今月は8日に神楽岡歌会がありましたが、金曜日に岡井隆さんが来阪され、土曜日に歌集批評会と歌会をということで、急遽会が開かれることになりました。
批評会の歌集は小川佳世子歌集『ゆきふる』、島田幸典歌集『駅程』、中津昌子歌集『むかれなかった林檎のために』、岡井隆歌集『暮れてゆくバッハ』、河野美砂子歌集『ゼクエンツ』、の5歌集。
昨年刊行された神楽岡メンバーの歌集。土岐さんの『Bootleg』は批評会にみなさん参加されたので、今回は岡井さんからのコメントをいただくという形となりました。
批評会2時間、ミニ歌会1時間というメニューで、参加者は21名。
レポーターがまず5分で歌集についてレポートし、そのあと数人がコメント。 1歌集につき20分あまりという時間配分でした。
レポーターは『ゆきふる』を岩尾淳子さん、 『駅程』を山下泉さん、『むかれなかった林檎のために』を阿波野巧也さん、『暮れてゆくバッハ』を土岐友浩さん、『ゼクエンツ』を魚村晋太郎さん。進行は林和清さん。
短くまとめられたそれぞれのレポートが素晴らしく、聴きごたえがあり、岡井さんのコメントも、言葉の後ろになにがあるのかを考えながらメモ。
濃密な時間でした。 批評会が終わったのが16時15分。 16時25分から歌会スタート。 今回は高得点歌、岡井さんの票の入った歌、の順に進めました。 45分でやれるところまでやる、という任務。 隣にはいつもの島田さんがおられたので、「ここからはコメントふたりくらいでいきましょう」とか時間をみながらのアドバイスをいただけて助かりました。
普段からぼろぼろな司会で、みなさんにフォローをいただいて進めているのですが、開始数分後には岡井さんにも私の頼りなさがばれてしまって、ときどき「歌読んで」とか小さい声で言っていただき、申し訳ないような、ありがたいような気持ちで進め、なんとか全員の歌に岡井さんのコメントがいただけました。
懇親会、二次会まで参加。
二次会は10人あまりが参加し、言い足りなかったことをひととおり話し、聞いても意味がわかなかったことを思い切って聞きました。
はー、へー そういう意味だったんですか。 その言葉の裏にはそんな意味があったんですか。 批評レポートにはレジュメがなかったので、耳できいてメモをするしかなく、それがかえって集中できてよかったのですが、速記状態で、「もくせつとまたがり」とか「れてぃせんす」とかほとんどをひらがなでメモしていた私は二次会に行ってなければまったくわかってなかったんだなぁ。と、あらためて自分のアホさを思い知ったのでした。
濃厚すぎる時間を終えて。
「わたし、歌やってていいのかな、って気になってきました」 と、本音をいうと、
「なんでよー。 ふじたさん、きょう歌よかったなじゃないの。 岡井さんの票もはいってたし」
「いや、それはたまたまで、あの歌はきのう詠草集をまとめてるときに息子にお母さんの歌だけジュニア短歌みたいって言われて、急遽作りなおした歌だったんですよ」
「え、在庫の歌と入れ替えたんじゃなく、そこから作ったの?」
「はい」
「すごいじゃんかー」 「天才だよー」 と、先輩方から励まされるも、基礎がないというか、そんなプレハブ短歌をいくら作っても、ぜんぜんだめだ、って言う気がしていました。
帰り道、阪急に乗る人とふたりになったときも、
「ああ、道が遠いなってこと、きょうは思い知らされました」というと、
「みんなそれぞれめざしているところは違いますからね」
「うーん。 もう絶対死ぬまでに追いつけない」
「誰に? 岡井さんをめざしているの?」
「まさか!!! きょうの参加者のだれひとりにも」
「だれかに追いつけなくてもいいんですよ」
なんだか、余裕のある言葉だなぁ。 泣きそうなることもあるけど、やっぱりひとつひとつ自分で土を掘っていかなきゃなぁと思った日でした。