山形の森 保守醒論

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麻生首相には悩ましい“田母神空幕長論文”の更迭処分劇

2008-11-04 14:46:27 | Weblog
防衛省・田母神俊雄空幕長の投稿論文騒動、3日付で定年退職とする人事発令で、取り合えずの省内幕引きとなった。
「日本は侵略国家であったか」と題する募集論文であるが、政治家も右や左の諸氏も、この「侵略国家・侵略戦争」なる熟語を平気で多用しているが、国際法上における“侵略の定義と判定”は、いまだに曖昧なままになっているのが実情である。
それほど国家安全保障の論理は一方的に断じられる単純なものではない。
しかるに、東京裁判でも、Advance(進出)を用いて、Aggression(侵略)とはされていない。
交通事故を思い起こせばいい。過失割合において、それぞれの言い分が有る訳で、双方に違いが生ずることは至極当然なのだ。
相手の言い分はそれとして、信ずる所のこちらの言い分を発することは当たり前だのクラッカーだ。タフな外交交渉はそこから始まる。
日本としては遺憾であるが、「毒ギョウザ事件」が容易に解決しないのも北京政府の強かな交渉術の一面とも見える。
1995.8、中朝の代理人政党・社会党が政権入りし、“村山談話”なる蒙昧売国的な政府見解を発表した(それを容認した自民党の責任も大きい)イレギュラー政権による一時の大きな誤認なのである。
当時連立を組んでいた自民党には、これを正常化する責任を負っている。
しかし、愚相村山富市(社会党)が、“村山談話”に至るまでの自民党単独政権時における日本外交に、誤りが無かったかは、また問われるところである。
卑屈外交の遠因として、トラップされたチャイナスクールの外務官僚が関与してきた、1982.6鈴木内閣時(宮沢官房長官)の「教科書検定誤報問題」の曖昧処理、1985.8.15中曽根首相の靖国神社初の公式参拝後の(10.19)靖国秋季例大祭の参拝見送り発表、1991.1宮沢内閣の加藤官房長官談話(従軍慰安婦)、93.8の河野官房長官謝罪談話と、済し崩しに重ねた外交低姿勢がある。
暗愚の宰相・鈴木善幸は麻生の岳父、中曽根元首相は現外相の実父、中共のポチ・河野洋平が率いた河野Gは麻生派の前身、となれば、過去の重ねた政治判断の誤りを、リセットして正すには格好の麻生政権でもある。
厳しい政治状況ではあるが、空幕長の進退に及んだ“義挙”を幾らかでも前進させることこそ国家益につながるものだ。
少なくとも、1950.6の朝鮮戦争を南(在韓米軍)による北朝鮮への侵略戦争などと(1988.9まで)38年間も党見解として言い続けてきたペテン“日本共産党”、中朝黴菌に汚染され果てた民主党・社民党議員などが騙る言葉など天に唾する空論亡論でしかない。
1981.6中国共産党自ら、文化大革命(1966~75)を全面否定の歴史決議をしたにも拘らず、文革礼賛報道を垂れ流してきた朝日新聞・NHKを始めとする左翼メディアの“反省猿”にも劣るシカトした居直り姿勢。
いまだに、社会主義社会を担う人材育成との綱領(革命思想)を、破棄していないガン細胞“日教組”など左翼活動家の田母神論文批判は論外の極み。
“田母神論文更迭事件”を機会に、正常な個人が戦中戦後史を正視することで「愚かな政府見解」に気付き、国民世論が正常化されることを期待したい。
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