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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



うちの会社のW君の義弟がソフトウェア開発会社に勤務している。
W君の話によると、彼の会社では全ての社内の会話を電子メールを使ってやり取りしているそうだ。
「まさかそんな会社、あるはずない」
小さなことでもより大げさにおもしろおかしく表現するのがW君の特徴なので(多分に私の影響を受けていると言われる)きっと、作り話かなんかだろうと思っていたら、私の通っている英会話スクールのクラスメートの女の子の会社も同様であることを知った。
「隣の人にもメール送るんです」
どうやらそんな変な会社が実際にあるようだ。

事の軽重に関係なく、これらの会社では電子メールで用件を伝えるそうだ。
従って事務所の中では社員のキーボードをたたく音だけが響き渡り、人の声が聞えないのだという。
「本日A社のB部長から来週の研修会の予定の確認が入りました。予定に変更はないでしょうか?」
「変更はありません。予定通り、C会館101会議室にて午後1時30分より実施します」
「了解しました」
などとという会話を、隣同士でやり取りしているというのだから、正直言って「病気」としか言いようがない。
きっとやり取りの経歴を残したいのだろうが、こんなやり取りは口頭で実施したほうがよほど効率が良いというものだ。

言葉というものには微妙なニュアンスがあり、それを文章で表現するのは極めて難しい。
同じ言葉をAという人とBという人が口に出すのでは意味合いが異なるように、その時々の感情やコンディションが言葉のリズムや高低に反映され、人はそれをコミュニケーションの重要な要素として理解しようと努めるものだ。
ところが電子メールだけだと感情が伝わりにくく、時としてミスアンダスタンドを発生させる可能性があるし、感情の動物であるはずの人間として、まともなコミュニケーションを取れなくなってしまう可能性さえあるのだ。
だいたい仕事も一種のスポーツなので激を飛ばし数字を増進させるためには活字以上の「何かが」必要なはずだ。W君の義弟が努める機械的な企業は感情をないがしろにしている分その将来性が心配なところも否定することができない。

先日、トヨタ直系企業のクレーム報告書を読むチャンスがあった。
そのクレーム報告書を読むと、その中身よりも文章の処理方法に驚愕するものがあった。
それはまるで添削された文章教室の回答原稿の様相だったのだ。
「この表現はよくありません。商品の問題点のみを的確に述べるように」
とか、
「ここに読点は不要。文字も間違えています。漢字辞典を引いて間違えないように」
などと書かれていたのだ。
トヨタの社員は自動車生産台数世界一だけでは物足りなく、きっと直木賞や芥川賞、サントリーミステリー大賞を目指しているのだろう、と思った。

このように、血が通わないというかなんというのか、いくら良い給料を頂戴してもこういう企業で働くのは御免被りたいものがある。
なにしろ電子メール会話をしなければしないで文章教室状態なのだ。
IT社会、マニュアル社会。
これから日本の会社はどこへ行ってしまうのか。

ちなみ私の部署でも電子メール会話が為されることがあるが、テーマは概ね次の通りである。
「若手社員のパチンコの勝敗情報」
「某キャバクラの接客評価」
「飲み会の予定案内」
そして、
「秀作な文面と思われるスパムメールの閲覧」
などなど。

上に知られると拙いことはいうまでもない。

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民主党の有名人(有力者ではない)鳩山由紀夫が昨日メディアに語った。
「中国は、脅威ではない」
自分の所属する民主党の前原代表が先日演説した「中国は脅威だ」論をうけての発言で、要は民主党内にはびこる旧社会党員の皆さんの機嫌取りではあったのだ。
しかし正常な神経の持ち主であれば、今どき中学生でも「中国は脅威ではない」と語ることはないだろう。
むしろ鳩山の「中国は脅威ではない」発言こそ、日本国にとっては非常に「脅威」だ。

果たして、
武装した潜水艦に我が国の領海を不法に侵害させて調査活動をさせている国が脅威でないのか。
排他的経済圏内に軍用機を跳ばしてくる国が脅威ではないのか。
日本の玄関先「台湾」をいつも武力で恫喝している国が脅威ではないのか。
国民選挙も行ったことがない人治国家が脅威ではないのか。
同じ大陸棚を持ちながら、うちの領域だからと同意も得ずに資源掘削に励む国が脅威ではないのか。
貸した金を返しもせずに「ちゃらにせよ」と威張る国家が脅威ではないのか。
鳩山由紀夫の考え方がわからない。

