ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

水遣りと声掛け

2015-06-30 21:46:03 | 日記

 今期になって、ほぼ毎日の出勤体制になってから、水遣りを夫に任せていました。

 

 それがよくなかったのか、植物の育ち方が今年はぜんぜんです。

 

 このあいだの日曜日に水遣りをしながら、草ひきをしたり、虫がついている蔓に薬をかけたりしていると、出掛け際の息子が

 

 「そうそう。 ちゃんと声かけしながら丁寧に水遣りせなあかんで、やっぱり。 水やればええってもんちゃうから」 と、言いました。

 

 私「そうやねぇ。」

 

 息子「夜遅く帰って来る人(息子)にテーブルにおかず置いてるだけじゃなくて、一日どうやったとか、会話しながらコミュニケーションをはからんとあかんねん」

 

 はぁ、そうですか。。

 

 帰宅時間が遅いうえ、帰ってきてもネットしたり、音楽きいたりばかりしてるくせに、よく言うなぁ。

 

 そうそう。 やっときのう水色のちびあさがおが2つ咲きました。

 

 日曜日の声掛けがきいたのかも。 

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踏み込む人

2015-06-29 22:30:05 | 日記

 二か月契約で隣の部署に来ていた派遣社員のHさんが明日で終了になります。

 

 きょうの帰りにロッカーでいっしょだったので、

 

 私「明日で終わりですね。 寂しくなるな。 延長はないの?」 ときくと、

 Hさん「ないですよ(笑)」 

 私「また冬場にうちの部署で依頼かけたら来てくれる?」

 Hさん「来ます! 私、ふじたさん、大好きだったんですよ」

 

 ・・・・・ 卒業式前日みたいじゃない・・・ 明日で終わりという日に告白される図。

 

 Hさんと私とは部署も違うし、ほとんど接点がなかったのです。 私も派遣業が長かったので、手持無沙汰にしていると時間がなかなか経たなくて、何かやることないかなぁとぼんやりするのがとても嫌だったから、Hさんが暇そうにしていると、テプラ作って貼ってとか、会議の参加者の札(←△に紙を折るだけなのに本当に私がやるとぐだぐだになる)を折ってもらったり、ちょこちょこ持っていっていました。

 

 そのたびに、「私、工作好きなんです」とか言ってくれて、本当にいい人だなぁと思っていました。

 

 でも、とてもおとなしい人なので、「新しいライフはおすすめよ、私、毎日通ってる」と言っても、「はぁ」という反応だったので、迷惑なのかなぁと感じていたのです。

 

 そうしたら、金曜日にコピー室で会ったとき、「ライフ、行きましたよ! 2階の品ぞろえ、すごいですね。 香辛料豊富さに興奮してお昼休み20分いても足りませんでした」といってくれて、

「そうでしょー、 あの蜂蜜とジャムの壜の並びを見ているだけで、嬉しくなるよね!」と、最後にして盛り上がったのでした。

 

 そして、彼女が大阪出身なことや、ご主人のお仕事の都合で京都に来たばかりなことを話してくれました。 きょうの帰りの会話のなかでも、

 

 Hさん「ふじたさんを見てると、ああ、大阪の人だなぁって嬉しくなるんですよ」

 私 「そうでしょ。25年くらい京都(城陽)にいるけど、やっぱりなじめない。 京都人にはなれないと思う」

 Hさん「こっちの人って、踏み込んでこないから、こっちも遠慮してしまうんですよ」

 

 私、遠慮がないからなぁ。 自分がいいと思ったらすぐに勧めてしまうし。 踏み込みすぎ、かなと思うこともよくあります。

 

 私「あしたは最後だから、ランチいっしょに行く?」

 Hさん「行きましょう!」

 

 というわけで、明日は涙の(?)お別れランチに行く予定です。

 

 

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日曜日は短歌の日 岡野大嗣『サイレンと犀』

2015-06-28 21:27:45 | 日記

 きょうは午前中(と言っても午後にまでかかってしまったのですが)、放置していた庭の手入れをしました。

 

