ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

くだもの三昧

2014-09-30 22:28:40 | 日記

 夏から秋にかけてはくだものが世の中に溢れて、買い物が楽しくなります。

 

 今年はずっと買ってきたいちじくおじさんが、所定の場所に来なくなってしまったので、新しい「お気に入り」を探して回りました。 いくつか買ってみて、安くておいしいいちじくを売ってくれる家を見つけました。自宅のガレージで売っているのですが、ひともり200円(ジャム用)、250円(自宅用)、300円(すぐに食べるお使い用)、400円(贈り物用)と4段階にわけてあるところも買いやすくていいのです。

 

 仕事が休みの日は早起きをして通い続けたので、夏の終わりになると「いつも買ってくれるから」といって、1パックにつき小さいいちじくのおまけがつくようにまでなりました。

 

 いちじくと平行して、たくさん食べたのが葡萄。 知り合いのひとから立派な紫色の葡萄3房(京都産)がとどいて、果物好き(私と息子の朝食は果物のみ)の息子と嬉々として食べました。そのあと、8月の再校作業では差し入れの紫の葡萄とマスカット(岡山産)をいただき、9月の再校作業では永田邸に差し入れられたピオーネとマスカット(山梨産)をいただき、お皿に残っていたのも「持って帰ったら」と勧められて持ち帰っておなかいっぱい食べました。葡萄をおなかいっぱい食べるなんて、なんて贅沢なんでしょう。

 

 そして、恒例の母の実家から鳥取産の20世紀が箱で届き、朝食と夕飯のあとに楽しみました。 そして、きのう母から電話があり、「大阪産の葡萄をたくさんいただいたから、おすそわけに送った」というのです。ちょうど梨もあと3つになって、心細くなっていたところでした。なんというタイミングのよさ。

 

 10月の半ばには実家へ柿の収穫にいきます。

 

 日本に古くからあるいちじくとか柿とか。子供のころはそんなに好きではなかったのですが、大人になって好きになりました。 

 

 柿のあとはみかん。 そう考えるともう冬がすぐそこまで来ている気がします。

 

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神楽岡歌会

2014-09-28 22:00:13 | 日記

 このあいだの金曜日は神楽岡歌会でした。

 

 いつものように早く到着した人と机を並び替えたりして、椅子に座っていると、「きょう、司会を替ってもらえませんか」という申し出が島田さんからありました。

 

 なにか不都合でもあったのかなと思って、「いいですよ」とお受けし、眼鏡をかけてひとつずつ歌を読んでいきました。

 

 司会も選をするので、はじめは作者名を見ずに票を入れ、それからみなさんの票をカウントし、作者に自分の歌が当たらないようにしながら進めていきました。 司会をしてみてわかったのは、みんなに向かって評をする人と、司会者に向かって評をする人がいること。

 

  真剣な表情で私に向かって語られると、なんだか母になった感じがして、頷きながらこっちも一生懸命聞きました。

 

  この歌の批評はこの人に聞いてみたいな、と思って指名できますし、なにしろいきなり自分が当たることがないので、落ち着いて(?)座っていられました。 さすがに終わったら急におなかがすいてきて、そのあと行った居酒屋で、ばくばく食べていると、「藤田さん、きょうの司会、とてもよかったので(ほんとかなぁ)、これからしばらくやってもらえませんか」と言われ、みなさんも島田さんの批評をたくさん聞きたいだろうな、と思ったので引き受けることにしました。

 

  「きょうの歌の読み方やけど、ちょっと詠草だして」と、隣に座った先輩のレッスンが始まりました。 一回目と二回目では読み方を変えて読むとか、切る場所を意識しながら読むとか、大切なことを教わりました。なんでもやってみるといままで気づかなかったことがわかっておもしろいです。

 

 塔に入って14年。 だんだん自分より新しい人のほうが多くなってきて、なかなか歌の読み方まで教えてもらえる機会がありません。 そういう意味で、神楽岡はまだ3年の新米なので、 自分にもまだ「伸びしろ」があるような気がすることが嬉しいのです。

 

 帰りはその日初めて来られたかわいい人とふたりで笑い転げながら帰りました。

 

 

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パフェ日和

2014-09-27 21:43:34 | 日記

 きょうは、すっきり雲ひとつない秋晴れでした。 両親の代理でお墓の契約に宇治へ。

 

 このあいだはじめて見に行った日も晴れていましたが、きょうは空の奥から私の足元までなんにもないような青一色で、整えらえた広い芝生の上を歩いていても歩いている実感がなく、心細さがこみあげたりしました。

 

