ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

キャッシュレスポイント還元とポテトサラダハンバーグ

2020-06-30 21:06:57 | 日記

 9ケ月間にわたる、キャッシュレスポイント還元事業がきょうで終了となった。実際は春からいろんなキャンペーンが始まっていたから、私の場合は1年間くらい、いろいろ使った。職場ではいまはなにを使うのが得か、きのうは何を使ったかなど、情報交換会が毎朝のように繰り広げられた。

 

 この春には、一緒のチームのふたりが退職と転勤によって離れてしまったので、情報交換会はなくなってしまったけれど、離れてからもひとりで情報を集めては利用してきた。

 

 転勤したNくんが教えてくれた、Vドラッグというドラッグストアは、早いうちからいろんなキャッシュレスが利用できて、すごく便利だった。LinePay、PayPay、メルPay、d払い、ID・・・・ ほぼよく使われる電子決済が可能だった。実は自宅から車で20分。近いとは言えない。でも、行くと楽しいのだった。ドラッグストアなのに、食料品やパンが充実している。店舗の半分くらいは食料品なのだ。しかもスーパーより安い。

 

 それで、きょうは夫が帰宅した19時ごろに家をでて、Vドラッグを目指した。

 

 22時まで開いているので、とりあえず途中で軽くなにか食べて行こうということになる。(いやぁ、わざわざ遠くのドラッグストアにいってポイントを稼ごうというのに、ここで外食するとマイナスじゃないか)ポイント還元に振り回されている二人・・・・

 

 安いのにしよう、と思って、ポテトサラダハンバーグというのを注文する。プレートにハンバーグとポテトサラダとご飯が盛り付けられている写真をみて注文した。

 

 ところが、持ってきてもらって、ハンバーグを2口くらい食べてから、ポテトサラダが人参サラダになっていることに気が付いた。店員さんを呼んで、

 

 私「ポテトサラダがついてないんですけど・・・・ これって人参サラダ? ポテトサラダのを頼んだつもりだったんですけど」と、遠慮がちに言ったら、

 店員「ポテトサラダはハンバーグの中に入っています」と、にこやかに答えた。

 私「そ、そうなんですか。すみません」

 

 と、いったけど、店員さんが向こうへいってから、「ええええええ! そんなことある??」と夫に言った。夫も「ほんまかいな。コントみたいやん」という。

 

 そんなコントあるの? といったら、「ピザ注文して、コーラついてないけどっていったら、ピザに練りこんでますっていうのがあるねん」「あはは、いまの、まんまやん」

 

 意識してハンバーグを食べてみたら、確かにジャガイモの味がした。ポテトサラダっていうより、じゃがいもバーグって感じ。

 

 もし次回行ったら、もういちどしっかり写真を見て確かめたいと思う。

 

 

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実家の雀

2020-06-28 19:22:05 | 日記

 きのうは実家へ帰り、両親の病院のつきそいをした。父は木曜日に家の中で転んだらしい。診てもらったら擦り傷だけだったもようでほっとする。母は股関節が痛いというのでレントゲンをとってもらった。痛み止めをもらって様子を見ることになる。

 

 ふたり診てもらって、しかも母は消化器外科と整形外科の2科でお世話になったのに、会計は460円だった。後期高齢者すごい。

 

 それから、夫と合流してみんなでお好み焼きを食べに行った。両親はずっと家にばかりいたので、久しぶりの外出。車も身障者用のスペースに止めさせてもらって、お店まで距離もなかったのに、父が歩道の小さな段差につまずいて転んだ。私も母の手を引いていたし、夫に父の手を引くように頼めばよかったと反省。ふたりとも杖をついて、片手は誰かと手をつながないとうまく歩けなくなってきた。幸い、どこもいたくないという。ほんとかなぁ。またしばらくしたら痛くなるんじゃないかなあ。

 

 お好み焼きを食べた後、3人にはベンチで待機してもらって、私は3日分くらいの買い物をした。家に戻って、薬カレンダーのポケットにもらった薬を入れて、母にはきょうから薬が増えることを説明した。

 

 前日に京都駅で買ってきた茶だんごを食べる。母がカーテン越しに庭のほうをみて、「あ、雀がきてる」という。前はパンジーを植えていた少し大きめの鉢に毎朝お米を少し撒いている。午後になってもまだあるかと思ってやってくるのだった。

 

 母「もうお米ないのにね」

 父「下へ降りて、草のなかの虫でも食べてるんとちゃうか」

 母「午後もお米やりたいけど、そんなに雀にばっかりあげられないし」

 