 主に草ひき。 それから伸びてきたハゴロモジャスミンの蔓の剪定。 ミョウガを引き抜いて、すずらんの移植。 土や植物に触れていると、身体の欠けたり冷えたりしていた部分が修復されて行く気がします。

 

 午後は歌集からノートに歌を写していました。 1冊を読むスピードも遅いのに、付箋を貼った歌をまたノートに写すというのは、時間の無駄のように思えるかもしれませんが、その歌集や歌と少し近くなるように思います。 好きな歌ばかりのノートを持っている、そこに歌を書き加えていくということは、楽しいし、子供のころ、グリコのおまけを集めていたときと同じ気持ちでやっています。

 

 さて、きょうは岡野大嗣歌集『サイレンと犀』。 文字で読むとこのタイトルは「サイレン」と「犀」。 耳で聞くと「silent sigh」。 

 

 岡野さんの歌はものの見方に共感するところが多くて、一首一首を読みながら、あ、と何度も思いました。

 

 ・ぼくの背のほうへ電車は傾いて向かいの窓が空だけになる (『サイレンと犀』)

 

 電車が傾いて、向かいの窓が空だけ・・・ この逆の傾き方を詠った歌が『貿易風』の巻頭歌です。

 

 ・ああここは緑の土地だ飛行機が傾くときの窓に思えり (『貿易風』)

 

 私が見たのは飛行機が傾いたときの緑一色の窓。 ほかにも、

 

 ・とけかけのバニラアイスと思ったら夢中でへばっている犬だった(『サイレンと犀』)

 ・白くまの薄汚れているあの感じ貨車のひとつに雪は残りて (『白へ』)

 

 岡野さんはへばっている(しかも夢中で)犬を一瞬バニラアイスと思い、私は貨車に残った雪を白くま(しかも薄汚れている)と思った。 

岡野さんの歌から広がっている物語を、いろいろ想像したりして、少しずつ楽しみながら読みました。

 

 ・ハーモニカの端を吹くのはむずかしい隣の部屋がひとつ無いから

 ・完全に止まったはずの地下鉄がちょっと動いてみんなよろける

 ・開けるとき千切れた海苔を引き出してあるべき位置に貼るのも叡智

 

 よく目にしたり、経験したことのある小さな出来事がユーモアをまじえて巧く掬い取られています。 ユーモアだけでなく、読み終えたときに少し情けないような寂しい気持ちになるのが、共感できる歌だと思った理由のひとつかもしれません。

 

 「2」章のなかの歌には、友達や祖父への挽歌と思われる歌が入っていて、急にシリアスになります。

 

 ・プルトップまわりに埃めだちだす四十九日の友のコーヒー

 ・友達の遺品のメガネに付いていた指紋を癖で拭いてしまった

 ・将棋盤と駒はあるのに飛車好きの祖父だけいない祖父がいた部屋

 

 コーヒーのプルトップのまわりの埃、友達のメガネの指紋、飛車好きの祖父。 そういう、その人にしか見えないような、その人しか知らないようなものをひっそりと手渡されたような気持ちになります。 まさに、silent sigh が伝わってくるのです。

 

 ・もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい 

 

 これは誰もがいつもどこかで思っていることなのではないでしょうか。 ほとぼりが冷めたあたりで生き返れるなら、何度だって死んでみたい。と私は思います。 

 

 ・なぜ蟬はぼろぼろ死ぬのこんなにもスギ薬局のあふれる町で

 ・ベランダの蟬に触れたら思い出し笑いのように鳴いてから死ぬ

 ・うらがわのかなしみなんて知る由もないコインでも月でもないし

 ・念のため林檎も鞄に入れている果物ナイフ持ち歩くとき

 

