山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

渡部昇一・加藤紘一・佐高信に見る左傾化の時代変遷

2006-02-17 21:45:01 | Weblog
渡部昇一(昭5生)・加藤紘一(昭14生)・佐高信(昭20生)の3氏は、共に庄内地方出身でメディアを通して著名な人物である。
渡部は保守派の論客として、内外の歴史的経緯から、白人の時代に伍して、近代日本が明治維新後に繁栄の歴史を築いてきたことを高く評価している。
敗戦後、東京裁判史観に呪縛された現状からの脱却こそ、日本文明の再興に必要だ、と論じる。
加藤と佐高は、その東京裁判史観に呪縛された、戦後民主主義の象徴とされる戦後教育に浸る世代である。
加藤は、昭和21年に鶴岡2小入学であるので、戦後占領下教育の一期生と言える。
佐高の入学は、日教組が教育労働者宣言を打ち上げ、政治闘争を繰り広げ始めて、共産党の武装化暴動が破防法提出に繋がった頃である。
その後、加藤は、東大生で60年安保反対闘争に参加する過程を辿った。
加藤の結婚式では坂本義和(坂本ゼミからか?)が祝辞を寄せている。
佐高は、自身で久野収との出会いが思想人生を決めたと述べている。
極左雑誌「週間金曜日」の編集委員を創刊当初から、ともに務めている。
坂本義和・久野収ともに保守派からは、「戦後犯罪人」と揶揄されるほどの左翼思想家だ。
渡部昇一・加藤紘一・佐高信の庄内人3氏を見つめると、敗戦を境に振子が振れ過ぎて、極左の壁面に張付いてしまった左傾化の時代変遷を見るようだ。
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麻生太郎外相は、初代山形県令三島通庸の玄孫にあたる

2006-02-17 19:43:58 | Weblog
麻生太郎外相が、吉田茂元首相の孫になることは、広く知られるところであるが、明治9年に、現在の山形県の形になった時の、初代県令三島通庸の玄孫にあたることを、どれほどの方がご存知だろうか。
つまり、吉田茂の雪子夫人は三島の孫娘になるという訳である。
さらに、(牧野)雪子は父方の祖父が明治の元勲大久保利通であり、三島と大久保の共通の孫娘を吉田が娶ったことになる。
支那や韓国に、おもねることなく発言する硬骨漢麻生に、『オレには日本国を創り上げて来たDNAが満ちているんだ』とばかりのプライドを感じさせてくれる。
朝日新聞は2月11日の社説で「麻生発言 外交がとても心配だ」との社説を掲げて批判しているが、全共闘世代が跋扈する朝日新聞編集局が親中国路線以外の選択を取れないことに、ご愁傷様の言を捧げたい。
明治20年の保安条例公布時の警視総監でもあった豪腕三島通庸の血に、侮られてきた日本外交の再建を期待したい。

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