もしかすると、鳩山由紀夫は包丁を持って家の床下を賊が徘徊しても脅威だとは感じないのか。
隣の家が自分の敷地に覆いかぶさるような張り出し二階を作っても脅威ではないのか。
自分の家の水道管から隣家に水道を盗まれても脅威ではないのか。
貸した金を返してもらえず、おまけに「もらってやってるんだ!」と恫喝されても脅威ではないのか。

「最近の政治家は一般世間を知らないのが問題だ」という言葉を度々耳にするが、それ以前のものがあるような気がするのだが、いかがだろう。


※今日は忘年会で酔っぱらっているので短くまとめてみました

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先週末から日本列島を大陸からの寒気団すっぽりと包み込み、各地に大雪を降らせている。
新潟では2m以上の積雪を記録したところもあると聞くし、大阪でも雪こそ降らなかったが12月とては20年ぶりに最低気温が氷点下を記録した。
しかしなんといっても中部地方の積雪が凄まじく、名神東名高速道路が滋賀県の栗東から愛知県の岡崎あたりで通行止めになってしまった。
この影響でうちの会社の仕事にも影響が出た。

朝の早くから兵庫県の網干(姫路の西にある街)というところで納品作業があるということで午前5時に若手社員のA君は大阪の家を出発した。
そして約束の時間午前8時までに現地に入り、商品の到着をまったものの待てど暮らせどトラックがやって来ない。
納品作業のために手配した作業員たちは待ちぼうけ。
「どないなってるんですか?」
と工場の出荷担当に確認すると、
「そちらへ向かっているはずなんですが」
という答え。
商品を積んだトラックは福島県の郡山市から網干へ向かっていたのだ。
昼頃になってようやく、
「商品は夜の7時頃に到着します」
という返事を受けとった。
結局A君は朝の早くから夕方まで、寒空の下でボンヤリ過ごすことになってしまった。

大阪でA君の苦悩を聞いて「日頃の報いだ」などと悪口を叩いていた私たちも、身体を暖めるために昼食に熱いうどんを食べようと出かけたところ、いつものうどん屋は満員状態。
寒い入り口で身体の芯まで冷えるほど待たされた。

で、この日一番寒かったのは夕方だった。
気温が低くて寒いのはもちろんのこと、心が凍りつくような一味違った極寒の光景が、会社の目の前で展開されていたのだ。

先々週、うちの会社の近くのマンションで殺人事件があった。
そこに住む20歳代の姉妹が刺殺されて金品を盗まれ部屋に火を放たれたという凶悪事件だったのだ。
週刊誌や新聞、テレビで大々的に報道されたから知っている人も多いだろう。
この事件の容疑者として逮捕された22歳の男が、今日、全面自供を始めたのだ。
「使った凶器は、近くの神社に捨てました」
との供述どおり、神社の境内から包丁が出て来たという。
実はうちの会社のすぐ近くには字は違うが京都にある有名な神社と同じ名前のお宮さんがある。
「まさか、その浪速区内の神社って、八○さんやないやろな」
とインターネットニュースを見たY次長が冗談をいっていると、ヘリコプターの飛ぶ音が聞えてきた。
「報道のヘリコプターちゃうやろな」
とまたまたY次長。
会社の窓から外を見ると、会社の近くにある神社にカメラやビデオカメラを持った報道関係者と思われる人々が。

温度以下に背筋が凍りついたのは言うまでもない。
今後暫く、うちの会社で夜一人残って仕事はしないほうが良さそうだ。

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目覚めると列車は止まっていた。

夕食をとった後、暫く歓談していたがだんだんと眠くなってきたので座席に横になり眠っていたのだ。
Tさんも今度は上のベットには戻らず私と座席をシェアすることになった。
雨漏りで湿ったベットなどで眠れるわけはないのだ。
とはいうものの、狭い。
物凄く狭い。
もともと私のベットは座席をスライドさせて組み立てる方式のベットだった。
その肝心の座席をTさんとシェアすることになったので私とTさんは座席の背もたれはそのままで座る部分だけを中途半端に迫り出させ、前と後ろに分かれて眠ることになったので狭いのだ。
Tさんは身体が小さいからまだいい。
日本人としてもどちらかというと身体の大きいほうの私は狭くてかなわなかったのだ。
しかし、これも旅の面白さ。
それにTさんも私のようなわけのわからない日本人のガイドを務めてさぞ心労も多いことだろうと思うとなんら不快な気持ちは湧いてこなかったのだ。

