東野としひろ活動NEWS

東野としひろの活動報告やメッセージをお届けします。

北播磨城郭研究会『高峰城郭群』

2015-09-16 05:01:18 | 地域行事
 先日、西脇市板波町にお住いの藤原孝三さんから『戦国時代に機能した高峰城郭群』という冊子をいただきました。
 『高峰城郭群』は、藤原さんが事務局を務められている北播磨城郭研究会の調査報告書です。北播磨城郭研究会は、北播磨地域だけでなく西播磨地域に戦国時代に存在した城を調査研究され、調査報告書としてまとめられています。今回の報告書で、第16集目になりますから、本当に熱心な活動で感心しています。



 高峰城郭群は、神崎郡福崎町の大貫地区にあります。無線塔のあるある深山(元の標高420m)の山頂に「深山城」があり、その南の山頂に「高峰山城」があったようです。そして、「深山城」と「高峰山城」の中間部のピークに「繋ぎの城」が構築されていました。その3つの城を総称して、高峰城郭群と呼ばれているそうです。
 深山城は、地域の領主であった『在田氏』の本貫地在田壮の西端に位置します。在田氏は、戦国時代の赤松円心の孫・朝則が東播磨の拠点「在田荘」に居所を構え、「在田」を名のったことに始まります。在田氏は、嘉吉の乱に際しても没落することなく姫路周辺にも勢力を伸ばし、最大の勢力になったそうです。



 大永元年(1521)、守護・赤松義村が浦上村主により室津で謀殺されました。浦上氏と対立する赤松勢力の盟主が在田氏でした。高峰城郭群は、大永年間の合戦とその後数ケ月で城郭としての機能を終えます。大部分が、現多可町八千代区の「野間」に移っていきます。
 北播磨城郭研究会は、『西大寺末寺帖』をはじめ多くの文献に当たり、現場での調査もしっかり行う中で、今回の調査報告書を完成させています。『戦国時代に機能した高峰城郭群』は、大変丁寧な調査のもとで、考察を交えたしっかりとした調査報告書です。藤原さんをはじめ北播磨城郭研究会の皆さんにおかれては、これからも播磨地域の戦国時代に存在した多くの城の謂れ、役割、歴史を明らかにしていってほしいと願っています。素晴らしい調査報告書、ご苦労様でした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第65回兵庫県高等学校『定時... | トップ | 第26回JAみのり黒田庄和牛畜... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

地域行事」カテゴリの最新記事