ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

きょうのいろいろ

2014-06-30 22:28:11 | 日記

 きょうはいろんなことがありました。普通の出勤日だったんですけどね。

 

 まず、先週の木曜から4日連続のお休みだったので、机が見えないくらいにいろいろ置かれてありました。どんよりしかかったとき、向かいの席の私のパートナー、H氏が、

 

 「ふじたさん、塔のイベント、申し込みましたよ。往復はがきの返信もきましたよ」

 「ほんとですか!! わーありがとうございます」

 

 H氏、いい人です。日曜日には大学の就活セミナー講師をしたりしておられるので、「見せ方」に興味があるのだそうです。がぜん、テンションがあがります。さーかたずけるぞ、と思ったら、隣のN君が悲壮オーラを放っています。ガルーンでスケジュールを確認すると「午後から総会」となっていました。「午後から出るの?」ときいたら、「いえ、11時なんですけど、準備が・・・・」

 自分の仕事が一段落したら手伝うよ、といって120%の力をだして(それでも最近は普通のひとの80%くらいの仕事ののろさ)、ようやく10時くらいから手伝う。銀行行ったり、旅費の袋を作ったり、会長印をばんばん押して封筒にセット・・あとなにかあるかな、ときこうとしたら、隣の部署のH氏が

 

 「ふじたさん、きょう時間ありますか。いや、いたって簡単なことなんです。コピーだけですから」(簡単なら自分でやっとくれー)

 「月末で私も時間あんまりないんですが、、11時くらいからだったら少し時間あきますから声かけてください」

 

 11時。「これ120部ずつお願いします。ホッチキス止め17枚、両面ホッチキス20枚、そしてバラ6枚をはさんで、そのあとホッチキス7枚、そのあとバラで4枚、最後に両面ホッチキス14枚」

 ・・・・・ 「時間あるときにゆっくりやってもらったらいいですから」

 

 そんな大量のコピー、ゆっくりなんてできません。すぐかからないと定時までに終わらないじゃないですか。コピー機はホッチキス自動機能がついていますし、割り込み印刷もできるので、他のかたにも割り込んでもらえます。だけど、やっぱりずっと独り占めは申し訳ないので、お昼休みもセットして、紙を追加したり溜まってきたのを下ろしたり。午後からも自分の仕事をしながら、コピー室へ何度も足を運びました。そしてようやく16時に終了しました。

 

 16時半くらいにまたその人がやってきて、

 「あした、僕、休みなんですけど、ふじたさん、あした発送作業やってもらえますか。説明しますと、ちょっとややこしいんですが・・・・・3パターンありまして・・・・」

 「あしたは月初で忙しいので、時間とれるかどうかわからないので、封筒にパターン別にシールを貼っておいてセットしておいてもらえたら、封入はやりますけど。いいかげんに聞いて間違えて送ると大変なことになりますから」

 「わかりました。きょうやれるだけやっておきます」(あたりまえですー)

 

 疲れ果てて、バスに乗り、京都駅のホームで電車を待っていると、お坊さんのいでたちをした方が大きな声で携帯電話で話しておられます。腕には何重にもいろんな色の数珠が巻かれていました。ファッションなのか必須アイテムなのかと思うほど、派手でした。声もちょっと怖そうな感じです。

 

 電車が来て、お坊さんは私のうしろ5番目くらいに並んでおられたので、席を譲ろうかなぁと考えました。お坊さんに席をゆずったら、なにかいいことがあるかもしれません。でも、お坊さんは私の座席とは反対のほうに進んでいかれたので断念しました。まぁ、私も疲れていたのでよかったです。

 

 城陽駅について、バスの時間まで生協で買い物をしていると、レジが混んでいて、目の前でバスが行ってしまいました。はー。だけど、小学校のグランドに黄色い花がたくさん咲いていて、前からゆっくり見てみたいと思っていたので、かわいい花をしばらく見ていました。がっかりしたり、ちょっといいことがあったり。忙しい1日でした。

 

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決起集会

2014-06-29 10:17:56 | 日記

 きのうは全国大会の決起集会の日。15時から事務所でありました。

 

