鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

舞鶴透図鐔 林又七

2010-05-15 | 
舞鶴透図鐔 林又七

 
舞鶴透図鐔 無銘林又七

 何て美しい構成なのであろうか。林又七(はやしまたしち)を代表する図の一つである。細い線描写がこの画面を決定付けていることは明白。下から上へと耳の丸みを大きくゆったりとさせ、首を画面左に向けている点は別として、翼の構成は微妙に左右の均衡を崩して動きに妙味ある変化を与えている。鉄色黒く光沢があり、ねっとりとした質感は写真ではわかり難いであろうが、この工が求めた本質でもある。
 林家は加藤家に仕えて肥後に居住していた鉄砲鍛冶。又七は加藤家の改易によって浪人したが、その後肥後を治めた細川家に鐔工として仕えることとなる。平田家及びその門人である志水家、西垣家とは流れは異なるが、細川三斎の求める美空間の再現を目的としてこれら三家と歩調を同じくしながらも、精美なる地鉄の美しさを背景に作品を生み出してゆく。春日村に居住したことから春日派の呼称がある。初代又七、二代藤平(重光)、三代藤八、四代平蔵、五代又平・・・と続き、藤八の門人に神吉派が興され、その二代が深信、三代目が楽壽。
 又七は鉄を吟味し、良質の鉄地を良く鍛えて素材とし、図柄構成も計算し尽くした上で製作する。それ故に作品数が西垣勘四郎に比較して少ないと、肥後金工研究家の伊藤満氏は論じている。この御家伝統を守り続けたものであろうか、確かに西垣や甚吾に比較して鉄地の仕上げは丁寧であり、神吉派にまでその風合いが及んでいる。もちろん神吉派のそれは江戸時代後期の嗜好も相乗してのものであろうが、又七の目指したところは受け継がれていると考えたい。

雨龍図鐔 西垣勘四郎

2010-05-14 | 
雨龍図鐔 西垣勘四郎

 
雨龍図鐔 無銘西垣勘四郎

 甚吾をみるような意匠の雨龍図。耳を環状にあるいは土手耳に仕立てて銀の布目象嵌で雷文を廻らし、一段低い地に厚手の銀布目象嵌にて雨龍と雲を布置している。主題の周囲をわずかに鋤き込んで薄肉彫風に表現する手法も甚吾に似ている。総体の印象では鐔の陰影が違い、地造りに歪みがあり、不安定な要素を充分に孕んでいるところから西垣と極められたものであろう、頗る面白い作品の一つである。龍の意匠も風変わりで、動きのある雲のようにも見え、そこに独創が示されていると理解したい。□

唐草文図鐔 西垣勘平

2010-05-13 | 
唐草文図鐔 西垣勘平

 
唐草文図鐔 銘 西垣勘平作七十之歳

 
唐草文図鐔 無銘西垣勘平

 勘平は唐草の十字形構成を好んでいるようだ。初代勘四郎に極められた作中にも同趣の唐草文透の鐔があるも、初代の作は骨太な風合いがあり、明らかに、繊細な風合いを楽しんだ勘平とは異なっている。線描が異なる。鉄地が異なる。
 Photo①の鐔は十字形とはいえ、基本は天地左右非対称。太い横の帯に天地の唐花は対称性があるも、唐草の蔓は左右微妙に異なっており、これが動きになっている。
 Photo②の鐔も構成が優れていることが分かるであろう。初代が求めた転げるような不安定、危うさなど微塵も感じさせず、しかも個性を漂わせている。
 個人的な嗜好を述べると、筆者は唐草文が大好きである。優雅なものもあるし土臭い風合いもある。現代にみる感性された唐草文は古代ペルシャの興ったものではあるが、その基礎となる、無限の生命を想わせる渦巻き文や植物の蔓状文様は全世界的にあり、それらとの関連からも興味深く鑑賞している。
 ま、そのような古代に遡らなくても、充分に楽しめる空間構成である。

桐透図鐔 西垣勘平

2010-05-12 | 
桐透図鐔 西垣勘平

 
桐透図鐔 銘 西垣勘平作七十之歳

 勘平の天性の才能を知ることの出来る鐔、この鐔も過去に紹介したことがある。何て美しい構成であろうか。写真を見るたびに思い出す。陰に意匠した桐に引っ掻いたような金の布目象嵌。この組み合わせだけで瑞々しい桐樹の揺れる様子が表現されている。葉陰から射し込む陽の光などと、具体的な光景を思い描くことの無意味さ、これを感じとってほしい作品である。
 西垣派では分家に当たる工ということで、一格低く捉えられる傾向にあるが、この感性と技術は初代と同格に考えても良いと考えている。