 痛いとか、だるいとか、しんどいとかばかり言うようになった母だけど、雀が来るのを喜んでいるのを見ると、まだしばらくは私たちがサポートしてここで暮らさせてあげたいなと思う。

 

 いつもお世話になっているお隣のおばさんが、肋骨を3本折ったらしい、と聞いていたので、お見舞いを持って行った。母は「そんなことしなくていいよ、うちもしていないのに」っていうけれど。いや、そういう配慮ができなくなってるからかわりに私たちがしてるんだよ、とやんわりという。おばさんはいつも母を誘ってお花のレッスンに連れて行ってくれている。しばらくは行けないわ、ごめんねと言われたけれど、うちも母がいま歩行がうまくできないからしばらくはお休みしましょうということになる。いろんなひとの支えでなんとか保てる両親の暮らし。

 

 それから洗濯物をとりこんだり、夫には倉庫にあった買い物カート(椅子にもなる)をだしてもらったり。それからヘルパーさんと現金のやりとりはトラブルになるといけないから、スーパーのカードに現金をチャージして、エコバックにぶらさげたり。それを両親に説明してもよく理解できないみたいだから、ヘルパーさんへのメモを書いたりしたあと、晩ご飯を作って帰った。

 

 自宅へ帰ってからしばらくすると、母から電話。

 

「きょうもらった痛み止めの薬がないの。いま病院にきいてみたところ」

 

 ・・・・・・ それは薬ポケットに入れてるよ。 病院にきくまえに、私に確認してね。世間に迷惑がかかるから。

 

 「うん、すぐ電話するわ」といって切れた。

 

 ちょっと言い過ぎたかな。ごめんなさい。いろいろやってもちぐはぐなことになって、忘れることを責めてはいけないって思っていても、つい口にだしてしまう。ほんとうに親に会いに行った日は心が大きく揺れてしまう。 

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塔2020.6月号の掲載歌から(3)ふしぎな歌、恋の歌

2020-06-25 19:56:51 | 日記

 きのう、一昨日にひきつづき。3回目。きょうも塔の6月号の掲載歌から、私の選んだふしぎな歌、恋の歌。

 

 引き寄せた言葉を再び見失いそれからはただ白いわたくし        小川和恵

 息は吐き息は吸ふもの宥(ゆる)されて呼吸(いき)する林に水仙白し  大河原陽子

 山びこに呼んでもらったことがない六十回目の春に生きてる       落合優子

 一羽だけ天を向き鳴くペンギンの悲しげである詩人であろう       菊沢宏美

 雑巾をざぶざぶ洗い両の手にしっかり絞っているなり夢に        谷本邦子

 

 言葉のもつ意味について考える。出来事や風景をしっかりと伝えるのも言葉の力だろうし、自分でもはっきりとしないうみゃむみゃ(?)なものを言葉にしていくというのは、誰かに伝えるための言葉というより、一瞬よぎったなにかをつかもうとしたことを自分のために残しているのかもしれない。けれど、そういう行為が深く誰かに届くことがある。小川さんの歌は言葉に置いて行かれたような感がある。大河原さんの歌からは遠慮がちにマスクのなかで息をしてきた自分を林のなかで解放したときのよう。「宥されて」という言葉からそう感じた。落合さんの山びこの歌、ああ、いいなぁと思った。「山びこに呼んでもらったことがない」。そういえば私もない。経験したことよりも経験していないことのほうが多いのかもということに気づかされた。菊沢さんの結句「詩人であろう」というのがいいと思う。ひょうひょうとして悲しげなペンギン。谷本さんの夢の歌。「夢に」の3文字まで現実と思って読んでいた。いい夢の歌にはしっかりとしたリアリティが必要だ。

 

 ひとりなら泣きたくなってふたりなら笑いたくなる 抜けないコルク  大井亜希

 抱きしめて溶けて混ざって流れゆく君と私の元いた場所へ       大井亜希

 浴室の窓に明るい陽が差して君と離れた身体を洗う          川上まなみ

 出会いたる頃には君と僕がいていつからか君は君だけになる      よしの公一

   半月の切り落とされし片側が湖の底にて光りてをらむ                          益田克行

 

    いいな、と思った恋の歌を並べてみたら、なんだか一連のドラマのようになった。

 

