ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

息子がいたこと

2023-09-21 22:40:49 | 日記
 14日に義父が亡くなって、15日の通夜に間に合うように息子が帰ってきてくれた。

 15日の午前中は大阪であった会議にでたあと午後から城陽へ。義父の施設の片づけもあるだろうからと火曜日(19日)まで休みをとってきたという。確かに施設は駐車場が狭いので、面会客の多い土日より平日のほうが動きやすいなと思って、施設に電話して19日に引き渡すことにした。

 息子は小さいころから義父母によく面倒をみてもらっていて、幼稚園に入るまでに義父がひらがなを全部教えてくれていた。いろいろ義父に対する思いもあるのだろう。

 15日。18時からの通夜。家族は16時半に会場入りをして打ち合わせをした。

 そのとき、息子が「この音楽かえられへんの? 気になる」という。そういえば、妹もお葬式でお義父さんを見送るときの音楽は野ばらがいいんじゃないかなと助言していてくれていた。ああ、そうやね。

 担当者に尋ねると、音楽は変えられるという。

 それではじめは息子がSpotifyで野ばらを検索してみたけれど、だいたい歌がついているので、ちょっと合わない感じ。いろいろ考えて、義父母が社交ダンスを長くやっていたことを思い出し、ワルツを流そうということに落ち着いた。会場の雰囲気が途端に華やかになって、ああ、いい感じだなぁと思った。

 やっぱり長く音楽に携わってきたのでそういうところに気持ちがいくんだな。

 「だって、なんでジブリやねんって思って。docomoの待ち合いみたいやってんもん」 息子談。

 通夜も葬儀もお坊さんのお経のとき以外はワルツが流れていて、お義母さんも降りてきているようだった。

 葬儀が終わってからも、お墓掃除、実家の草引き、施設の片づけ、市役所巡り、年金事務所の手続きなどいろいろ手伝ってくれてすごく助かった。5日間フル回転。私たちのときにも困らないようやっておいてもらってよかった。

 お義父さんも喜んでいると思う。



 
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お義父さんの友人

2023-09-20 22:19:24 | 日記
 2019年の11月に義父は老人介護施設に入所し、先週、2023年9月14日に亡くなった。

 施設の暮らしをとても気に入ってくれていた。この施設には習字、絵画、英語、カラオケなどのレクレーションなどいろいろな「習い事」が用意されていて、それぞれ参加費用は無料。毎月の施設使用料に含まれている。

 好奇心旺盛な義父は習字、絵画、英語、レクレーションとすべての習い事に参加していた。

 社交的ですぐに仲良しの友人ができたことを、面会のときに話してくれた。

 印象に残っているのは義父が「先輩」と呼んでいた男性で、父より4つほど年上で、戦争にも行かれたという人物。ドイツ語が堪能で、語学好きの義父とは気が合ったようだった。私が「お友達ができてよかったですね」と言ったら、「お友達ではなくて、先輩です」と義父に正されたことを懐かしく思い出す。

 先輩は義父にドイツ語で「野ばら」の歌を教えてくれたそうで、覚えるためにドイツ語で紙に書いてもらったと聞いていた。義父に歌ってもらう機会はないままだったけれど、たぶんふたりで歌ったのだろう。

 きのう、施設の片づけにいったとき、「野ばら」の歌詞が額に入れてあるのを見つけた。

 ああ、そんなに大切にしていたんだ、と思った。先輩は数年前に施設で亡くなられたということだった。

 そして、その額のとなりには与謝野晶子の短歌「やははだの」の歌が収められた額も飾ってあった。同じフロアのとても上品な女性を紹介されたことがある。私たちが面会に行っているときに、廊下であって「お父さんにはお世話になっています」と挨拶された。

 そのまま部屋にも入ってこられて、「この額、私が晶子の歌を書いてさしあげたんです」と教えてくださった。

 

 お義父さん、施設でも新しい交友関係を築いて楽しくされているんだなと安心した。

 亡くなる数日前に義姉が面会にいったときも、ここはほんとうにいいところでねと言っていたと聞いた。コロナがなかったらもっと頻繁に会いに行けたのにということ、この5月以降はコロナ対応も緩和されていたのに、あんまり面会に行ってなかったことが悔やまれる。

