ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

ゆず

2023-11-29 23:27:23 | 日記
 このあいだの日曜日、父の葬儀のあと、実家の庭の掃除とゆずの収穫をした。

 誰もなんの世話もしないのにゆずはたっぷり生っていた。柿はひとつも生らなかったのに。

 ただし、ゆずの枝には鋭いトゲがあって、触れるとかなり痛い。

 息子「なんでゆずってこんなトゲあるんやろな」
 私 「実のわりにトゲが鋭いよね」
 息子「たかがゆずのくせに。そんなにほしがられてへんって。そやのにこんなに防衛して。自意識過剰やな、ゆずは。昔話にもでてけえへんし。柿やったらおにぎりと交換したいって思うけど、ゆずなんかいらんわって話にもならへん」
 
 あまりにトゲがたくさんあって、息子とぶつぶついいながら採る。ぶつぶついいつつ、100個近く採れた。

 きのう、あなたを読む会におすそわけに持って行って、あした会社のひとに少しずつ分けることにした。それでもまだ30個くらい残るから、週末にジャムを作ろうと思う。

 私は好きだけどな。ゆず。
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父がいなくなっても

2023-11-28 22:57:36 | 日記
 きょうは洗濯を2回まわして、喪中の葉書をリメイクし、10時ごろに家をでた。

 京都駅でいろいろ用事をする。

 父がいなくなっても伊勢丹では阿闍梨餅を売っているし。

 中央郵便局の窓口は親切に対応してくれるし。

 京都駅は外国人で溢れているし。

 そして御所は広い。

 

 
 

 京都駅の地下でおにぎりと唐揚げを買って、御所へ向かった。きょうは午後から塔事務所であなたを読む会。

 いつもなら事務所でおにぎりを食べたりするのだけど、天気もいいしきっと紅葉が綺麗だろうと思って御所で食べることにする。

  

 お父さん。御所だよ。いっしょに来たことなかったなぁ。外でお弁当を食べるのが好きだったから、連れて来ていっしょに食べたらよかったな。

 紅葉もイチョウもきれい。

  

  
 私が座ったベンチの後ろに外国人が何人も来て写真を撮っていた。人がいなくなって振り返ったら、気持ちよさそうに猫がひなたぼっこをしていた。わぁ、みんなこの子を撮っていたんだ。ぜんぜん動じない。ふわふわ眠っている。

 父が亡くなって、とても近くにいるような気がしている。父が見たことのないものを私が見て、父が行ったことのない場所へ私が行って。これからは父は私だ。父からもらった命だから大切に使いたい。

 きょうはふたりお休みで、3人でそれぞれの歌をじっくり読みあった。褒め合ったりするんじゃなくて、もうすこし工夫できるとか、平凡になってるとか、まだがんばれるはず、というようなことを言い合って、やる気になっていくのがわかる。そうだな、妥協していたかも。と反省する。そして、まだがんばっていまよりはいいものが作れる気がしてくる。

 帰りは急に寒くなった。

 バスを降りて、家に帰るときに空を見たら、一部分だけオレンジ色になっていた。

 お父さん。夕焼けだよ。

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2023-11-27 19:48:18 | 日記
 写真はきのうの朝の雲。

 9時ごろ、葬儀場へ向かう高速で窓からみた雲が不思議だった。

 うろこ雲のようだけど、うろこの一枚一枚が透き通っていて、その間から太陽が見えたり隠れたり。

 きれいだな、と思った。

 葬儀の打ち合わせは10時から。葬儀は13時から。

 流す音楽は美空ひばりの愛燦燦にした。 前日遅く帰ってきていた息子といろいろかけてみて、これがいいんじゃないかということで。この歌、小椋佳の作詞作曲だったんだな。

 ♪ 
   人は哀しい 哀しいものですね
   それでも過去達は 優しく睫毛に憩う
   人生って 不思議なものですね

 初めて喪主を務めた。そんなにたいしたものではないけれど。

 葬儀屋さんがとても親切で、いままででいちばんよかった気がした。身内を亡くした人に寄り添ってくれた。

 葬儀が終わって着替えてから母に会いに行った。母はとても元気そうで、施設のホールに飾ってあるクリスマスツリーを「うちのツリー」といって自慢していた。一緒に面会した息子のことを、途中まではわかっていないようだったけど、会話のなかで「Rちゃんが」とか言ったら、「え、Rちゃん?? Rちゃんなの?」といって、思い出してくれた。

 息子「そうやで、大きくなったやろ」
 母 「ほんと、全然わからなかったわ」

 たぶん、母の中の孫というのは小学生くらいのイメージなんだろう。

 それから実家へ行って、庭の掃除や柚子の実の収穫をしたりした。お好み焼きを食べて息子は帰って行った。私たちは泊まって、今朝は9時から区役所でいろんな申請や保険証の返還などをすませた。