牛図鐔 西垣勘平

2010-05-11 | 
牛図鐔 西垣勘平

 
牛図鐔 無銘西垣勘平

 松樹を背にして、のんびりと草を食む牛の様子を描いた作。無銘ながら勘平の特徴が現われている。密に詰んだ鉄の地相に時代の上がる肥後の強みがあり、松樹の意匠構成も住吉図と同じ。鄙びた図柄を素朴な構成線によって透かし去り、要所に毛彫を加えている。
 古風な地鉄に美観を見出した初二代とは異なるものを求めたのが勘平であると思う。だが決して写実的ではないし、精巧精密な彫刻を目指したとも思われない。肥後独特の風合いを活かしつつも、新味を効かせた透かしの構成を生み出している。松樹に、鳥居や波、あるいはこのような牛を組み合わせるという指向も、次回以降に紹介する桐や唐草にも、初二代にはない優れた構成美がある。勘平の感性は頗る優れていることを敢えて述べておく。□

住吉透図鐔 西垣勘平

2010-05-10 | 
住吉透図鐔 西垣勘平

 
住吉透図鐔 銘 西垣勘平作六十七歳

 西垣勘平(かんぺい)は初代の次男。在銘作が多々遺されており、初二代勘四郎とは異なる個性的な作風を知ることができる。
 波打ち際に磯馴の老松、そして鳥居。この組み合わせが住吉大社を意味していることは明白。この鐔の造形は端正な竪丸形で、空間を突き破るような初代の如き強い意志は見られない。むしろ、安定感に満ちた鐔面に個性的な思索を彫り表わすような思考が感じられる。松樹、波、鳥居など、透鐔において個性が強く現われるところは透かしの切り口。屈曲した松の幹は肥後の風合いが強いものの、波を意匠した構成に大きな魅力がある。下の波は浜辺に打ち寄せるそれで、松樹にかかるほどの波は大海の遠望。水平線の湾曲を想わせる意匠である。

桐透図鐔二題 西垣

2010-05-08 | 
桐透図鐔二題 西垣



① 桐透図鍔 無銘西垣


② 桐透図鍔 無銘西垣

 いずれも危うい構成からなる桐樹に題を得た鐔で、西垣と極められている。左右に大胆な空間を持たせたPhoto①、耳の形が、今にも転げてしまいそうなまでに不安定なPhoto②。西垣の魅力横溢の作品である。いずれも『桐』で紹介しているが、西垣の作品の流れのなかで再度眺めてみると、その魅力が際立っていることが感じられよう。この構成美を単純に感じとってほしい作品である。□

杉唐草文図鐔 二代勘四郎

2010-05-08 | 
杉唐草文図鍔 二代勘四郎

 
杉唐草文図鐔 無銘西垣勘四郎(二代)

 初代西垣勘四郎に在銘作はない。二代に在銘作がわずか三点あると伊藤満氏は述べておられ、それはそのまま、初二代を作風で分けることの難しさを示していることになる。ただし、二代は初代に比較して精緻な構成を目指しているところに違いがあるとも述べている。
 写真は、二代勘四郎と極められている、唐草文と杉木立のような文様を銀象嵌で表した鐔。竪丸形の造り込みは極めて端正。鎚による鍛えのその肌をそのまま地面としている故であろうか、平滑ながら働きのある様相に魅力がある。線描は銀象嵌の手法。

三ツ巴透図鐔 初代勘四郎

2010-05-07 | 
三ツ巴透図鐔 初代勘四郎

 
三ツ巴透図鐔 無銘勘四郎(初代)

 三ツ巴を簡潔な透かしで表現した鐔。勘四郎らしい動きのある地鉄と構成であり、これを歪みと表現し、独特の美観として見るのは筆者だけであろうか。頗る魅力のある作品である。
 鉄地は色黒く光沢があり、鍛えと焼入れによって生じた肌合いには素材が持つ自然の景色が現われている。微妙な抑揚変化のある鉄肌、その錆地は指先を魅惑する。目を閉じて鐔全体を掌中に包み込んで鑑賞すれば、そのわずかに異なる耳の太さ、幅、量感などなどがふうっと身体の奥底にまで浸み込んでくるかのような、少々観念的ではあるが心地よい感覚が身体を通り過ぎる。