 施設の廊下や自室に飾ってあった絵画や習字の作品をたくさんもらって帰ってきた。

 義姉や姪たちと分けようと思う。
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義父の逝去

2023-09-14 22:04:20 | 日記
 きょうの未明、義父が亡くなった。96歳。

 朝からJR奈良線が運休したり遅延していたりして、タクシーで近鉄寺田まで行き、10時に出社。午後から出張。18時から20時すぎまでセミナー立ち会い。

 21時帰宅、夕食、入浴。22時22分から始まる「短歌ラウンジ」にそなえつつ髪を乾かしていたら義父の施設から電話があって、21時すぎに廊下で転んでいるところを巡回スタッフが発見して、意識はあるけれど首が痛いというので救急搬送してもいいかということだった。

 すぐに搬送先も決まって、家族もきてほしいという。いつも不死鳥のようによみがえる義父なので、

 「いま、お風呂上りで髪がびしょぬれなんで乾かしてからでいいですか」 と、のんきな対応をしていた。
 「では1時間以内に到着されるということで」

 22時半に夫と家を出る。帰りは24時を過ぎるかもしれないので、ガソリンも入れる。

 23時ごろに病院へ着いたら、義父も10分ほどまえに着いたばかりだった。意識はあるらしく、自分の名前もちゃんと答えていたという。でも、担当になった女医が「お父さん、もう死にかけてます」とはっきりいう。

 血圧も低く、酸素も鼻から入れているけれど、数値がどんどんさがってきている、とのこと。

 義姉に電話する。「朝までもたないかもしれない」と言われたので。と、同時に入院手続きもしないといけないとかで、書類をたくさん書いてハンコを押す。朝までもたないかも、という状態の人のこれからのオムツのタイプを選べといわれてもなぁ、となるべく悲しい未来から遠ざかるようにいろんなことを考えていた。

 義姉と義兄が到着。4人でお義父さんのそばへ行く。少し息があらいけれど、そんなに苦しくはなさそうだった。手を握ったり、声をかけたりして励ます。

 0:19 すべての数値がゼロになった。お義父さん、がんばりましたね。おつかれさまです。

 原因が特定できないので死亡診断書が書けないとのことで、警察が来る。いろいろ質問されたり、先生と警察のひとが話し合ったり。長く待つ。結局、施設の担当医に連絡して、担当医と女医さんとで話し合って、女医さんが書いてくださることになった。

 それから葬儀屋さんに電話をしたら、これから引き取りに行って、打ち合わせとか言われたけれど、かなり疲れていたので、病院はお昼までならそのまま安置してくださるというので、11時に引き取ることになった。

 こののち、めまぐるしくいろんなことがあったけど。

 阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を決めた。おめでとう。

 悲しいだけの日にならないよう、お義父さんの計らいかもしれない。チェコも全国大会も行かせてもらえたし、最後まで優しい人だった。あんなふうに歳を重ねたいと見本にしたいような晩年だった。

 このブログもお義父さんは大人気で、お義父さんのことを書くとアクセス数が伸びた。

 ずっと、お義父さんのことを見守ってくださったみなさん、ありがとうございました。

 明日が通夜であさってが告別式。ちゃんとお見送りします。こんな私をいつも頼りにしてくれていたお義父さん。これからも安心してもらえるよう、命を大切に精いっぱい生きます。私の大切なものを大切にしてくださって、ありがとうございました。


 
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塔全国大会2023in博多 オプショナルツアー熊本

2023-09-12 21:19:29 | 日記
 9月11日から12日は塔の全国大会のため博多へ。

 博多は何度か訪れているけれど、活気があって賑やか。交通の便もよくて。会場の福岡国際会議場は大きな窓から海が見えて、きれいで過ごしやすい会場だった。

 シンポジウムのプログラムは盛りだくさんで「歌合わせ」、吉川宏志さん、栗木京子さんによる対談「短歌における文語と口語」、山下翔さん、川本千栄さん、平出奔さん、梶原さい子さん(司会)によるディスカッション「口語と文語の線引き」。

