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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本橋魚河岸に関する調査・大正11年5月東京市商工課

2017年12月13日 | 築地市場にて

日本橋魚河岸に関する調査・大正11年5月東京市商工課

全体で180ペ-ジあるという。これは東京都の公文書館にあるのだろうか。90年前の日本橋魚河岸の人たちが日本橋から移転したくない理由として1・祖先伝来の地を動きたくない。2・日本橋区が衰退する。3・市場の権利を考慮することのようだ。実際の公文書を見てみたい。

築地の豊洲移転が決まる過程で汚染が見つからないときに豊洲へなびいたのは1のことがあったのだろうか。今から十数年前は中央区の人口が空洞化の影響で千代田区とか港区との統合の議論があったようだ。中央区の人口に築地市場の人たちの占める割合が大きく、中央区の築地の移転に伴う人口減少を心配し反対していた。今は高層マンションの林立で住民が増え築地は厄介者になりつつある。3の問題は豊洲へ移転しない業者の補償を考えていたようだが東京都が費用負担しないことが明確になって消えている。郷愁を消すことは難しい。

「築地」と「いちば」-築地市場の物語・森 清杜著によると戦前問題となった板舟権問題は今でもその考えが水産仲卸の世界に残っているという。今度の豊洲移転のそこには時代遅れとなった市場という制度の最後の抵抗かもしれない。デジタルとAIで水産物流通がどう変化するのだろうか。意外とアニサキス問題から一回急速冷凍し、解凍技術を競う時代かもしれない。社内会議で漬物冷凍の会議が始まっている。解凍技術と流通がこれからの課題となる。

   
   
 
   

 

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