ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

三井修歌集『汽水域』

2016-07-31 17:57:22 | 日記

 きょうは三井修歌集『汽水域』を再読しました。

 

 5月に読んで、ようやくきょうノートに写し終えました。

 

 ・身をひねり宙に放てる投網なり 光を絡め水に拡がる

 ・雨後の朝葉先を雫が落ちてゆく次の雫を引き出しながら

 

 投げられた網は濡れているのでしょう。 網は光を絡めたあと水に拡がっていく。「身をひねり」という網を投げた漁師の力強さから目の前に展開されていく網と光と水の動きが迫力をもって表現されています。 こういう歌を読むと、デッサン力の差を見せつけられたようで、ううむ、と唸らされます。 雫の歌も、「次の雫を引き出しながら」がとてもよくて、対象にむける細やかさに、驚きました。 雫はぽたぽたと連続して落ちてくるように見えますが、そうではなくて「次の雫を引き出し」ていると捉えられたところが個性的。

 

 この歌集は第9歌集。 「悲しみのまえぶれ」の靄のようなものが一冊を覆っていて、どんな場面を読んでもどこか静かで心が揺れているように思いました。

 

 ・靴紐が緩みたるまま行くような心もとなさ 母病みてより

 ・池の面(も)の浮き草不意に揺らぎたり揺らぎて蜻蛉を驚かせたり

 ・先をゆく人はたちまち紫の闇に紛れて戻りては来ず

 ・ひと夜さを我を守りていし窓は朝(あした)涙のごときを垂らす

 ・井戸はまだとどめているや覗きたる少年の我の素顔を

 

 なかでもいいな、と思ったのは、

 

 ・決断のありたるならむ春にても北へ帰らぬ白き鳥には

 

 北へ帰らない白い鳥に、諦めとか哀れさを見るのではなく、「決断」と捉えるところが毅然としていて勇気づけられるものがあります。

 

 そして最後の章には

 

 ・北国は吹雪くと聞けどこの朝われの花桃光を結ぶ

 

 という美しい歌が含まれています。

 

 真夏の窓にはさみどりの光が揺れて、その中でひとつひとつ歌を写していく、という時間はとても幸せな時間でした。

 

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やかんとアイスティ

2016-07-30 22:00:37 | 日記

 夏になると冷蔵庫にアイスティを入れています。

 

 春に東京へ行ったときに、おまけでもらったカレルチャペックのジャグに冷やしています。 いつも使うティポットいっぱいに紅茶を作ると、そのジャグ1本とティカップ1杯分になるので、朝紅茶を作って飲み、その残りを冷やす、といった感じです。

 

 今朝はまだきのうの分が冷蔵庫にあったので、ホットサラダサンドと冷蔵庫のアイスティを飲みました。 すると、新しく作った紅茶が1杯分あまります。それで、余った分をグラスにいれて冷やしていました。

 

 アイスティにはほんの少しお砂糖を入れます。 そのまま飲んだり、牛乳を少しいれたりそのときの気分です。 さっき、夕飯のあとにアイスティを飲もうとして、冷蔵庫のなかの冷えたグラスにはいったのを手にとったとき、思い出したことがありました。

 

 母が作っていた甘いアイスティです。

 

 母は銀色のちいさいめのやかんにそのままアイスティを冷やしていました。 ちっともおしゃれじゃなく、持ってみるまでどれくらい入っているのかもわからない。 やかんにはいったアイスティ。 やかんの形って結構サイズのわりに場所をとるし、母がなぜ、やかんのまま冷やしていたのかはわかりませんが、やかんのほうが冷えやすいのか、きんきんに冷えていました。

 

 私も紅茶が熱いうちにお砂糖を入れていますが、母もそうしていました。 そのお砂糖の分量はかなり多かったんじゃないかと、自分が作るようになってから思うようになりました。

 

 母は働いていたので、学校から帰って冷たいアイスティを自分で好きなだけやかんからコップにいれて飲むと、「つめたーい!! あまーい!!」ってなるのでした。

 

 そういえば、母も紅茶に氷を入れたりしていなかったなぁ。

 

 飲み物は冷やして飲むけれど、私は氷を入れません。 おなかをすぐにこわす、というのも理由のひとつですけど。

 

 あのちいさいやかんはまだ実家にあるかな。 昔、祖父がしていたように、母も寝るときにやかんを持ってあがって、お布団のそばに置いているかもしれません。

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小学生・・・・・?

