ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

虫武一俊歌集『羽虫群』批評会

2017-07-30 22:15:11 | 日記

 先週の木曜日は平日歌会とあなたを読む会のダブルヘッダーで、そのことも書きたいのですが、きょうは大阪府大のI-siteというところで行われた虫武一俊歌集『羽虫群』のことを。

 

 私の住んでいるところから、微妙な場所にある会場。京都周りでJRで行くか、京都手前で折り返して京阪でいくか、奈良周りでJRでいくか。相当迷って、空いている奈良周りで行くことにしました。最寄り駅は南海高野線今宮戎。南海高野線は乗り慣れていますが、今宮戎でおりたことがありません。まぁ、だいたいの地図をグーグルマップで確かめて、着いたら駅員さんに訊こう、と思っていました。今宮戎の南側の改札をでたら、駅員さんのコーナーはシャッターが下りていました。線路沿いに難波方面にいけばなんとか着くだろうと心細く歩いているうちに、いきなり開けた通りにでて、若者が並んでいたので近づいていったら、そのとなりの建物が会場だったという偶然。

 

 パネリストは穂村弘さん、染野太朗さん、大森静佳さん、魚村晋太郎さん(司会)。

 

 ・献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後

 ・目撃者を募集している看板の凸凹に沿い流れる光

 

 描写の純度の高い人。透明人間のスタンス。という話の流れで穂村さんがだされた歌でしたが、そういわれてみると、献血車両のことを「献血の出前バス」なんていわないし、目撃者は「探している」というけれど、あれは「募集」とはちょっとニュアンスが違うなぁということに気が付きます。だって、目撃者は「応募」するわけじゃないですから。目撃者というのは目撃した、という限られた人物なのに、「募集」というのはだれでも「応募」できるようなイメージです。「システム」から離れたところに自分がいて、そこからの視点で書いている。

 

 ・ロングシートにおにぎりを食う母子のいて四月電車のはずむ光よ

 ・堤防を望遠レンズに持ったまま駆けていくひと 間にあうといい

 

 大森さんは善良、清潔な感じ、という歌として上の歌をあげていました。たまたま見かけたひとの幸せを願う感じ。そして、歌集後半にでてくる恋の歌で、

 

 ・繋ぐっていうよりつかみあいながらお祭の灯を何度もくぐる

 

 のような歌にそれは生かされていることを言われました。自意識の歌はすとんと読めて物足りない、論理では読めない歌がいいという指摘。

 

 ・生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている

 ・ドーナツ化現象のそのドーナツのぱさぱさとしたところに暮らす

 

 染野さんは、虫武さんの大きな特徴として言われている「内向性」というのは、ほとんどの歌人がそうなのではないかと指摘。社会のある場所に順応できなくて生きづらくなったわけではなく、もともと生きづらいひとが社会のある場所にでたら、「ぱさぱさとしたところに暮らす」ことになったんだということに着目されていました。

 

 そのほか、印象に残ったこと。

 

 植物、動物などの固有名詞がほとんどない。花の名前を具体的にせずにおくと、誰でもが入って行ける愛誦性の高い歌になる、マッピング、さまざま技巧、本歌取りもしくはふまえた歌、誰からも愛され、温かく迎え入れられていてはいけない。

 

 司会の魚村さんもバランスをとりながら進めておられて、とても充実したいい会でした。いちばん驚いたのは、短歌を実作していない人、結社同人誌に入っていない人、結社同人誌に入っている人の割合がそんなに大きな差がなかったこと。短歌との関わり方によらず、さまざまな人が同じ場所で同じ歌集について考えるために集ったことはとても大きな意味があることだと思いました。

 

 迷いながら、途中であきらめずに参加できてほんとうによかったです。

 

 *写真の蝶のピンはきょうのレジュメにとめられていたもの。ほんとうに愛されているんだなぁ。

 

 

 

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岩尾淳子歌集『岸』

2017-07-29 22:56:44 | 日記

 岩尾さんの作品は、言葉と言葉から喚起されるイメージが美しい。そういう印象を持ってきたのですが、第二歌集『岸』は、職場や家族の歌が所々に置かれてあって、「暮らし」を包んでいる光の分量や温かさの歌に立ち止まりました。

 