 用事が思ったよりはやく済んだので、家族で天ヶ瀬ダムへ寄り道しました。 15年くらい前(もうそんなに経つことに驚きますが)、天ヶ瀬の発電所で仕事をしていたことがあって、当時の職場へも行ってみました。きょうはお休みで門が閉まっていましたが、門の隙間からあおい柳が見えました。

 

 タクシーで通勤していたので、ああ、あの柳の下に立って宇治川を眺めたりしてタクシーが来るのを待ったなぁと、あのころのことを思い出しました。

 

 そうそう、塔へはじめて投稿した歌も、あの職場でお昼休みに書いたのでした。 

 

   ・他支店の同期の訃報受けたあと業務に戻る新任課長

   ・死因さへ聞き返さずに置く受話器一行のメモの書かないままに

   ・山積みの書類の中で鳴る電話受諾するのみ香典の額

   ・死去という連絡だけを伝えいる転勤通知以下の軽さで

   ・現実を受け入れられぬ棺かな名刺ケースは白き死者抱く

   ・繰り返す死亡連絡聞いている机の中の真白き名刺

   ・家族さえ知らないだろう藤色のケースに収まる名刺の白さ

 

  なんとも初心者ぽい歌ですが、訃報の扱われ方に理不尽なものを感じてなんだか憤っていたことを思い出します。当時城陽で超結社の歌会をしていて、そこのメンバーのひとに「腹が立って、昼休みに十六首書いてその中の十首を塔に出しました」というと、「やるじゃない」と褒めて(?)もらったこともいま思い出しました。

 

  上の一連は2000年の7月号に掲載された7首です。 河野裕子選の新樹滴滴(新樹集についてのコメントなどが書いてある欄)に、5首目と6首目の歌をひいて、「擬人法」についての疑問が書かれています。「もう少し、ことがらに即してあっさりと表現できないものか。」「擬人法で表現したほうが、歌に複雑な味わいが出たり高級感(?)が出るという思い込みが一般にあるのではないか。」など、これを新樹集にとりあげなかった理由を24行も使って書いてくださっています。4首目の歌については「散文的な歌い方に好感を持った一連であっただけに惜しい」とあって、いま読み返してもありがたいことだったなぁと思います。

  

  また、4首目は永田和宏選百葉集に採りあげていただいて、嬉しかったことも蘇ってきました。(ビギナーズラックで、このあと長く4首時代が続くのですが)

 

  ダム見学のあと、まだ時間が早かったので「伊藤久右衛門」で、パフェを食べました。私はスペシャルメニューの「紅葉パフェ」。日差しが強くて喉が乾いていたので、パフェとほうじ茶がとてもおいしかったです。 14時に義父母宅へいって買い物に行く約束をしていましたが、まだ時間があったので、パフェのすぐあとにお寿司を食べて(ランチタイムは安いのです!)、一旦自宅へ戻り、先週の続きでハゴロモジャスミンの剪定をして、買い物に行きました。

 

  やらなくちゃいけないことが片付いて(短歌以外)、ほっとして昼寝。(このあいだもここを読んでいる人によく昼寝するね!と言われたのですが、休日の昼寝は体力を回復させるのに必要なのです)

 

  きょうはこれから明日提出の塔のデータ修正と、月末締切の歌の推敲をする予定です。

 

 

 

 

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すずしきまなこ

2014-09-25 19:53:09 | 日記

 きょうは、京都平日歌会でした。 午前中は塔のアンケートの発送をして(お手伝いに4人の方にお手伝いいただきました)、午後は18名の歌会。

 

 台風が心配でしたが、お天気も回復し、1時には全員が揃いました。 前半9首、後半9首にわけて、比較的ゆっくりめに進んでいきました。疑問点や、初めに出た読みとは反対の読みが出たりして、なんどもなるほどなぁと思いました。 ときどき、自分の体験のみを話す人や「ええ~??」というような意見も出るのですが、時間がゆったりしているせいか、そういうところまで楽しめるのがこの会のいいところです。

 

 きのうは水曜日でした。 すっかり忘れていました。 水曜日は短歌の日です。 もう木曜日ですけど、このあいだ読んだ葛原妙子の『葡萄木立』からいくつかご紹介します。

 

  ・郵便受の硝子に月光の差しゐたりひとふさのみどりの葡萄をおもふ  

 

  ちょうど、いま葡萄のシーズンで、美しいみどりや紫いろの葡萄を見ていると、これは食べ物だろうかと思うことがあります。 郵便受の硝子(どういうものかわかりませんが)に月光が差していて、そこに完成された美しいものを見たのかもしれません。

 

  ・口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも

 

  葡萄と目という組み合わせは、いまではよく見かけますが、昭和30年代ではまだ珍しかったのではないでしょうか。 塚本邦雄の「突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」(『日本人靈歌』という生卵と目の歌を思い出したりしますが、葛原妙子の歌は自分の目に還ってきているところが余計に恐ろしい気がします。

