年末に宝殿中学校時代の教え子達が、遊びに来てくれました。20数年ぶりの出会いでした。前から子どもを連れて遊びに来たいと連絡があったのですが、なかなか時間がとれず、年末になってしまいました。
私が宝殿中学校に赴任した時の1年生で、3年間バスケットボール部で指導した平良禎治君と神吉功一君と子ども達が来てくれました。もう40歳になっているのですが、昔の面影が残っており、すぐに分かりました。バスケットを指導したと言っても、当時バスケットのことをほとんど知らなかった私が試行錯誤しながら一緒にバスケットをしたというぐらいでした。平良君が、小児喘息を患いながらもキャプテンとしてチームを引っ張ってくれました。神吉君は、良一君と双子の兄弟で、攻撃型のフォワードでした。身長の低いチームでしたが、冬を越した頃からチームとしてのまとまりができてきて、徐々に強くなってきました。私が印象に残っている試合は、最後の大会になる加古川市内大会の準決勝の山手中学校戦です。当時加古川山手中学校は、190センチ近くある島田君を擁する全国レベルのチームでした。そのチームを相手に、コーナーから神吉兄弟のシュートがよく決まり、平良君も島田君相手にリバンドで頑張り、互角の試合を展開しました。最終的に負けましたが、宝殿中学校男子バスケットボール部の粘り強さを見せてくれた戦いでした。
教え子達と話していると、すぐにその当時の教師時代に戻るのが自分でも不思議です。2人とも高校卒業後苦労しながらも、家庭を築いてくれていることを嬉しく思いました。平良君の娘さんが、宝殿中学校でバスケットをしているとのことでした。
来年3月22日に、学年全体の同窓会をするそうで、ぜひ参加したいと思っています。また、バスケットボール部の高石邦彦君が、高砂でケーキ工房「ブリュート」というお店を開いているとのことで、手作りのお菓子を届けてくれました。お礼の電話を掛けると、久しぶりに高石君の声が聞けて嬉しい気持ちになりました。とても、美味しいお菓子でした。
私が宝殿中学校に赴任した時の1年生で、3年間バスケットボール部で指導した平良禎治君と神吉功一君と子ども達が来てくれました。もう40歳になっているのですが、昔の面影が残っており、すぐに分かりました。バスケットを指導したと言っても、当時バスケットのことをほとんど知らなかった私が試行錯誤しながら一緒にバスケットをしたというぐらいでした。平良君が、小児喘息を患いながらもキャプテンとしてチームを引っ張ってくれました。神吉君は、良一君と双子の兄弟で、攻撃型のフォワードでした。身長の低いチームでしたが、冬を越した頃からチームとしてのまとまりができてきて、徐々に強くなってきました。私が印象に残っている試合は、最後の大会になる加古川市内大会の準決勝の山手中学校戦です。当時加古川山手中学校は、190センチ近くある島田君を擁する全国レベルのチームでした。そのチームを相手に、コーナーから神吉兄弟のシュートがよく決まり、平良君も島田君相手にリバンドで頑張り、互角の試合を展開しました。最終的に負けましたが、宝殿中学校男子バスケットボール部の粘り強さを見せてくれた戦いでした。
教え子達と話していると、すぐにその当時の教師時代に戻るのが自分でも不思議です。2人とも高校卒業後苦労しながらも、家庭を築いてくれていることを嬉しく思いました。平良君の娘さんが、宝殿中学校でバスケットをしているとのことでした。
来年3月22日に、学年全体の同窓会をするそうで、ぜひ参加したいと思っています。また、バスケットボール部の高石邦彦君が、高砂でケーキ工房「ブリュート」というお店を開いているとのことで、手作りのお菓子を届けてくれました。お礼の電話を掛けると、久しぶりに高石君の声が聞けて嬉しい気持ちになりました。とても、美味しいお菓子でした。