少し寒くなってきたので、先週から薄手のコートを羽織って出勤している。昼間は暑いけれど、朝の吹き曝しの駅のホームとか中部北部への出張などでは着ていてよかったと思う。
母の衣類を整理していて、この時期に羽織るのにちょうどいいコートがあったのでもらってきた。ボタンがふたつゆるくなっているなと思いながら2回ほど着た。
母はこのコートを着てでかけなくなって数年が経っていたのだろう。家で暮らしていたときの後年はダウンを着ていたから。
さっき時間ができたので、あのコートのボタンをつけようと思った。ボタンをつけるなんて久しぶりだ。私にもそういう時間も余裕もなかったのかもしれない。
裁縫箱を探したけれどいつものところにない。最近はちいさなカゴに蓋のついたタイプの箱に裁縫セットをいれていた。押入れをあけるとずっと前に(結婚当初に)使っていた大きな裁縫箱がでてきた。糸切り鋏もなく、ずっとこれも放置されてきたことに気づく。かろうじて糸と針があったのでボタンのつけかえにとりかかる。
夫が通りかかったので、「押し入れにいれていた小さいほうの裁縫箱しらん? あと、パッチワークの布とかもないんやけど」ときいたら、
「捨てたよ」
と普通に言う。え、、耳を疑う。
「捨てたってあの大量の布全部???」
「押し入れのものは捨てていいっていうたから」
「ミシンは捨ててもいいっていうたけど、布のことはいうてないよ」
怒りと悲しみが湧き上がってきそうになったけれど、夫はそのまま階下へ降りていったので、追いかけて怒る気にもならなかった。
20歳ごろから買いためてきた布を全部捨てる?? そんなことある? 布を選んでパッチワークでいろいろ作るのが好きだったのに。
そこで家訓1が浮かぶ。
お互いの大切なものを大切にできないなら、一緒に暮らす意味はない
そしてそれを追うように家訓2がやってくる。
大切なものを大切にしないと失くす。失くしたのは大切にしなかったから
よく息子がゲームのちいさなソフトを失くして友達に貸したらなくなったとか、スイミングの帰りにどっかいったとか訴えてきたときに、一緒にさがしながらこの家訓2を言ったものだ。
失くしたときは納得のいくまで探す。見つけられるように最大限の努力をする。というのも家訓2に付随している。夕方の道を一緒に辿りながら捜し歩いたこともあったし、友達の家に電話をかけて探してもらったこともあった。
今回の場合は探すもなにも、捨てたのだからどうしようもない。
そして、押し入れのもの全部捨てていいといったのは私。布は大事だから捨てないでとは確かに言わなかった。まさか捨てられるとは思わなかったのだ。まさしく大切にしていなかったと言われればそのとおりだ。ああ。
でも、あれが残っていたとして、これから先、使い切れないくらいの量があったし、今後パッチワークでつぎつぎと作品をつくる機会もそうないかもしれない。息子はいらないだろうから、きっと残ったら捨てられる。これがきっかけだったんだ、と思い込む。
それにしても寂しいなぁ。