山形の森 保守醒論

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左翼捏造史観を糺し、日本国阿呆総理の返上こそ、麻生首相の正念場

2008-11-08 16:33:39 | Weblog
(昭7)1932.6.8、ダグラス・マッカーサー陸軍参謀総長は、ピッツバーグ大学入学式の講演で、「平和主義は共産主義の同衾者(どうきんしゃ)である」との反共発言をしている。
その反共の闘士さえも、大戦中はコミンテルンの狡猾な謀略に気付く術もなかった。
日本共産党・社会党(社民党)などの確信犯、公明党・民主党・自民党リベラルのノンポリ政治家が好んで社会主義世界に身を託そうとするのだから、ソ中朝の工作員からすれば赤子同然と言える。
同年11.8にF・ルーズベルトは、フーバーを破り大統領選に当選、翌1933.3.4、第32代米大統領に就任した。
爾来1945.4までルーズベルト政権は続き、ニューディール政策(社会主義的統制経済政策)を開始する。
時も同じ、1933.3.9にドイツは共産党活動を非合法化した。
このためヨーロッパからのマルクス主義亡命者(フランクフルト学派)は、米コロンビア大学に一時的避難所を見いだし、ニューディーラーとしてルーズベルト政権内に入り込む。
一方、コミンテルンの指令を受けたスパイ、リヒャルト・ゾルゲは、1933.9.6ドイツ新聞社特派員として来日、大阪朝日本社の尾崎秀実と再会、尾崎は朝日新聞社内に設置された東亜問題調査会に勤務、近衛内閣への接近を謀り、「米英と日独という資本主義国家同士を戦わせるレーニン戦略」の戦争へと誘導工作を勧めていく。
朝日新聞は戦時報道を煽り、部数倍増を達成したとはよく聞かれることだが、真相はコミンテルン工作として、近衛首相をして戦争勃発・拡大を仕掛けた工作員こそ“朝日新聞社員”であることを知るべきである。
マッカーサーが騙るところの「平和主義は共産主義の同衾者」を侮りながら演じている社会主義の工作員が“朝日新聞社”の本性と見られる。
田母神論文が世論の賛同を得ることは、戦中戦後を通じたこうした朝日の謀略工作の判明でもあり、朝日は社運を賭けて阻止しなければならないことなのだろう。
スパイとして処断された尾崎秀実と情報を共有して逮捕された田中慎次郎は、戦後、朝日新聞の政治経済部長に復帰、出版局長として全共闘の機関紙と揶揄された「朝日ジャーナル」を発刊(1959.3)、筑紫哲也・本多勝一ら左翼活動記者を擁して“社会主義アサヒ思潮”を振り撒いて赤化思想革命を企図してきた。
こうした欺瞞に溢れた左翼捏造史観を糺し、日本国阿呆総理を返上することこそ、麻生太郎の与えられた正念場だ。
コメント (2)
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