を塔に出しました」というと、「やるじゃない」と褒めて(?)もらったこともいま思い出しました。
上の一連は2000年の7月号に掲載された7首です。 河野裕子選の新樹滴滴(新樹集についてのコメントなどが書いてある欄)に、5首目と6首目の歌をひいて、「擬人法」についての疑問が書かれています。「もう少し、ことがらに即してあっさりと表現できないものか。」「擬人法で表現したほうが、歌に複雑な味わいが出たり高級感(?)が出るという思い込みが一般にあるのではないか。」など、これを新樹集にとりあげなかった理由を24行も使って書いてくださっています。4首目の歌については「散文的な歌い方に好感を持った一連であっただけに惜しい」とあって、いま読み返してもありがたいことだったなぁと思います。
また、4首目は永田和宏選百葉集に採りあげていただいて、嬉しかったことも蘇ってきました。(ビギナーズラックで、このあと長く4首時代が続くのですが)
ダム見学のあと、まだ時間が早かったので「伊藤久右衛門」で、パフェを食べました。私はスペシャルメニューの「紅葉パフェ」。日差しが強くて喉が乾いていたので、パフェとほうじ茶がとてもおいしかったです。 14時に義父母宅へいって買い物に行く約束をしていましたが、まだ時間があったので、パフェのすぐあとにお寿司を食べて(ランチタイムは安いのです!)、一旦自宅へ戻り、先週の続きでハゴロモジャスミンの剪定をして、買い物に行きました。
やらなくちゃいけないことが片付いて(短歌以外)、ほっとして昼寝。(このあいだもここを読んでいる人によく昼寝するね!と言われたのですが、休日の昼寝は体力を回復させるのに必要なのです)
きょうはこれから明日提出の塔のデータ修正と、月末締切の歌の推敲をする予定です。