車内の電灯を消してからも暫く外を眺めていた。
ほとんど真っ暗なのだが、時折明かりが見えることがあり、列車のスピードを推し量りことが出来た。
なんといってもダゴンマン列車は「ホアンホアン、ガチャンガッチャン」というようなけたたましい音と、凄まじい振動を伴いながら走っているので、想像以上にスピードが出ているような感覚がするのだ。

夜11時を過ぎたころ、上りの列車とすれ違った。
まだ複線であることに驚いた。
前述したとおり、やはりこの鉄路はミャンマーの大動脈なのだ。
すれ違ったのは長い編成の列車で、色も私たちの列車と同じだったので、きっと夕刻にマンダレーを出発してヤンゴンへ向かう逆ルートを走る特急列車なのだろう。
つまり旅はすでに中間点に達したというわけだ。
午後11時。
出発から8時間が経過していた。
予定では明日の朝、午前8時前に旧都マンダレーへ到着する。

記憶のあったのはこの列車とすれ違った時までだった。

腕時計を見ると午前2時を過ぎたところだ。
あれから3時間。
列車で移動していたわりには良く眠れたほうだ。
私は乗り物に乗って熟睡することが出来ない性質なので、今回の旅行は「十分に睡眠がとれないかもしれない。でも、まあいいや」という覚悟で乗り込んでいた。
この乗り物では眠れないという性質は長距離旅行にとって極めて不向きであることは言うまでもない。
なんといっても飛行機の深夜便に乗ると、いつも睡眠不足で悩まされるのだ。
太平洋を渡るときもほとんど眠ることができない。
もし眠ることができれば10時間以上もの飛行時間はあっという間に過ぎ去ってしまうのであろうが、残念ながらいつも目がランランと冴えて眠れないのだ。
乗り慣れた関空バンコク路線も深夜便が苦痛であることは言うまでもない。
だからいつもわざわざ午前か午後、太陽が明るいうちに飛ぶ便を予約してその日のうちに到着するように予定を組んでいるのだ。
しかし旅費やスケジュールの都合で深夜便を選ばなければならないこともざらにある。
旅は厳しいのだ。
それにしてもなぜ眠れないのだろうか。
たった5時間ほどの飛行時間で深夜にも関わらず機内食を運んでこられたりすることにも原因はあると思えなくはないが、乗り物に乗っているとある種の緊張感が心のどこかを支配して、眠らせないようにしているのだろう。
なかなか会社の研修会を受講しているときのように眠くならずに困っているのだ。
ということで、3時間だけでも熟睡できたということは私にとっては大変重要なことなのだ。
しかも震度5以上とも思えるような強烈な揺れの列車の中で眠れたのだから、どこか体調がおかしいのではないかと疑ったぐらいだったのだ。

通路側のひじ掛けを枕に尻から足までを壁に沿わせてL字型に眠るという姿勢だったので、少々腰がくたびれている。
Tさんは小さな身体を小器用に折り曲げて前の座席で眠っている。Tさんは私の肩ほどまでしか身長がないのでこういうときは特だと思った。

身体を起こして窓から外に目をやると、真っ暗闇でシーンと静まったなか、数十メートル向こうに裸電球が一つ、ぽつんと灯っているのが見えた。
なんだかやけに印象的な明かりだった。

つづく

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初めて買ったパソコンはシャープから発売されたばかりのX1という機種だった。
購入のポイントは「美しいグラフィクスが作れること」。
1982年の当時としては随分と乱暴な要望だった。しかし、大学で映像を専攻していた私にとって、CGを描くということ以外に高価なパソコンを買う理由はまったくなかった。

