年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

長英逃亡 を再び読む

2013年04月08日 | 福神漬

ここ最近高野長英がなぜ千葉万歳村に行ったか調べている。この手引きをしたのが内田弥太郎であることは明白であるが吉村昭の小説では借金をするため万歳村に行ったことになっている。何年も逃亡している身で金を借りるだけで千葉東総地方の万歳まで行く必要があったのだろうか。長英が万歳村に行ったのは内田の弟子であった花香安静が死去してから9年ほどたった時だった。万歳村の東福寺に花香安静の顕彰碑がある。東福寺の山門の脇に事蹟を記録した板碑がある。碑文は内田観斎の起案と思われます。
 高野長英が嘉永3年10月末に南町奉行の捕り方に撲殺されたにもかかわらず、高野を匿った内田自身が処罰されなかったことは嘉永当時の情報収集家であった藤岡屋日記にも不審を抱かせた記述があります。福神漬の命名に関わることを調べてゆくうちに不思議なことが見えてきます。高野長英、内田弥太郎と花香恭次郎との関係は福神漬の導く縁を感じます。
 花香安静の子供が花香恭法です。吉村昭の小説では隆一郎となっている。この辺のあたりはもう少し調べる必要があるようだ。
コメント
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