 塔の月詠草の掲載歌を全部読む、というのは最初はちょっと大変かなと思ったけれど、読み始め、歌を選び、読み終わり、書き写し、それをカテゴリー別に並べ直したりするうちに、ああ、楽しかった!って思った。ほかの人が毎月自分で選んだ歌をツイッターやNoteやブログにまとめているのを見て、すごいなぁと思っていた。でも、自分が楽しくないと続かないのだから、きっと楽しいのだろう。私もまたたまにここに書いてみたい。

 

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塔2020.6月号の掲載歌から(2)叙景の歌、比喩の歌

2020-06-24 20:11:10 | 日記

 きのうに引き続き、塔の6月号から。きょうは叙景の歌と比喩の歌。

 

 翻るたびに夕日を腹に受け頭上をもつれる鳶の群れあり      永久保英敏

 向かい風を使って高く飛ぶ鳥は意外とたぶん脱力している     内海誠二

 タオル干す視線のずっとずっと先悠々と空渡る飛行機       小林千代

 水中に揺らぐごとくに見えており線路脇に咲く花大根は      金原千栄子

 スプーンの群れが光っているような水面に溶けてしまえればなあ  今井裕幸

 

 永久保さんの歌のポイントは「腹」。鳶のやわらかいところに夕日があたっている。それを「腹」と言い切っているところに力がある。胸とかほかにも夕日があたっているだろうけど、まとめて「腹」としたことによって、単に受動的に夕日にあたっているだけでなく、自ら夕日に腹を晒している印象になった。内海さんも飛ぶ鳥の歌だけれど、こちらは構成が面白い。「向かい風」「使う」「高く飛ぶ」と、勢いよく始まって、「意外と」「たぶん」「脱力」にもっていく。がんばっているようだけど、結構力ぬいてるんじゃないかなぁという見方が楽しい。小林さんの歌は手元のタオルからずーっとズームアウトしていった先に悠々と飛行機が空を渡っているところへ読者も視線をもっていかれる。金原さんの花大根。線路脇だから電車が通るとかなりの風がおこるのだろう。いっぽう方向になびく花大根を「水中に揺らぐごとく」としたことで揺れ方が豊かに思える。今井さんの水面の歌。川とか海とか水面の描写はいろいろ詠われてきたけれど、あの銀色の光をスプーンの群れというのは魅力的。つい、引き込まれてしまいそう。

 

 立ち止まりあの子がくるっと振り向いた轢かれる前のイタチのようだ   乙部真実

 湯のなかで体操座りをしてゐるとなんだかをかし埴輪のやうで      千村久仁子

 薄皮を一枚いちまいむくようにほんとの貴方を探していたのに      岡山あずみ

 無呼吸のごとく晴れたる中空をひかりとなりて寒凧の張る        坂根美知子

 そつと来てそつと人らは帰りたり病人見舞ふごとく桜を         澤村斉美

 

 立ち止まった「あの子」が見せた一瞬のこと。「轢かれる前のイタチ」のようだという。驚いたような戸惑ったような表情が切り取られている。千村さんの「埴輪のやう」というのも独特な比喩だ。こういう歌はどうしてとか理由がつかない。そう感じた、としか言いようがないのだろう。強引だけど説得力がある。岡山さんの歌も「ほんとの」って? 「探していたのに」どうなったの? と訊かないで。初読で上から(ブログは横がきだけど)読み下ろしたとき掴まれるものがあった。坂根さんと澤村さんの歌は、コロナ禍のなかにあって詠まれたと思うと、感慨深い。「無呼吸のごとく」という比喩は息苦しさを連れてくるようだけど、「晴れたる中空」にかかっているので不純物がなにもない、というふうに読める。大らかで美しい空。「病人を見舞ふ」ように、というのはほんとうだなぁと思う。静かに桜を見てそそくさと帰ってきた春だった。

 

 

 

 

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塔2020.6月号の掲載歌から(1)人、ものごとの歌

2020-06-23 20:41:28 | 日記

 このあいだ届いた塔の6月号から1首評を書くということで、ようやくきょう全掲載歌(月詠草)を読み終えた。ほんとうはそんなに全部読まなくても、気に入った歌について書けばいいのかもしれないけれど、もっといい歌を見逃していたら悔しいという一心で、読んだ。いいな、書いてみたいな、と思って書き出した歌が36首。

 

 新樹集(塔ではその月の連作の優秀作10作が吉川宏志氏によってここに選ばれる)からは選ばないことにする。なるべくいろんな人の歌がとりあげられるほうがいい。百葉集(その月のいい歌20首が同氏に選ばれる)と選歌後記(各選者の選歌の最後に注目作が述べられる)は私のセレクトしたあとに読んだ。36首中、百葉集と重なっていたのが2首、選歌後記と重なっていたのが3首だった。