実はこのX1を購入したとき、とある雑誌で目を留めて欲しいと思ったパソコンがあった。
しかしその時は高価すぎて買うことの出来なかった。
それがAppleだった。

今週、アメリカの調査会社が「今、最も優れたCEO」は誰かという調査結果を公開した。
一位がマイクロソフトのビル・ゲイツ会長。
パソコン業界を実効支配する帝王だ。
そして二位がスティーブ・ジョブス。
有史以来マイクロソフトのライバルとして存在してきたアップルコンピューターの最高経営責任者だ。
過去二十数年、業界をリードし現代の産業革命を起こしてきたこの二人が最も優れたCEOに選ばれたことは尤もなことだろう。
一方私たち一般の者にとって、二人はパソコン用オペレーションシステムの覇権を争ってきた単なるライバル同士、というようなイメージしか持ちあわせていない。
しかしIT草創期の頃ならいざ知らず、21世紀の今、その状況はかなり異なってきているのだ。
OSという分野ではもはやアップルがいくら努力してもマイクロソフトにはかなわない。
電脳世界はウィンドウズPCが席巻し、天変地異にも似た異変でもない限り、かなりの期間現在の状況は続くだろう。
だからといって、かつてのパーソナルコンピュータの雄であるアップルが滅びてしまったかと言えばそうではない。
今、アップルはマイクロソフトが真似ようとしても太刀打ちできないことを可能にしつつある。
つまりそれはコンピュータが単なる道具ではなく、ライフスタイルの一部であるというカルチャーを創出するものといったことの証明だ。

1980年代にして「Cool!かっこいい」
という要素がコンピュータには必要だというアップルのコンセプトは、優れたグラフィック性能を生み出した。
このあまりに奇抜なコンセプトと個性のためアップルとジョブスは一度滅びかけた。
ところがジョブスがアップルを追放されていた15年という歳月の間に、上質のワインが酒蔵の中で育まれるように双方を発酵熟成させ、ついにまったく新しいコンセプトで蘇ったのだった。

本書「iConスティーブ・ジョブス 偶像復活」はそのアップルコンピューターの創業者、スティーブ・ジョブスの伝記である。
しかし単なる伝記にとどまらず、今や神話となっているアップルが巻き起こした80年代の旋風と、その後に続く醜いまでのアップルとジョブスの没落が克明に描かれている。
そして一番興味深いのは、これまでのコンピュータ文化を扱った書籍と違い映画界の裏の世界を克明に描いていることだ。
多くの人々は、大のお気に入りの「トイストーリー」や「モンスターズインク」「Mr.インクレディブル」を製作したアニメーションスタジオのCEOとアップルのCEOが同一人物であることを知らずにいる。
15年間の間にジョブズがいかに映画の世界と関わることになったかを知ることで、ゲイツ率いるコンピューターの世界から別の世界へ飛び出したアップルの世界を理解することができるようになる。
そう、コンピューターメーカーのアップルはiMacの登場から現在独走するiPodの快進撃に見られるようにマイクロソフトが支配しているPC世界とはまったく異なった文化を生み出しているのだ。

本書はここまでに至る波乱の歴史を多数の証言と取材によりスリリングでエキサイティングに描いたドキュメントだ。
そしてさらに一つのベンチャー企業とそれを生み出した一人の男の大河ドラマといえるだろう。

~「iCon スティーブ・ジョブス 偶像復活」ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・サイモン著 井口耕二訳~

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子どもの頃「嘘つきはドロボウの始まり」とよく言ったものだ。
親からもウソをつかないように教育されて、子ども同士でも「嘘つきはドロボウの始まり」と言っては、「正直になろうね」と無意識のうちに啓蒙しあっていた。

しかし大人になって気がついてみると、周りは嘘つきだらけになっていた。

一昨日、帰宅すると一通の封書が届いていた。
なかを開けてみると、不正な保険金や給付金の支払いについての明治安田生命からの詫び状だった。
「金融監督庁からの指導...云々」との文面だったが、嘘つき保険会社が正直者になれるかどうかわからない。

しょぼいゴマカシも貯まれば貯まるという窃盗事件も発生した。
JR西日本の豪華列車トワイライトエキスプレスの車内サービススタッフがコーヒー代を着服していたことが判明した。その額なんと1400万円。
紙コップではなく、ちゃんとした陶器のカップでコーヒーをサービスすることに目をつけて「どうせ数などわからない」という不埒な気持ちで着服を始めたのだという。
せっかく予約のとれた憧れの展望室。コーヒーを頼んだら紙コップで運ばれてきた、ということがないように祈りたい。

こういうしみったれたゴマカシばかりかと思っていると、会社の会計監査を行う監査法人も嘘つきだった。
監査法人最大手の中央青山監査法人は潰れかけの(ホントに潰れた)カネボウと結託し、ウソの会計報告を行って、株主や出資者をたぶらかした。これは明らかな資本主義への挑戦だ。
もしかして監査法人には監査法人をつけなければならないのか。
というようなことになったら、またその監査法人に監査法人をつけなければならないので、監査法人の無限連鎖が始まってしまう。
こういう犯罪行為はシステム以前の問題だ。