 父のお骨はいま私の自宅にある。寂しがり屋だったから、私の部屋のとなりに祭壇を設置して写真や花を飾った。

 それでもちょっと寂しいので、あとから夫の実家のぼんぼりを借りてくるつもり。写真の父は笑っていて、「ようやってくれたな」と褒められている気がする。

 悲しみより、やれることはすべてやったというか、娘の責務を果たしたという気持ちでいる。

 きのうの朝、出掛ける時に息子が「悲しいことは今年中に全部終わる」って言ってくれたこと。とても励まされた。そうだね。新しい年はきっといい年だね。

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美しい日

2023-11-25 01:27:51 | 日記
 今朝、出勤してすぐに両親のいる施設から連絡があり、父の容態が悪いことを知って、施設へ向かった。

 急にお金が必要かもしれないから、ATMでお金をおろし、きょう司会の当番だった神楽岡歌会のもうひとりの司会のHさんに電話をし、事情を話し、どうにかしていま持っている詠草集をどこかで受け渡すかFAXしたいことを告げる。会場は京都駅近くだから受付に預けようかとかいろいろ考える。そして妹にも知らせる。
 
 もし京都駅で電車の時間があったらそうしようと思う。歩きながら乗換情報を見ると、京都駅では5分しか時間がない。ああ、これは無理だなと思って、とりあえず後から考えることにする。

 たまたま夫が振り替え休日で自宅にいたので、一番早いのは城陽駅から車で向かえば10時30分には施設に着ける。

 そのうちにHさんから連絡があって、きょうの詠草集はHさんが作るから大丈夫、心配しないでということだった。涙がでそうなくらいありがたかった。こういうとき、共通のGmailを使っているのでいざというときに助かる。皆さんの歌は私もHさんもふたりが確認できる。きょうはいざというときだからお願いした。

 空は晴れていて、泉北で高速を降りて、見慣れた道を進む。私と妹の高校の前も通る。

 イチョウや楓がきれいに色づいて、ああ、なんてきれいなんだろうと思う。こんなに美しい日に父はこの世から、私たちから離れていくんだなとぼんやりと考えていた。父らしい日だ。

 施設に着いたのは10時30分くらいで、父は9時55分に息を引き取っていた。

 小さくなった父のベッドがとても広く白く感じられた。がんばったね、お父さん。覚悟はできていたし、これからやらないといけないことを考えると涙はでなかった。葬儀屋さんやお墓の管理会社に連絡をする。

 12時すぎに妹夫婦がやってきて、お別れをする。13時にお迎えの車がきて、斎場の霊安室へ父は運ばれていった。それから私と夫は葬儀会社の事務所で打ち合わせ、妹夫婦は施設の部屋の片づけと実家の郵便物のチェックに行ってくれた。葬儀は家族だけですることにした。母には話していない。認知症が進んでいるので、話せば何度も父の死を知り、何度も悲しむことになるだろう。

 父と最後に会ったのは両親の結婚記念日の10月26日。あの日も微熱があるとかで、母と記念写真を撮ってすぐに自室へ運ばれていった。

 眠れないわけじゃないけれど、なんとなくきょうが終わるのが寂しくて起きている。新しい日が始まったら、もう父のいない時間が始まるんだなと思うと。

 長い間、生きていてくれてありがとう。 冷蔵庫に入っているものの消費期限の数字。みんな父が生きていた時間に買ったもの。だけど消費期限は父のいない近い未来。これからは父のいない時間に買ったもので埋まっていく。11月24日までの時間。干し柿、本の付箋、スマホのなかのたくさんの写真、冷蔵庫の扉にマグネットでとめたレシート。父といっしょに生きていた時間が新しい過去になっていく。

 あしたからは父のいない時間が流れていく。
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ハーモニカ

2023-11-22 23:11:48 | 日記
 きのうはセミナーが早めに終わったので、最寄り駅に着いたのもはやく、バスの時間までに30分以上あったので、きれいな夕暮れだったし、少し遠回りして帰った。

 線路沿いに寺田駅から南へ向かい、文化パルク城陽(図書館)の並木の間を抜け、田んぼに沿って歩いた。

 少しずつ夕暮れていく。

 むこうのほうには作りかけの第二名神の橋脚が見える。

 なんだか、ハーモニカの吹く口みたいだなと思ってしばらく眺めていた。

 そういえば、父はハーモニカが得意で、私たちが子供のころはよく吹いていた。

 ギターもうまくて。

 いまは施設で皮膚の病気で隔離されているらしい。

 少しずつしかよくならないみたいだけれど、本人はかゆくないと言っていると、きょう施設に電話したら教えてくれた。

 二度とハーモニカを吹くこともギターを弾くこともない父だけれど。会うたびになんだかぺしゃんこになっていく父だけれど。

 でも、記憶のなかにかっこいい父はいる。弱っていく父が悲しくて、家で介護の手伝いをしていたときは、ひどいことも言ったけど、父を否定していたわけじゃないよ、といまは思う。少し父と距離がとれてきたからそう思えるんだろう。

 どんな父になってももう悲しまないし傷つかないから。

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