 その前に東京からの岡本幸緒さんと待ち合わせをして、お豆腐のお店でランチしました。ふたりで話すのはひさしぶり。全国大会や誰かの批評会などで顔をあわせてもなかなかゆっくり話ができないので、お豆腐を食べながら話せてよかったです。岡本さんとははじめての全国大会で同室になってからずっと仲良くしてもらっていて、いつも助けられています。そういう友達に出会えるのも全国大会のいいところです。部屋割りというのは重要ですね。宮崎大会の部屋割りをしてくれた人、どうもありがとう。

 

 事務所へ行く前に、こども未来館へ寄って、8月の再校作業の会場の申し込みをしました。お手洗いへいって、そのまま外へでてふたりで歩き始めてしばらくしたとき、岡本さんが、

 

 「なにか用事があったんじゃないの?」

 「あ、会場の申し込みを忘れてた!!」

 

 セーフ。なにかほかのことをすると忘れてしまう、振り返るともう忘れる、だめだめな感じです。

 

 「なにかやろうとしたときに、間に割り込まれるともうわからなくなるんだよね」

 「そうそう!! もう脳の使える範囲が猫くらいの大きさしかないんだもん」

 「あはは!! 自分のことでだんだん精一杯で、人のことに使うスペースが限られてきてるよね」

 

 こういう話ができるのは同年代ならではです。岡本さんがいるから、私は塔にいられるんだなぁと岡本さんに会うたびに思います。事務所について階段を上ろうとしたら、永田先生が降りてこられました。え、先生、どうされたんですか!? いやー時間を間違えて1番に来たよ。自分で鍵もあけたんだぜ。(←自慢) ちょっと宅急便だしてくるから。

 

 ひゃーびっくりしました。大会スタッフがつぎつぎやってきて、14時半には10人以上が集まりました。永田先生はにやにやしながら、「遅い!やる気の大きさが来る時間でわかる(笑)」と誰かが来るたびおっしゃって場がなごみました。やっぱり永田先生が来られると場が明るくなって「やる気」がでます。

 

 15時すぎに全員が集まって、役割、各部署の責任者、当日までの準備スケジュール、前日、当日の段取りなど、つぎつぎに決まっていって、今年の大会の輪郭がはっきりしました。17時すぎに解散後、時間のあるひとで近くの「きん安」という居酒屋さんでご飯を食べて帰りました。

 

 帰宅途中にジュンク堂からの60周年記念号の注文メールが。 在庫を持っている人と印刷所(納品書のため)に連絡して、まだやらないといけないことがあるけれど(来週の歌会のための歌2首、塔事典の発送先リストのまとめなど)、翌日以降に繰り越して寝ました。

 

 

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現代歌人協会賞授賞式、ふらんす堂訪問

2014-06-27 23:12:17 | 日記

 きのうは大森静佳さん『てのひらを燃やす』の現代歌人協会賞の授賞式のお祝いに東京へ行きました。東京では最近同じホテルに泊まります。なのになかなか場所が覚えられません。また迷いそうだったので、東京駅からタクシーに乗りました。(ワンメーターでいきます)

 

  ホテルに着いたのが13時半。式は18時。うーん。早すぎたかなぁと思いながら、荷物だけでも預けようとしたところ、延長料金を払えば、もう部屋に入れてくれるとのこと。時間をつぶすにもお金かかるので、もう入ることにしました。まず、気になっていた手紙のお返事をゆっくり書いたあと、コンビニで切手を買って、たばこやさんのポストに投函しました。だんだんホテルの周辺はわかるようになってきたので便利です。部屋に戻ってもまだ15時。パジャマに着替えてアラームをセットして昼寝をしました。2時間(寝過ぎ?)寝たあと準備をして17時半にホテルを出て18時には学士会館に着きました。

 

  大森さんは着物姿で現れて、とてもすてきでした。塔以外の歌人もたくさん来られていて、懇親会では『白へ』を大切にしているという方とお話できて感激しました。私の童話と歌をカルチャーで紹介してくださったそうです。面識もなかったのに、そういうこともあるのだなぁと驚きました。二次会には若い人も来られて、いろんな年代の人と話ができて楽しかったです。

 