で、極め付けは「姉歯さん」とその醜い仲間たち。
「地震で壊れても、どうせだれもチェックしない」とばかりに鉄筋、耐震壁に、構造鋼を自主省略。
誤魔化せるものはぜんぶ誤魔化して「安い、安心、お買い得」をモットーに構造検査をねつ造し、売りも売ったり数十棟。
「買った人が悪いんです」
てな主張を平然と言っているのが恐ろしい。
ウソもここまで行ったら救いはない。
しかし偽造した構造計算書を見抜けなかった役所もマヌケなら、外部審査会社のイーホームズは「合格」というハンコをつくだけのなんちゃって会社だった。
この人たちは、どうも「『与党系』カルト宗教」つながりの仲間だそうだ。
だから国道交通大臣が「税金」で犯罪被害を補填すると宣ったのも理解できる。

それにしても「地震で潰れたら人が死ぬ」かもしれないということを理解しているのであれば、これは詐欺を通り越して殺人未遂といえるだろう。

ついに「嘘つきは殺人事件の始まり」までに成長した。

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ここ5年ほど使い続けてきた電子手帳「シャープ液晶ペンコム」が故障した。
電池を入れ直してもリセットスイッチを押しても液晶画面にはなーんにも表示されなくなってしまったのだ。

もう随分古くなったものだから「新しいのを買おうかな」と思って仕事の合間に梅田にあるヨドバシカメラへ立ち寄った。
ここならなんでもあるだろうと思ったからだ。

「シャープの液晶ペンコム」という商品は複雑なネットワーク機能はないものの、住所録、電子辞書、スケジュール管理、電卓、手書きメモなど便利な機能が装備されている優れものだ。
これらの機能が胸ポケットに納まるくらいの大きさのメモ帳サイズなのでとても重宝した。
電子辞書も和英に英和、国語辞典に漢字辞典と一通りは装備していたのでビジネス文書の作成にも役立った。
不便な点をあえて述べれば入力作業が面倒だったということか。
「液晶」の名前の通り、この小さなマシンにはキーボードを装備されていなかった。だからゴルフのスコア記入用鉛筆程度の大きさの小さな入力ペンを使わねばならなかったことが不便だったのだ。

で、ヨドバシカメラを訪れて愕然とした。
この手の安物PDAは姿を消し、PDA売り場は電子辞書で溢れていたのだ。
もちろんこれらは「辞書」なので、住所録機能もメモ機能もついていない。
辞書の機能はさすがに専用機だけに、小さなボディに辞書5冊分程度は当たり前。凄いのになると20冊も30冊も内蔵し、おまけにTOEICのレッスンまでできるものが売られていた。
でも私は辞書は欲しくない。欲しいのは電子手帳。

肝心の電子手帳PDAはシャープのザウルスが2機種。
東芝が1機種。
ソニーのクリオが1機種。
いずれも価格は4万円以上。
中古のノートPCが買える金額なので、買う気がまったく起こらなかった。

もしかして住所録機能やスケジュール機能は携帯電話に搭載されているから必要ないのだろうか。そして辞書機能は専用辞書を買えということなのか。
液晶ペンコムの買い代え機種を見つけることはついにできなかった。

PDAという名の電子手帳は「サンスターのスパイ手帳」よろしく世の中から消え去る運命にあるようだ。
そういえば、電子手帳の主な利用者が、私のような「スパイ手帳」世代であることを考えると、なんとなく納得できるような気もするのだった。

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日曜日のフジサンケイビジネスアイ紙に「ながらパソコン」に関する記事が載っていた。
ある調査によると、テレビを見ながらパソコンを楽しむ人が2割以上もいるというのだから驚いた。
パソコンの画面を見ながらテレビも見る。
そんなことできんやろ。無意味だ。
と一瞬考えたが、実は私も学生時代は「ながら族」の一人だったのだ。

