年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

雪月花三枚続

2011年10月31日 | 築地市場にて
江戸で生まれた浄瑠璃・清元の番組をみていたら築地河岸と言う言葉があった。東おどりでよく上演されているそうだ。清元のことは殆んど無知に近い知識しかないが五代目菊五郎とか富貴楼のお倉、三井物産横浜支店で馬越恭平の下で働いていた人と関係があるとかの知識しかない。
 下谷根岸の笹の雪という豆腐料理店で榎本武揚と清元のお葉が宴会をした時、地元の芸者を呼んで大騒ぎしたという記録を台東区の図書館で読んでいたこともあった。福神漬の史料はどこから出るかわからないので幅広く調べているのでなかなか進まない。今築地市場周辺で清元を習っている人、特に男の人はどのくらいいるのだろうか。今の魚河岸の人はその様な余裕があるとは思えない。
コメント
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