  きょうはずっと行きたかったふらんす堂へ行きました。いろんな電車を乗り継いで行かないといけなくて、かなり不安でしたが、何度も乗ったり降りたりしながら11時くらいにようやくつきました。社長の山岡さんは想像どおりのすてきな方で、『白へ』の装幀をしてくださった和兎さんも美しくておしゃれな感じの人でした。スタッフの人も紹介していただいて、本の反響についても少し伺えてよかったです。山岡さんと短歌の話をしたあと、周辺の安藤忠雄タウンを散策して、駅まで送ってもらいました。桜の話、京都の話、なんだか昔からの知り合いのように気さくにお話してくださって、楽しいひとときを過ごしました。お忙しいのに時間を作ってくださってありがたいなぁと思いました。

 

 それから、池袋のジュンク堂へ挨拶に行きました。ちょうど塔の復刻版の問い合わせをいただいていたので、担当者の方に直接お話しをしました。詩歌のコーナーと新刊コーナーの棚に私の本があるのを確認したあと、友達の錦見映理子さんと待ち合わせ。(前日も大森さんの二次会で会ったのですが)東京駅へ移動して、偶然みつけたおしゃれなお店でお茶を飲みました。ケーキの名前(フルーツ名)をきいたのですが、難しくてすぐに忘れてしまいました。今度はちゃんとメモをしよう。。

 

 錦見さんは優等生で、なんでもきちっと完璧にやらないといけないと思うそうです。私はだらんだらんタイプなので、ベストをつくせばいいんじゃないのかな(しかもそのベストのハードルが低い)とすぐに流されてしまいます。できなかったらどうするの? ときかれて、「寝る」というと、すごく笑われました。そういう私を非難せずにおもしろがってくれるので、友達でいられるのかもしれません。

 

 とにかく、とても楽しくて充実した2日間でした。これでしばらくはがんばれそうです。お世話になったみなさん、どうもありがとうございました。

 

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水曜日は短歌の日(2)久野はすみ『シネマ・ルナティック』

2014-06-25 21:13:29 | 日記

 きょうは水曜日。明日、あさっては東京です。まだなにも準備をしていないので焦るのですが、とりあえず書きましょう。準備というのは心の準備が9割くらいです。慣れないところへ行くのに、地図やネットのグーグルアースで目的地までのシュミレーションをしないと不安なのです。

 

 しかも、いつもは東京駅に友達が来てくれるとか、そういう支えがあるのですが、今回はほぼ一人行動なので、まず東京駅からホテルへ行けるのか。ホテルに荷物をあずけて、会場まで行けるのか。翌日、ホテルから訪問先1と2へ行けるのか。2では友達と会う約束なので、その瞬間までがんばらないといけません。

 

 子供のころ、父がプールや海で少し先に立って手を伸ばしていてくれて、そこまでがんばって泳ぐ、という練習をしたことをなぜか思い出しました。そこまでは息もとめたまま、聞こえる音はくぐもった水の中の音だけ、目はあけていても景色は見えません。そんなにおおげさなものではないと思いますが、年々心細くなっていきます。たどりつけるだろうか。

 

 さて、久野はすみさんの『シネマ・ルナティック』から好きな歌を紹介します。

 

 ・そのうちに破れかぶれになりそうなベトナム映画の赤いポスター

 ・ぴかぴかの十円玉を出し惜しみそれでもいつかなくしてしまう

 

 破れかぶれ、なんて言葉を短歌に使って、それがベトナム映画の赤いポスターと響きあっていておもしろいなぁと思いました。でも、まだこのポスターは破れかぶれにはなっていないのですね。もしかしたら貼ったばかりかもしれません。そういう、ずっと先、あるいは少し先の寂しいことになってしまった地点を予測しているんですね。十円玉もそうです。ぴかぴかでとても大切で、大切にしすぎているうちにきっとなくなってしまうことを知っている。まだなくなっていないときから、なくしたことを思っているのです。

 

 久野さんの歌を読んでいると、私もそういう、幸せな瞬間を満喫できない、という自分の寂しい面を見たようで、心がしゅわっとなります。中島みゆきの「あした天気になれ」(♪だから籤を買うときは当たるはずなどないと言いながら買います♪)みたいですね。

 

 もう少し、久野さんの歌を書きます。恋のおわりの歌です。

 

 ・かたほうのつまさきわざと踏んでみてもうだめだってことがわかった

 ・生涯に小さくともる灯のありて貴方と食みし浅蜊のスープ

 ・ストーブを消せば灯油のにおいせり人恋しさはそのように来る

 

