山形の森 保守醒論

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「明日への遺言」の岡田資中将と安浦刑事のキャラクター

2008-03-02 15:35:24 | Weblog
劇場映画をほとんど観なくなり、ましてや封切り日に映画館に行ったことなど、過去を辿っても、あったのか確かな記憶はない。
昨日(3.1)、小雪舞う中、「明日への遺言」を観に山形フォーラムに行った。
黒澤組スタッフが集結との前宣伝もあり期待して観入った。
秀作映画と言うことだろうが、なにより部下を守り、全責任を1人で背負おうと軍事裁判を戦った日本陸軍・岡田資中将の、人間の誇りと尊厳を貫いた“法戦物語(法廷闘争)”の映画製作に至ったことに感謝したい。
評論家ではないが、感想を述べると、ナレーターは何とも頂けなかった。
(入りのトーンで)冒頭数秒のナレーションだけで、「明日への遺言」に期待した重厚さが失われた軽さを感じてしまった。
もっと低音の韻を踏み、語間に微妙な間の取れる手馴れたプロを起用していれば、映画全体のメッセージがもっと深く感じ取れたように思う。
家族間の限られた僅かなセリフ「本望である」の前後にも感情表現の間が欲しかった。
また、どうしても、岡田中将役の“藤田まこと”の固定キャラとして、「安浦刑事」の人情味溢れる優しさと、撫で肩姿勢が重なり合い、“法戦”に挑む軍人岡田資中将の頑強さが、“ヤッっさん”の優しさに圧倒されている感が拭えない。
法廷に立つ岡田中将を傍聴席に座ったまま黙って見守る妻温子役・富司純子の、ほとんどセリフの無い中での難しい感情表現の演技には、さすがに惹かれた。
岡田中将は戦後、敗戦で占領軍に阿り、責任逃れに奔走する多くの日本人(軍人)の様相に、苦言を呈している。
そんな中で、我こそはと「法戦」に挑んだ姿勢は、独立自尊、平和は与えられるものでなく「平和は能動的に作っていくもので、自身の行動に誤り無し」とする誇れる日本軍人の強さを、最後まで失わなかった泰然の現れであったと想像するのだが。
原作の大岡昇平の書名が「ながい旅」ながら、仏僧に「隣に行くみたいだよ」の言葉を残し、“十三階段”に向うエンディングがなんとも脳裏に刻ませるシーンだった。
セリフもシーンも少ないだけに、役者にとっては難しい芝居が要求される映画と言える。
コメント
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