 ・手のひらが隙間ばかりで曇り日はまた白墨を落としてしまう

 ・踊り場にとろんと見える須磨の海ここが一番あかるいところ

 ・靴箱のふたを閉ざしてあとにする離島のような校舎の灯り

 ・信号のみどりがきれいに見えている夕べあかるい道を帰ろう 

 一首目はどんよりと曇っている日には心もどこかへいくよう。「隙間」は指の間なのに、「手のひらが隙間ばかり」という捉え方が印象的です。二首目の踊り場は職場である学校の踊り場でしょうか。ささやかな自分のスペース。気持ちを切り替えたり、整えたりする場所なのかもしれません。三首目の「離島のような」という比喩が見慣れているはずの校舎が心情的に遠くなる感じがとてもよく伝わってきます。四首目は「信号のみどり」「きれいに」「あかるい道」とプラスイメージの言葉ばかりなのに寂しい。希求しているものを、その一点だけを無理にみているような気がします。

 

 ・父が締め母が開いてまた締めるしずく止まらぬ栓ひとつあり

 ・花の降る霧のかなたに軍艦のようにくずれるゆうぐれの国

 ・流転するさなかの家族はさみしくて小さい順にお茶碗あらう

 ・テキストをあかるく開いているまひる大型船が岸を離れる 

 水道の栓のことだけれど、「止まらない」ものは栓だけではないと、深く心に残る一首目。軍艦のようにくずれるゆうぐれの国。ちいさい順に洗うお茶碗。毎日の繰り返しのようで少しずつ形をかえてゆくもの。そしてそれはもう抗いようがない。そして、テキストをあかるく開いているその瞬間に、岸を離れる大型船を感受してしまう。この歌集を流れているこの「抗いようのなさ」に、その表現のしかたに、私は強く惹かれるのだと思います。

 

 ・セーターを首から抜けば顔にくるこの温もりはどこへいくのか 

 一番好きな歌。「顔にくる」が巧い。形のない「温もり」が一瞬形を現したかのような、捕らえたと思った瞬間にもうなくなっている非情感。「この温もりはどこへいくのか」という離れていくことを赦すおおらかさに、憧れてしまうのです。

 

 

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ミニ同窓会

2017-07-27 23:07:38 | 日記

 このあいだの、土曜日は高校の同窓会でした。

 

 来年が記念の年になるそうで、大きな学年の同窓会をするらしいのですが、今回のはその前のプチ同窓会。たまたま実家に帰ることになっていて、友達においでよ、と誘ってもらって出掛けることにしました。

 

 懐かしい堺東駅前の銀座通り。レトロ感あるなぁ。

 

 少し早い目に行ったので(たぶん、お店がわからないだろうと不安だったもので)、銀座通りを歩いてみました。

 

 新しいお店がいろいろ入っていて、昔よくいったお団子やさんはありませんでした。というか、今回はじめて思ったのですが、堺東の商店街でアルバイトをしていたときもあったのに、私が知っているのは大きな通りのお店だけ。少し南側の通りへいけば飲み屋街になっていたなんて。母にきいたら、「ああ、あの辺は前から飲み屋街だったわよ」

 

 18時スタートで、お店についたのが15分前。すでに男子2名と女子1名が来ていました。男子2名とはほぼ初対面。旧姓を名乗って座りました。

 

 それから続々と、知っている子、知らない人、顔はみたことあるけど初めて話す子。そして、1時間くらいしたときに、ふと、きょうのメンバーで文化部に所属していたのは私だけではないか・・・・・

 

 ええと。

 

 女子陸上部2名

 女子テニス部4名

 男子サッカー部3名

 男子バレー部2名

 男子水泳部2名

 男子バトミントン部1名

 柔道部1名

 

 最初は陸上部女子に囲まれていたのですが、大阪マラソンの抽選にあたったとか、名古屋マラソンは完走したらティファニーのペンダントにタイムを刻印してくれるとか、そこに男子バレー部が入り、ホノルルマラソン2回走ったとか、マウイマラソンを主催したとか。なんか、みんな活発にやってるなぁ。新鮮すぎる。

 

 そして、家が近くで私のバイト先にもあらわれていたOくんが隣に座った時、

 

 私「いま気づいたんやけど、きょうのメンバーって運動部ばっかり。私だけフォー研」

 Oくん「なにいうてるねん、これは運動部の同窓会ちゃうで。高校の同窓会なんやから運動部とか文化部とか関係ないねん。Sかて文化部やん」

 私「Sくんはギター弾いてたイメージあるけど、水泳部やねんよなぁ」

 

 それから、しばらくして、噂のギターのSくんがやってきて、

 

 Sくん「ちい、ひさしぶりやな。ギター弾いてる?」

 私「ひいてないよ。もう指が動かへんわ。ギターは実家にあるけど」

 Sくん「また弾いたらええのに」

 私「Sくんは弾いてるの?」

 Sくん「弾いてるよ。ときどきライブにもでてる」

 

 なんだか嬉しかったな。ギターを弾いていた私を覚えていてくれて。そして、Sくんはまだギターを弾いていて。

 