2016-07-29 22:40:19 | 日記

 私の職場でもポケモンGOをこっそり(!)やっている人がいます。

 

 犬の散歩しながらさりげなく、とか。

 

 ちょうど職場のあるビルの前にモンスターボールを補充できるスポットがあって、お昼休みなどに席に座りながらボールを増やしておられます。 私はスマホを持っていないので、隣の席のYさんに見せてもらったり、息子にみせてもらったり。 まるで幼児のように、見ているだけです。

 

 きょうの昼休みの会話。

 

 Yさん「このさ、ボールもらうところでほかのものもでてくるんだけど、これもらうといいことあるの?」

 私 「きずぐすりとか? それは闘ってやられたときにそれを使うとちょっと元気になるものみたいよ」

 Yさん「闘うって、どうやるの?」

 私 「知らん・・・ きのう、うちのおにいちゃんに闘わせてっていったら、まだ早い、絶対負けるって言われた」

 Yさん「強くしてから闘うのね」

 私 「うん、そうみたい」

 Yさん「また、おにいちゃんにいろいろきいといてね」

 

 それを向かいの席で聞いていたSさん(33歳男子)。

 

 「なんか、まるで子供たちの会話じゃないですか」 と笑っていました。

 

 Yさん「あ、赤い目の大きい水色のタコみたいなのがでてきた!」

 私 「メノクラゲですね!」 

 

 Sさん「きのう、バスの中でやってる子がいて、蝙蝠みたいなのがばたばたやってて、なかなかとれなくて、思わずはよとれ!って見てしまいましたよ」

 私 「ズバットですね。 あれは動くからとりにくいんです」

 

 あのころ、こんなにポケモンを覚えてなんになるのって思っていたけれど・・・ そしていまもそう役にたっているとも思えないけど、スマホないのにポケモンGOの話はできるという状態にはなっています。

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第15回あなたを読む会

2016-07-28 23:44:35 | 日記

 きょうはお休みをもらって、13時から塔の打ち合わせ。

 

 それが終わって15時くらいにランチを食べて、のろのろと塔の事務所へ向かったら17時くらいでした。 あなたを読む会は18時30分からなのですが、平日歌会が16時くらいまでやっていたので、残っていた人たちと雑談しているうちに18時半になりました。

 

 きょうの参加者は4名。 最近はフルメンバーで5名で、きょうはおひとりが欠席。

 

 連作10首&8首、連作15首、エッセイ2500字くらい、連作9首&5首×3作 というボリュームでした。みんなすごいな。 私は一番少なくて連作15首のみ。いろいろ指摘を受けて、うーん、そうだな、と思うこといろいろ。

 

 5名分の作品を批評するときは、まず2名が批評したあと、フォローする形で残り2名が発言するという形になります。 4名のときは本人を除く3名がそれぞれ15分ずつくらい批評するので、1作品につき45分。それを4クール。 終了したのが21時15分くらいでした。 

 

 真剣に向き合うので、終わったころにはへとへとになりますが、こんな夜まで短歌やエッセイについて話ができるなんて、とても幸せなことだなぁとしみじみ思いました。

 

 

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松村由利子エッセイ集『少年少女のための文学全集があったころ』

2016-07-26 22:46:10 | 日記

 7月はなんだかめまぐるしくて、ばたばたしているうちにもう終わりに近づいています。

 

 そんなとき、紫蘇ジュースのようなさわやかさで届いた本。 松村由利子さんの『少年少女のための文学全集があったころ』。  私は松村さんのようにたくさんの本を読んできてはいないけれど、どの頁を開いても物語との親密さがあふれていて、うらやましいようなほほえましいような、とても温かい気持ちになります。

 

 子供のころにこんなにたくさんの本に出会っていたら、世界は広く、近くなっただろうなぁと思います。

 

 この本を読んでいて、そうそう、私も思った!というところもあって。たとえば、訳が古くて、「お父さんがうどんを作ってくれました」っていうスイスの物語を読んだとき、うどんじゃないやろ、と思ったけれど訳された当時は「うどん」って書かないとパスタとかが通じなかったんだろうなぁと笑ったことを思い出しました。この本で紹介されているのは『アンの娘リラ』に登場するシュークリームが「軽焼饅頭(かるやきまんじゅう)」と1959年の最初の村岡花子が訳していたこと。私も『アンの娘リラ』は読んだけれど、違和感がなかったから、すでにシュークリームに変えられてたんだろうなぁ。 そういう知らない面白さも書かれていて、ほんとうに楽しい。

 

 1954年に訳された『ひとまねこざる』のおさるのジョージが動物園を抜け出したとき、「しょくどう」のおなべから食べたのは「うどん」だったのが、1989年の改訂版からは「れすとらん」の「すぱげってぃー」になっているそうです。

 

 私は大人になってから童話を読み始め、子供を育てながらいっしょに読み、作り、という出会い方でしたが、それでも訳が時代おくれで笑ったり、海外の子どもが友達とけんかしたときのセリフがおもしろかったり、楽しんできたことを思い出しました。

 

 「誰の心にも、自分だけの特別な辞書がしまわれているのだと思う。「薄謝」に代表される、さまざまな言葉を大好きな本から吸収してきたことは、私の財産である。」

 

 こんなふうに、松村さんの思いがところどころにさりげなく置かれていて、自分がどんなふうに言葉と出会いってきたかということを考えさせられました。 

 

 まだまだ読み始めたばかりですが、いまから読み終わるのが寂しいくらい楽しいおすすめの1冊です。

 

 

 

 

 

 

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