このあいだの土曜日、息子が来ていて外食での待ち時間に永田紅さんの第五歌集『いま二センチ』を読んでいて。
・タンポポの茎の水車のくるくるを知らぬ人とは話が出来ない 永田紅
という歌にあって、息子に「これどういうこと?」ってきいたら、「え、話が出来ないなぁ」といいつつ、
「タンポポの茎の部分をうすく剥がすようにめくっていって、水につけたらくるんってなるねん。それでくるくる回したら水車みたいやねん」
と教えてくれた。へえ、そんなこと誰に習ったんだろう。最近、「小さいころから知っていた」と言われることが多くて、一緒に暮らしていても別の時間が息子には流れていたんだなぁと思う。あたりまえだけれど。
『いま二センチ』には子供が生まれる直前、妊娠期間、生まれてからの子育てという時間が丁寧に読み込まれている。そこに研究者としての物の見方や専門用語がでてきて歌集全体がゆるくなりすぎないようバランスがとれている。
・貝ボタンしずかに反りて生まれくる子どもの二十の爪を思えり
・猫よりも軽き体に乳飲ます右吸わるれば左より垂る
・掛け布団をぱったんぱったん蹴り上げる足が見たくてまた掛けにけり
・給油してふたたび出航するごとく眠りのなかへ戻りゆきたり
・両の手にもの打ちつけて遊びいるすでにひとりの静けさの裡に
それぞれの歌にはしみじみとした喜びや驚きがあって、二度と来ない時間や感情を書き留めているようだ。5首目の「ひとりの静けさの裡に」から連想するのは、母である河野裕子の歌、
・しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす 河野裕子『桜森』
河野の歌のほうは楕円を描くくらいの幼児なのだけれど、もっと小さい赤ん坊でもひとりの時間を持っていることに気が付いている。
・母の歌の前庭にわれら日を浴びてまだ本当のさびしさを知らず
・蟬時雨いま母あらば叱られむ私(わたくし)のこの甘やかされぶり
・似ていると言われ似ている私が鍋を覗いている夕まぐれ
・お母さん生きてればなあという思いそれぞれもちて箒を使う
・母あらば胡瓜とワカメの酢の物をガラスの器に作りてくれむ
母の歌には寂しさがにじんでいるけれど、鍋、箒、ガラスの器などをうまく入れて感情が強くならず冷静に詠んでいる。
そのほか、いいなぁと思った歌。
・網戸にはときおり欅の影ゆれて目詰まりしやすい光があった
・水路張り巡らし町を作るごと胸に血管目立ちはじめぬ
・菜の花は色か光か、川の辺は風か湿度か ともかくも春
・梅の木をくぐってだれか来ないかな二階の窓から眺めていたり
・窓、そうか蔦が睫毛のように揺れ伏し目がちなる家だったのだ
・干し柿のように灯って待っていて 日々の疲れに色はないから
とても自在に豊かに短歌の枠をいっぱいに使っていて、歌の隅々にまで光や風や色が行き渡っている。
短歌の包容力を再認識させてくれるような歌集だと思う。
・タンポポの茎の水車のくるくるを知らぬ人とは話が出来ない 永田紅
という歌にあって、息子に「これどういうこと?」ってきいたら、「え、話が出来ないなぁ」といいつつ、
「タンポポの茎の部分をうすく剥がすようにめくっていって、水につけたらくるんってなるねん。それでくるくる回したら水車みたいやねん」
と教えてくれた。へえ、そんなこと誰に習ったんだろう。最近、「小さいころから知っていた」と言われることが多くて、一緒に暮らしていても別の時間が息子には流れていたんだなぁと思う。あたりまえだけれど。
『いま二センチ』には子供が生まれる直前、妊娠期間、生まれてからの子育てという時間が丁寧に読み込まれている。そこに研究者としての物の見方や専門用語がでてきて歌集全体がゆるくなりすぎないようバランスがとれている。
・貝ボタンしずかに反りて生まれくる子どもの二十の爪を思えり
・猫よりも軽き体に乳飲ます右吸わるれば左より垂る
・掛け布団をぱったんぱったん蹴り上げる足が見たくてまた掛けにけり
・給油してふたたび出航するごとく眠りのなかへ戻りゆきたり
・両の手にもの打ちつけて遊びいるすでにひとりの静けさの裡に
それぞれの歌にはしみじみとした喜びや驚きがあって、二度と来ない時間や感情を書き留めているようだ。5首目の「ひとりの静けさの裡に」から連想するのは、母である河野裕子の歌、
・しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす 河野裕子『桜森』
河野の歌のほうは楕円を描くくらいの幼児なのだけれど、もっと小さい赤ん坊でもひとりの時間を持っていることに気が付いている。
・母の歌の前庭にわれら日を浴びてまだ本当のさびしさを知らず
・蟬時雨いま母あらば叱られむ私(わたくし)のこの甘やかされぶり
・似ていると言われ似ている私が鍋を覗いている夕まぐれ
・お母さん生きてればなあという思いそれぞれもちて箒を使う
・母あらば胡瓜とワカメの酢の物をガラスの器に作りてくれむ
母の歌には寂しさがにじんでいるけれど、鍋、箒、ガラスの器などをうまく入れて感情が強くならず冷静に詠んでいる。
そのほか、いいなぁと思った歌。
・網戸にはときおり欅の影ゆれて目詰まりしやすい光があった
・水路張り巡らし町を作るごと胸に血管目立ちはじめぬ
・菜の花は色か光か、川の辺は風か湿度か ともかくも春
・梅の木をくぐってだれか来ないかな二階の窓から眺めていたり
・窓、そうか蔦が睫毛のように揺れ伏し目がちなる家だったのだ
・干し柿のように灯って待っていて 日々の疲れに色はないから
とても自在に豊かに短歌の枠をいっぱいに使っていて、歌の隅々にまで光や風や色が行き渡っている。
短歌の包容力を再認識させてくれるような歌集だと思う。