 会員外の方もたくさん来られていて、会場は満席だった。福岡の赤煉瓦歌会のみなさんはずっと延期になっていたのがようやく開催となってほんとうに数年間やきもきされていたと思う。盛会となってほっとしたことと思う。感謝したい。

 夜は久しぶりの懇親会。コロナで大会が延期になったり、懇親会なしで去年は開催されたりで、やっぱり食事をしながら人と話すのは楽しいなぁとしみじみ思った。山下翔さんも来られていたので、いろいろお話できたのがよかった。前に山下さんの第一歌集『温泉』の書評(短歌研究)、第二歌集『meal』の書評(うた新聞)を書いて、結構思ったことをストレートに書いたのでどうだったかなと気になっていたけれど、とても喜んでくださっていたのでほっとした。

 2日目は全体歌会と表彰式。実は前日の夜中に目が覚めて3時半から6時までサッカーの試合を全部見てしまったので(ドイツ戦 1-4で日本の勝利!)、それから目がさえて眠れなかったのでそのまま8時にホテルを出て、9時から歌会と言う流れでかなり眠かった。

 それから今回はオプショナルツアーも参加した。そのため、2日目の夕方には熊本へ移動。ホテルに立ち寄ってチェックインをしたのち熊本城が目の前と言う立地の懇親会場へ。参加者が30人余り。思ったよりも多い。やっぱりみなさん、裕子さんの歌碑や生家跡の見学には行きたいよねぇと思う。

 ホテルへ戻って、偶然に同じホテルをとっていたSさんと24時くらいまで話し込む。(部屋も偶然近かった)

 それから1時くらいに就寝。8時前にホテルをでて徒歩で集合場所へ。そこからバスで御船町へ。町役場に裕子さんの歌碑が今年の春に建立され、拝む。触ってもいいということで、みんなで歌がうまくなるよう(?)触ったりした。季節外れのベニバナマンサクが返り咲いていたり、後ろの細い川にはハグロトンボが群れていたりして。藤木町長さんや教育長さんがわざわざ挨拶されたり、土地の人、土地そのものに歓迎されているような気がして嬉しかった。

 そこからバスで移動。生家あとのある七滝へ。池があって湿度の高い場所のようで、歩道にもびっしり苔が生えていた。裕子さんとゆかりのある人たちのお墓や山道をうねうねと歩いて登って生家跡にたどり着く。地元の方々がきれいに草刈りなどをされてこの日のために整備されたことがわかってとてもありがたかった。

 

 

 熊本歌会のみなさんのお心配りが感じ取れるすてきなツアーだった。

 短歌づくしの3日間。みなさん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
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シーズンオフ

2023-09-08 22:05:13 | 日記
 このあいだまで野葡萄の花のまわりをぶんぶん飛んでいた蜂が来なくなった。

 あれ、と思うほど。

 朝の気温が下がったせいだろうか。

 シーズンオフに入ったのか。 野球選手みたい。 夏場だけ働く。(野球選手はシーズンオフでも練習とかしてるけど)

 そして、アサガオの数が増えた。

 水色あさがおは小さいけれどかわいい。ガレージにいっぱい咲いていた。

 そして、宇宙アサガオは一旦、上の方まで登って行ってたのに、また下のほうから蔓を伸ばして、真ん中あたりで花をつけた。


 


 きょうは与謝野町出張のはずだったけれど、倒木があったとかで電車が途中で止まっていて、私の乗車予定の特急は運休になってしまった。京都駅から引き返す。払い戻しの窓口に長い列ができていた。

 会社に戻ったのが11時すぎ。9時半までにやらないといけないことがあったから、7時半すぎに出社してがんばったのにな。ゆっくりやればよかった。

 と、思っていたら午後から急ぎの仕事がつぎつぎやってきて、出張がなくなってよかった。

 あしたからの全国大会の準備は10分くらいで終わった。

 実家へ行くのも、チェコに行くのも、博多へ行くのも同じ準備。入れるものは決まっているから。

 台風が心配。うまくみなさんに会えますように。

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