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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

外国人だらけの築地から浅草へ

2017年12月15日 | 築地市場にて

平日・休日と変わらず、さらに朝早くから夜まで増えた築地の観光客。人は多いが買い物は少なめ。の台東区の中央図書館へ行く。平日は和装の中国人女性とかが目立った。どこに雰囲気が異なるか見ていると立ち方と草履等を履いている時の歩き方が日本人と異なり、男の日本人の立ち方・歩き方のように感じる。

 台東区の浅草で駅を降り、浅草寺境内の異国人のざわめきの中を通り抜け、カッパ橋道具街外れの図書館郷土資料室で資料の確認。谷中墓地の本で

木村鐙子( きむらとうこ)という名前を知る。明治の19年頃39歳コレラで死去した。経歴を読むと、田口卯吉は弟で儒学者佐藤 一斎の孫。下谷教会でフルベッキによって受洗しキリスト教信者となる。明治15年。何か気になる。

 文久年間の江戸古地図で四谷近辺の地図を眺める。松平範二郎が四谷荒木町付近に屋敷を構えていた。スマホでこの人物を確認すると高須藩江戸屋敷のことで明治8年の頃の地図だと松平家の屋敷となっている。石井研堂の明治事物起源の缶詰の始まりに出てくるお雇い外国人はこの屋敷に間借りしていたのだろうか。

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