  河野裕子の「君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり」(『ひるがほ』)はずいぶんあとの歌の歌になりますが、水たまりと匙に「君」とのつながりが見えてまた別の展開になっています。

 

  ・原不安(げんふあん)と謂(い)ふはなになる 赤色(せきしょく)の葡萄液充つるタンクのたぐひか

 

 この歌はとてもよくわかる歌でした。不安や恐怖が兆すとき、これはどこからやってくるのだろうかと考えます。怯えたくないのに身体が感じ取ってしまうなにか。なにも恐れることはないはずなのになんでこうなるんだろうと思うとき、「赤色の葡萄液充つるタンク」みたいなものか、といわれれば、そうかもしれないと思います。赤色を「あかいろ」といわずに「せきしょく」と読ませたところが繊細で、「あかいろ」だとこの不安な感じは全く出ません。「せきしょく」だから、ちょっと黒っぽい、女性の身体からでてくるような赤い色を思わせて、それがたぷたぷとタンクに充ちているのは本当に恐ろしいです。

 

  ・消火器の深紅は家隈に立ちをりてなにぞしばしばもわれをおびやかす

 

 消火器の深紅もぎょっとするのですね。 じっと見つめられているような気がするのかもしれません。自分の怖いものに挑んで歌にする姿勢に敬意を表します。怖いものを作品化するには凝視しなければならないので、題材はたくさんあっても作品化できないことが多い私は、見習わないといけないと思いました。

 

  ・ふとおもへば性なき胎児胎内にすずしきまなこみひらきにけり

 

 胎児は母親の胎内に宿ってから何週目で光を感じるようになるとか、耳が聞こえるようになるとか、いまでは情報がたくさんありますが、自分の胎内にいる胎児がまだ性別もわからないのにまなこをみひらいているというイメージは、かわいいというより怖い感じがします。「胎児」と呼んでいるのもかなり突き放した言い方です。 

 私は2度流産をしましたが、「この子は育っていない」と医者にいわれたとき、窓の外に見えるキウイの蔓の先に溜る雨粒よりも小さい命ともうすぐお別れをしないといけないと思うと、本当につらくて、一度も雨というものを見ることもなく、終わっていく命が不憫でなりませんでした。 命はヒトとか魚とかという種類が先にきまるのか、雌雄が先にきまるのか、光を感じる機能が先なのか、そんなことをぼんやりと考えていたことを、この歌を読んで少し切なく思い出しました。

 

 

 

 

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すみませんでした。

2014-09-24 20:35:39 | 日記

 今朝、京都へ向かう快速で、偶然にボックス席のひとつが空いて、座ることができました。

 

 鞄から本を出して読み始めてすぐ、頭のうえから、 

 

 「すみません」という男の人の声。

 

 「女の子が具合悪そうなんで、席をゆずってもらえませんか」

 

  あわてて立ち上がると、電車の床に女の子がぐったりと横たわっていました。 私の隣の人も立ち上がり、女の子は二人分の席で横になりました。貧血のようです。あまりにも青白い顔をしていたので、

 

 「車掌さんに連絡して降りたほうがいい?」 と訊いてみると、「大丈夫です」と小さな声で女の子は言いました。

 

  そこから京都駅までがとても長く感じました。 京都駅に着いた時、さっきの男性が私に「すみませんでした」と言うので、思わず、「いえ、こちらこそ、どうも」というへんてこな返事をしました。

 

  女の子はゆるゆると立ち上がって歩き出したので、「どこまでいくの?」と訊くと、 「長岡京です」

 

 「あそこのベンチで休んでから行ったほうがいいよ」

 「はい、そうします。 ありがとうございました」

 

  そして、今度は帰り道。市バスに乗っていて、もうすぐ京都駅というときに、外国人が私の隣にいた男性に五千円札を両替できるか、ときいてきました。

 

  男性は「僕は持ってないですけど、運転手さんにきいてみます」といって、訊いてあげていました。 次のバス停で運転手さんはサイドブレーキをひき、

 

 「どなたか、五千円札を両替できるかたはおられますか」 というアナウンスをしました。 そのアナウンスが流れる前に乗客の何人かは状況を察知してお財布を調べていました。すぐに坐っていた女性が

 

 「ありますよ」といって千円札を五枚差し出しました。 仲介してあげた男性は「どうもすみません、ありがとうございます」と、いい、外国人も「アリガトウ」と日本語で言い、運転手さんも「ご協力ありがとうございました」とアナウンスしました。

 

 人のためにすっと「ありがとう」とか「すみませんでした」って言えるっていいなぁと思いました。

 

 

 

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