きょうは義姉の誕生日です。 早起きをしていちじくを買いに行きました。 強い風にゆれながらガレージの水色の朝顔も元気に咲いています。
・念力といふを使ひて今朝われは青いあさがほの縁(へつり)を歩く
(河野裕子『歩く』)
こんな歌を思い出しながら、車に乗っていました。 そして、またCDがそのままになっていたので流れる音楽は童謡・唱歌です。河野さんの歌の懐かしさは、私が子供のころに意味もわからず歌っていた童謡や唱歌に繋がります。
・光りにも匂ひあるなりこの庭に去年(こぞ)も咲きゐし白きコスモス (『庭』)
・射干(しゃが)の花の匂ひと思ふ淡泊(あわしろ)いこのあけ方の月のひかりは(『家』)
「光に匂いがあることに確信を持って作品にできたのも草花との親しさゆえだろう」と、2011年塔8月号河野裕子記念号の「草花の歌20首」という場所に書いたのですが、それだけではないとあれから3年が経って思うようになりました。
『朧月夜(おぼろづきよ)』 作曲:岡野貞一 作詞:高野辰之
菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し
この歌のにおいは菜の花のにおいなのかもしれませんが、メロディにのせて口ずさんでみると、景全体を照らしている夕月の光の匂いのように思えてくるのです。
月の光に匂いがある、といわれてもすうっと入ってくるのは、頭のどこかに仕舞われているものが受容させているのかもしれません。
『花』 作曲:滝廉太郎 作詞:武島羽衣
見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言ふ 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を
この歌を聴いて「手をのべて」が気になるようになったのは、河野さんのお別れの一首
・手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が (『蝉声』)
を知ってからです。 こんなふうに人の記憶はいろんな体験や感情がからみあって、気づいていなかったことに気づいたり、深い場所に仕舞われていたものが表に浮かび上がってきたりして、それがまた新しい形になって残っていったり、忘れていったり、仕舞われてゆくものなのかもしれません。