 すぐ近くに溢れている「死」。 うらがわのかなしみ、念のために鞄に入れる林檎。 この歌では「入れている」という言葉が日常的に、とか継続的に、故意的にというニュアンスを醸し出していて、歌全体の用意周到な冷静な感じとは逆の追い詰められた心のようすが浮かび上がっています。たとえば、「入ってる」だったらたまたまこのあいだ入れたのがそのままになっていたかもしれなくて、全然緊迫感がなくなってしまいます。

 

 最後に好きだった相聞歌を。

 

 ・雨の日は雨の降らないストリートビューを歩いてきみの家まで

 ・会いたいなぁ 高架の下の自販機で買ったココアがまだあったかい

 ・きみという葡萄畑の夕暮れにたった一人の農夫でいたい

 

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シャボン玉

2015-06-26 22:46:23 | 日記

 数日前、会社の帰りにバスを待っていたら、ふわ~とシャボン玉が目の前を横切りました。

 

 あれ、どこからきたのかな。 と思って上を見上げてもなんにもありません。

 

 ビルの日蔭に入ってぼんやりしていると、またふわ~とひとつ。

 

 と、思ってみているとつぎつぎに流れてきます。

 

 バスを待っていた二人連れのサラリーマンのひとりも、もう一人の人と会話をしながら、目はシャボン玉を追っているのがわかります。 

 

 気になりますよねぇ。

 

 ビルの上のほうの階の窓かベランダかよくわからないけれど、そこから流れてくるようでした。 いいなぁ。

 

 子供はいつでもシャボン玉ができるけれど。 それから小さい子のいる家族なら、いつでもできるけれど。 

 

 大人ばかりになってしまった家では、もうずいぶんシャボン玉をしていません。 あんなに好きだったのに。

 

 山の中に住んで、毎日シャボン玉を飛ばしているような暮らしを一瞬夢見たりするけれど、それはそれで寂しいかもしれません。

 

 

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平日歌会とあなたを読む会

2015-06-25 22:52:58 | 日記

 きょうは午後お休みをとって、平日歌会へ行きました。

 

 12時に会社をでて、バスで30分くらい。 13時からのスタートにぎりぎりです。 はじめに選歌をするので、結構真剣に短時間で集中して20首を読みました。

 

 塔事務所は20人で歌会をやるには狭いのですが、ぎゅうぎゅうなところが話したり、発言したりしやすいのかもしれません。 真ん中にテーブルがあって、「座談」している感じ。

 

 きょうみたいに遅く行くと中央のテーブル席は満席。 そして窓際の3人掛けのパイプ机も満席。 テーブルなしの椅子だけの席でした。 そういう席もラフでいいものです。

 

 私の歌には10票を入れてもらったのですが、きのうのお昼休みに推敲もせずにわかに作って送ったので、勢いだけというか、傷を指摘してもらって、納得できました。 すっきり。

 

 それから、こども未来館へ8月の再校作業の部屋を予約しにいき、みんながお茶しているお店へ向かい、そこでピラフと紅茶を注文しました。 そうです。 そのあとも続くのです。

 

 18時からは第2回「あなたを読む会」でした。 今回はピッチをあげて2時間くらいで終わる予定でしたが、18時にスタートし、7人の作品を読みあっているうちにまたまたオーバー。

 

 文章でも短歌でも忌憚なく意見を言い合えて面白いです。 「これはないでしょう」とか「改行してください」とか、「出すまえに整えてください」とか、いろいろいいながらも笑いが起こります。「挑戦」の作品が多いので、ほんとうは恥ずかしいけど、ここになら出せる、という場の雰囲気が楽しいです。私も童話を出しましたが、ここで見てもらってから童話賞の応募をすればよかったと思いました。あーあ。

 終わったら20時半になってしまいました。 それでも「まだまだ語り足りないなぁ」といいながら帰りました。

 

 単純に計算すると1作品20分はとっているのですが、語りつくせない感が残ります。 慣れてきたらもう少しさくさくやれるのかなぁ。 

 

 帰宅したのは22時すぎでしたが、なんだかきょうはさすがに頭を使いすぎました。 早い目に寝ます。

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