 

 きょうはまず、36首のなかから、人、ものごとの歌をご紹介。

 

 目覚めれば母は家にもこの世にもいないと思うそこから始まる     北山順子

 指しゃぶる人のくちより指を出し食事介助を一日三度         紺屋四郎

 ぎんなんの踏まれたところよけながら鳥居をくぐる今朝もひとりで   増田美恵子

 前を行く人が残した残額を追い越しながら改札くぐる         竹田伊波礼

 春布団に昼をこもれる息子の手ふれれば指ずもうの始まる       山下裕美

 水筒に残ったお茶を飲み干して今日という日が今日また終わる     紫野春

 

 人が作った歌を読ませてもらうと、その人それぞれに暮らしがあることをしみじみ思う。介護中の人、親がもういない人、毎朝ひとりで鳥居をくぐる人。竹田さんの歌は通勤でしょうか。確かに、改札をみんな早いスピードですり抜けるので、自分が通るとき、前の人の交通系カードの残額がまだ示されている。毎日見ているのに歌にしようと思ったことがなかった。竹田さんの歌は意表をついてきて切り取り方が独特だ。息子と指ずもうする山下さん。いいな。水筒のお茶。私も毎日飲み干します。こんなふうに自分の暮らしの中の共通項を見つけたり、まったく違うけれど少し未来を想像したり、もうたぶん経験することのない過去の時間と重ねたり。結社の歌は自分の今が人生のなかの「点」であることを教えてくれる。

 

 公園に吾(あ)がぶら下がる鉄棒を「どいて・・・いただけますか」と少年が言う  樺澤ミワ

 「使っているから待って」と少年に意地張りて言う、ばあさんでも言う       樺澤ミワ

 釣り宿はウィルス騒ぎに人けなし夫と二人で男湯に浸る              戸田明美

 ぽちぽちと白梅咲いて叔父はまたイノシシ封じの策を語りぬ            長岡真奈美

 大判のせんたくネットに猫を入れクリニックへいそぐ濃霧の道を          小谷栄子

 この冬が終われば捨てると決めているパーカーを着て河馬を見にいく        上澄眠

 

 ええっ! と思った歌。6首。樺澤さんの2首は続けて読むと面白い。「使っているから」って。(笑) 「ばあさんでも言う」という開き直りっぷりがかっこいい。ほかにお客さんがいないとはいえ、男湯に浸かるって、万が一急に誰か入ってきたら・・・ってどきどきする展開の戸田さんの歌。「夫と二人で男湯に浸る」という堂々としているのがこれも余裕を感じさせていい。余裕といえば、長岡さんの叔父さんの「イノシシ封じの策」も、その人にとっては年中行事(赤紫蘇がでたら紫蘇ジュースを作るとか)のひとつなのだろうけれど、ぽちぽちと白梅が咲いたら策を考えるっていうとりあわせが面白い。小谷さんの歌は私は猫を飼ったことがないけれど、こんなふうにクリニックへ連れて行くことが、歌にするととてもドラマティックに思える。大判のせんたくネットも、濃霧の道も、やむにやまれない感がある。上澄さんの捨てると決めているパーカーを着て、河馬を見にいく、という行動も他人からみたら不思議に思えることも、日常のひとこまなのだろう。

 

 不愛想なレジの店員釣り寄こすついでの様に花の種くれる      きむらきのと

 その店を教えてくれたともだちがいなくなっても店にはかよう    山名聡美

 唇を人にぬらせて死のことを少し思いぬ春のデパート        山名聡美

 目の下に月の破片をうすく塗るスポットライトをあつめるために   帷子つらね

 

 6月号掲載ということは、3月20日締切の歌だから、コロナやマスクの歌も多かった。でも、困ったり、自粛したり、不自由を感じながらも暮らし続けている人の日常に、柔軟さや強靭さを思った。会話が減っても花の種をくれたり、化粧をしたり。山名さんはデパートの美容部員に口紅を塗ってもらっているのだろう。そこに死化粧を連想するところが個性的。帷子さんの歌は、最近のアイドルの本をこのあいだ息子に見せてもらったときに、みんな目の下にテカっと光る筋を描いていて、「このナメクジが通ったあとみたいなメイクはなに?」と言ったら、息子が「これが令和のメイクやねん!ちょっと涙ためてるみたいでかわいいねん」って言われたことを思い出した。ほほー。そういうものか。なるほど、「月の破片」なのですね。

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