 とてもささやかなことだけれど、嬉しい場面や言葉がたくさんありました。「妹、元気?」とか、「俺ら、早生まれ組やもんな」とか。卒業して30年以上経っているのに、私に妹がいることや早生まれということを覚えていてくれたんだなぁ。って。

 

 文化祭や体育祭のこと。顧問の先生のこと。初めて聞く話もたくさんあって、運動部ではそんな日常が繰り広げられていたのか、と驚いたり。

 

 みんなに会えてよかった。誘ってくれたS子に感謝。

 

 Sくんのことはそのうち何かに書こうと思っています。

 

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くだものアレルギー

2017-07-26 22:25:37 | 日記

 お別れって急にくるものなんですね。

 

 いまもとっても好きなのに。

 

 突然、くだものアレルギーを発症しました。 くだものは大好きで、特に夏はスイカ、桃、葡萄・・・ もうすぐ無花果。そして梨。くだもののリレーが続きます。そんな夏に発症してしまったのです。

 

 先週、桃を普段より多めに食べたところ、両腕が真っ赤になりました。かゆい。 なんだろうとはじめはわからなかったのですが、翌日、外でバナナ中心のミックスジュースを飲んだときも同じ症状になったので、これはくだものに反応しているのでは、と気が付いたのでした。

 

 原因はわかりませんが、ネットでみると、シラカバ花粉症のひとは高い確率で果物アレルギーを発症するということでした。

 

 私、花粉症ではないんだけどなぁ。白樺の花粉なんて・・・ と思ったところで、そうだ、北海道で白樺の林の中を歩いた・・・・と思い出しました。もともと白樺の木がニガテで、あの白い幹を見るだけで背筋が寒くなってくるのですが、このあいだは青い池にむかうとき、道が悪くて両側に立っている白樺の木の幹を伝っていかないと歩けない場所があったのです。

 

 ああ、さわったわ。 こわかったけど、びくびくしながら。 花粉ももしかしたら飛んでいたかもしれません。ということは、6月末に白樺花粉症になって、それからひとつきくらいでくだものアレルギーも発症したということでしょうか。

 

 煮たり焼いたりしたら大丈夫だそうで、ジャムとかアップルパイなんかはセーフだと思われます。

 

 ただ、このあいだ実家に妹が持って来てくれた桃大福を半分食べただけで、かゆくなり、かゆくなるとわかって食べたまるごと桃ゼリーも半分で両腕が赤くなりました。やっぱり生の桃の割合が高いほど反応するようです。

 

 バラ科のくだものと、突然のお別れ。

 

 もしかして、きのうのさわやかな声でいわれた「さようなら」は、桃の精の声だったのかもしれません。

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さわやかなさようなら

2017-07-25 22:31:05 | 日記

 きょうは火曜日。 会社帰りにホットヨガ、という日です。

 

 晩ごはんは21時以降になるので、(しかも運動するし)火曜日のお昼は結構しっかり食べます。

 

 帰りに郵便局で切手を買いたいしなぁと思いながら、コースを考えて、きょうはバンブーという喫茶店で食べることにしました。ここは、ランチのつけあわせの野菜がというか、野菜の切り方が丁寧なのです。うまく言えないけれど、ちゃんと切ってる。

 

 しかし、あいにく満席でした。

 

 お店の人が気をまわしてくれて、「女性同士の相席をお願いできませんか」と、女性ひとりで座っている人に訊いてくれました。

 

 とてもおとなしそうなひと。「どうぞ」とにこやかに言ってもらって、私はハンバーグランチを注文しました。女性は焼うどん定食のようです。

 

 私は持参してきた今週の勉強会の連作をカバンから出して読みながら待ちました。そのうちにハンバーグランチが来て、普通に食べて、郵便局によらなくちゃと思って、立ち上がる時に

 

 「どうもありがとうございました」と、女性にお礼をいうと、「いえいえ」とまたにこやかに答えてくれました。

 

 お金を払って、そのテーブルを横切る時に会釈をしたら、

 

 「さようなら」 と、とても涼やかな声でその女性が言いました。 なんてさわやかなんでしょう。

 

 さようなら。

 

 とても美しい言葉だなぁと思いました。 その直後、郵便局の前でバイクにひかれそうになりました。 ああ、ほんとうのさようならになってしまうところでした。 思わず、守ってくれたご先祖様に手をあわせました。 ぼんやりしていた私が悪かったのです。 バイクのひともびっくりしていたことと思います。

 

 それにしてもいま思い返してもすてきなさようなら。

 

 私も、あんなふうに自然に心にのこる言葉をかけられるようになりたいなぁと思いました。

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