 踏まなくてもいいのに、わざとだめなことを確かめるためにつまさきを踏んでみる。あ、やっぱり、って思いながら終わったことを自分で確認しています。だんだんと、とか知らないうちに、後ずさりするみたいに離れていくのではなく、終わりだ、ということを自分に言い聞かせているのかもしれません。ストーブも、火がついているときは灯油のにおいはしないのに、終わったら急に灯油のにおいがしてきます。そういう普通の暮らしのなかにみる寂しい瞬間が、いくつも静かに置いてあって、寂しいなぁと思います。そんなに悲壮な感じがしないところがよけいに寂しいのかもしれません。

 

 ・貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺

 

 この歌が一番好きです。母が鏡台の前で過ごすひとりの時間を子供の私がそっと見ているような、懐かしくて妖しい感じがとてもいいと思います。

 

 

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結社を存続させるために

2014-06-24 21:03:24 | 日記

 現代短歌7月号に大辻隆弘さんが「結社を存続させるために-「塔」と「未来」を例に-」という文章を書いておられます。

 

 特集「結社の力」の中に書かれたこの文章は、関西の歌人との関わりが深く、「塔」を理解してくださっている大辻さんならではのもので、結社の存続が難しくなってきているいま、運営の成功例として「塔」と「未来」を例にあげておられます。以下少し引用します。

 

 「主宰が結社の運営のすべてを仕切るピラミッド型の組織ではなく、会員全員が自然と自分の役割を与えられ、各人が主体的に集団に参加し、集団全体が機能してゆく。そんな動きのある運動体。松村や、主宰・永田和宏が理想としているのはそんな組織のあり方なのだ。永田は決してトップダウン型の結社主宰者ではない、組織を動かし、活性化することが得意なプロジェクトリーダーである。(中略)カリスマ的な主宰者が全体を管理する組織ではなく、永久機関のように永遠の動性を失わない生き生きとした運動体。永田や松村が志向しているのは、そのような永久の運動性を保証するような「システム」としての結社である。その背後には卓越した組織論の裏づけがあるといってよい。」

 

 確かに、それはそうなのですが、私がなぜ塔の仕事をやっているか、ということを考えると、役割を与えられているからやっているわけではありません。

 

 「塔」の知り合いもまだ少なく、入会2年目で全国大会に参加したとき、受付で私の名札を見た池本一郎さんが、「藤田千鶴さん。城陽のかただったかな」と私に声をかけてくださって、本当に驚きました。あのころは人数もいまほど多くはなかったと思いますが、覚えてくださっていたことに感激したのでした。お手洗いで栗木京子さんにお会いしたとき、「今度、栗木さんの選歌欄評を担当させていただくことになりました」とあいさつすると、「よろしくお願いします」とにっこり笑ってくださったこと。たまたま同じ部屋になった方が宮崎の人で、翌日飛行機の時間まで同室3人で宮崎観光をしたこと。ああ、塔にはすてきなひとがたくさんいるなあと思ったのでした。

 

 それで、自分にもなにかできることがないかと考えて、その冬から再校作業へ参加するようになりました。はじめて書評執筆があたったときも、自信がないことをいうと、先輩が「書けるよ。もしどうしても無理そうだったら私が書くから」と応援してくださったり。3年目からは塔の発送シールを作る担当になりました。河野裕子さんが私の顔をみるたびに、「いつも嫌な顔をせずに大変な仕事をしてくださってありがとうございます」といってくださいました。はじめての高安論を書いたときに、お葉書をくださった先輩。いまもその葉書はパソコン横の壁にピンでとめてあります。それから、いまも作業でお会いすると永田先生が「おーごくろうさん、ありがとう」といってくださること。

 

 そういうたくさんの温かい言葉や記憶が心のなかに炭のようにあって、それが大きく小さく燃え続けているから、私はやれるのです。そして同じ思いを持つ人がいるから、なんとか進んでいくことができるのでしょう。結社は会社に似ていますが、利益をあげて労働をお金に換えて成り立つ組織とは違うところです。仕事のひとつひとつに誰かの時間を使って、それがひとつにまとまって毎月「塔」ができている。どんな仕事にも意味があって、それはお互いにリスペクトされるべきなのですね。

 

 大辻さんの文章を読んで、最近忘れかけていた大切なことを思い出したので書いておきました。

 

 さあ、これからシールデータのチェックです。自分で自分の炭に小さな火をつけてがんばりましょう。

 

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