投桐透図鍔 西垣勘四郎

2010-05-06 | 
投桐透図鍔 初代西垣勘四郎

 
投桐透図鐔 無銘西垣勘四郎(初代)

 初代勘四郎の個性を、肥後金工研究家の伊藤満氏は即興的技法と表現している。まさにその通りで、細部への工作における微妙な計算を無視し、感覚のみで仕上げたような、構成の歪みさえも景色とした作品が多々みられることからのもの。筆者が平田彦三や甚吾の作品に対して手捻りの焼物、あるいは楽焼と表現したそれと同じように、土を捏ねる手指を鎚と鏨に代えた、感覚のみの製作過程が想像されるのである。
 殊に鐔の造形に歪みを採り入れている点が茶の美観に通じていると筆者は考えている。勘四郎もまた細川三斎に学んだ工であり、三斎の茶を体現するべく思考を廻らせたに違いない。即ち勘四郎の答えが意図的な歪みの構成であり、地造りであり、地鉄が現わす自然味に溢れた肌合いである。焼物に「ひょうげた」作風がある。それに通じているとは断じ得ないものの、歪んでいて良しとする美意識は魅力的である。しかも、歪みに作意を感じさせないところに名人たる技がある。筆者は意図してと表現しているように、勘四郎はこの歪みを図に採り入れることを作意したものと考えている。
 この投桐透図鐔は、以前に『桐』で紹介したことがある。以下はこの作品を、『銀座情報』誌上で解説した際の文章である。

 異鉄を含まない緊密に詰み澄んだ良質の鉄地を、西垣勘四郎に特徴的な泥障風に下半が脹らんだ歪みの感じられる造り込みとした自然味横溢の作で、地鉄の奥底に覇気が感じられる逸品。鉄地は色合い黒く光沢強く、微細な石目地仕上げとされた表面には自然な錆が均一に付き、肌合い引き締まって堅固な質感を呈している。わずかに抑揚の感じられる耳の線によって切り取られた空間は、春の空に雅な香りを放ち宙に溶け込むように爽やかな淡紫を滲ませて花開く桐樹の、葉花のみからなる平面的陰陽の構成。これは茶室の小窓から眺めた野の光景であろうか、あるいは手捻りによる楽焼の浅鉢に無造作に花を投げ入れただけのような、飾り気のない生け花の様子を捉えたものであろうか、絵画として切り取られて鐔に造形されたとはいえ、桐樹の自然に揺れるその様子を印象深い意匠で展開しており、我が国に伝統的な雅・鄙・粋の、それぞれの感覚とも異なる特異な質を有する美を感じ取ることができる。これが、肥後金工が秘める美の本質である。
 勘四郎は慶長十八年豊前国中津に生まれ、細川家お抱え金工平田彦三の門下で白金細工を学び、独立して自らも細川家に抱えられる。寛永九年には細川家の肥後国移封に伴なって八代に移住し、その後は元禄六年に六十二歳で没するまで、林にも平田にもない独特の風合いのある平面世界を追及した肥後四流の重鎮の一人であった。利休に茶を学んだ細川三斎忠興が求めた美意識は、そのまま装剣小道具の意匠に反映されており、細川家に仕えた多くの金工もまた作品上に展開している。そしてこの勘四郎の鐔から感じられるのは、造形的な面での茶の風景のみならず、茶の精神の背後にある禅の意識への芸術的肉迫である。
 投桐、あるいは踊桐と表現されるこの独特の構成になる桐花の意匠は林又七が創始したものと考えられ、後の肥後金工はこれを手本として作品を遺している。又七の手になる本歌は、耳によって囲まれた画面が丸く簡素に造り込まれ、鉄地の所々に鉄骨が現われ、古風でしかも武骨な趣がある。つまり又七の鐔には素材が持つ美観の追求が窺えるのである。ところが勘四郎のこの投桐図は又七のそれとは異なり、歪を意図的に残した空間構成を試みるなど、創作の上で又七とは決別を図っていることが明確である。
 また、幾度も鎚打って介在物を排除したのであろう密に詰んだ地鉄には潤いすら感じられ、江戸時代の多くの工芸家が為したように、繊細な作業によって美を作品に封じ込めたことが判る。つまりこの鐔は前時代に好まれたような偶然に美を求めたのではなく、造形美の完成のために余分な偶然性を捨て去っているのである。細部の観察により、鎚の痕跡を桐葉部分に残して自然味を示し、鍛え肌のような皺状の毛彫に繊細な鑢目様の毛彫を複合させて葉の表情を映し出しているが、耳は微細な石目地仕上げとされている点からもそれが証されよう。
 作鐔における禅の意識とは、作品に禅味ある風景を展開したりその景観を鑑賞するような、主題との対置の関係を構築することではなく、自然即ち人間、自然即ち鐔を製作する自己の発見にある。禅の意識は自然を超越したところに目覚めるのである。偶然は自然ではないことを勘四郎は見出し、作品そのものに禅を生きたのであった。

大根図鐔 甚吾

2010-05-04 | 
大根図鐔 甚吾

 
大根図鐔 無銘甚吾

 甚吾の大胆な図柄構成は、猛禽や牛、龍などにとどまらない。異様な構成は菊花や桐だけではない。ここに紹介する鐔の魅力は、鍛え強靭な趣のある骨太な地鉄に薄肉に表現された大根と三日月の組み合わせになる、禅味を帯びた作風にある。月に大根の組み合わせは如何なる意味があるのか、あるいは意味を投げかけて悩む我々を横目に見て、甚吾は笑っているのであろうか。
 図柄の周囲をわずかに鋤き込み、主題は地面と同じ高さながら立体感溢れる図としている。大根の葉は金布目象嵌象嵌、根と月は銀の布目象嵌。銀の地に滲み出るような広がりは甚吾の好むところであったものか、この特徴からなる美観は多くの作品に活かされている。金の布目象嵌も摺り付けによる手法で、金の部分は厚手にならず、破れ紙のように、ほつれ糸のように、あるいは虫食い葉のようにごくごく自然の景色となっていて視覚の奥底を刺激する。

牛図鍔 二代甚吾

2010-05-02 | 
牛図鍔 二代甚吾

 
牛図鐔 無銘甚吾(二代)

 初二代は牛図も多く遺している。この鐔は、全面を大胆に用いて独特の構成で牛の体躯を表わし、迫力ある空間を創出した作。鎚目を残した鉄地は色黒く骨太で、牛の姿は高彫ではなく鋤彫によって薄肉に表しているのだが、骨の浮かび上がった背筋や胴体、後方に首を向けた頭など、彫刻の工法に頼らない優れた立体感と存在感のある画面としている。これも掌中で楽しんでいただきたい作品の一つ。殊に鉄の風合いが強く、刀匠や甲冑師などの古鉄鐔に似た風情が楽しめる。金による櫃穴の埋めは後の作業であり、金象嵌は鼻輪と綱のみ。

猛禽図鐔 甚吾

2010-05-01 | 
猛禽図鐔 甚吾

 
猛禽図鐔 無銘甚吾

 代の下がる甚吾であろう、彫刻表現が巧みになり、初代の求めた世界とは質の異なる鐔を創出していることが理解できよう。巌に立って得物を狙う崇高なる姿は、古来権力者にとっては憧れの的。鷹狩りを権力者が好んで行ったのも、大空を自由に飛翔してしかも狙いを定めた標的を一撃の下に捉える猛禽に、己が姿と存在感を擬えたものであろう。
 真鍮地を甚吾好みの泥障形(泥障と呼ばれる馬の背にのせるクッションのようなものに似た形状)に造り込み、土手耳に仕立て、水墨山水画風に巌を描き、猛禽は薄肉彫ながら立体感に富む表現。

芦雁図鐔 五代甚吾

2010-05-01 | 
芦雁図鐔 五代甚吾

 
芦雁図鐔 無銘甚吾(五代)

 五代甚吾も初二代が創造した世界の再現を試みている。もちろんそこには独創を加えている。猛禽や梟など鳥に題を得た初代。五代には猛禽、鶏、鷺、雁図などがあり、いずれも鉄地に真鍮高彫象嵌という、初代を手本とした手法を駆使している。真鍮地の高彫に漆仕立ても初代に似ている。鉄地の表面仕上げは、洗練味がある。肥後鐔すべてについて言えることだが、江戸時代後期には均質に詰んだ鉄地を用い、敢えて古びた鉄肌を求めようとしていないところに時代の特質があろう。ここでは鎚目は施さず、浅く抑揚した表面に石目地を加える程度の手法である。