私が中高学生だった二十数年前。
私もそうだったが、親しい友達の多くもラジオを聴きながら勉強をする(ふりをする)というのがその頃のポピュラーなスタイルだった。
友人の一人は毎日放送ラジオの鶴瓶のヤンタン(ヤングタウンという大阪の夜の番組)に投稿した小話が採用され、放送されるという幸運に恵まれた。
ヤンタンステッカーを手に入れたのを羨ましく想ったが、しかし内容があまりに下らなかったので、暫くのあいだ仲間内でからかわれるという不運のおまけが付いた幸運だった。
一方私はヤンタンではなくラジオ大阪で放送されていた「欽ドン」(欽ちゃんのドンといってみよう!)への投稿マニアになっていて、数年間のうちに欽ドン賞を3回と「ロードショー賞」や「明星賞」「ジャンプ賞」(欽ドンのスポンサーは集英社だった)などを計十数個頂戴した。
大阪では欽ドンは午後9時20分から10分間放送されていて、毎夜欠かさず耳を傾けていたものだ。
ところが高校1年生だったある日、欽ドンを聞かなくなる事件が発生した。

その夜、確かラジオ大阪はプロ野球のナイター中継が長引いて、欽ドンがキャンセルされる雰囲気だった。
いつもなら野球を聞き続けているのだが、何を思ったのかFM放送にラジカセのダイヤルを合わせた。
「何やってんやろ?」
という好奇心から合わせたのだと思う。
当時、大阪のFM放送はNHKとFM大阪の2局しかなく、NHKはクラシック番組などが中心だったので必然的にFM大阪にダイヤルを合わせた。
なにか洒落た洋楽が出てくることを期待した私は出て来た音にビックリした。
テレビドラマのようにセリフが交わされ、バックにジャズやポップス、ロックなどの音楽が流れているのだった。
「何?これ」
暫く耳を澄ませていると、聞きなれた刑事コロンボの声優「小池朝雄」の声が聞えてきたのだ。
そう、これは生まれて初めて耳にしたラジオドラマだった。

番組の名前を「音の本棚」という。

すっかり番組の雰囲気に魅了された私は、翌週から欽ドンは録音し、音の本棚を聞くようになった。
音の本棚は毎週月曜から金曜日の午後9時から9時25分に放送されていたのだ。
しかしやがて録音する番組も欽ドンから音の本棚に変わって行った。

FMファンやFMレコパルといった週刊誌のFM番組欄をチェックして、面白そうだと思って録音した番組は今聞いても面白い。
「イリュージョン(リチャードバック原作)」
「モッキンポット師の後始末(井上ひさし原作)」
「海底二万マイル(ジュール・ベルヌ原作)」
などなど。
極め付けは「2001年宇宙の旅」。
ラジオドラマにも関わらず、これはキューブリックの監督したSF映画よりも素晴らしかった。

この番組は1年ちょっとで終了してしまったと記憶するが、これほど面白かったラジオドラマを以後一度も耳にしたことはない。
そういえば「音の本棚」の時間だけ「ながら勉強(したふり)」にならななかったことを思い出した。
耳を澄ますと今もオープニングのナレーションを思い出す。

「今宵また、いつものように、いつものサントリーをグラスに満たします。そしてまろやかな味と香りに包まれ思いつくまま空想の翼を広げます。過去、現在、未来。サントリーの琥珀の酔いに身をゆだねれば、どんな世界も想いのまま............さあ、今夜はどこへ飛んで行くのでしょう」

※ちなみに洋酒の好きでない私はサントリーはあまり飲まない。

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ダゴンマン列車はマンダレーへ向かって走り続けているが、ここで少しティータイム。

ここのところ首都移転問題やスーチー女史の軟禁継続で世界の顰蹙をかっているミャンマー。
首都移転問題については国民にさえ知らされておらず、気がつけば主要な政府機能を遷す作業が始まっていたといわけだ。
新しい首都にしようとしているのはピンマナという名前の街。
日曜日のブログの中に書いた私たちの列車が最初に停車した「タウングー」という街からさらに北に90kmほど進んだところにある田舎町だ。
この街を私たちの列車が通過したときは真夜中であったこともあり、私も眠っていたのでどのような街だったのかはまったく確認することができなかった。
と言うよりも、まったく気づかなかった。
第2次世界大戦中は日本軍の司令部が置かれていたところだというくらいなので、地理的に非常に重要な場所であることは間違いはない。

この突然の首都移転は国民を困らせているのはもちろんのこと、各国も困惑を隠せずにいる。
ミャンマーにとって最も重要な隣国であるタイ王国は日本円にして数十億円をかけ大使館を新築中であるし、先の旅行記で紹介したように日本も多額の資金援助をしてヤンゴン国際空港のターミナルビルの増改築をはじめ数多くの投資をしているところでもある。
一説には、最近影響力を増している中国との関係から首都移転を行っているということだが、真意のほどは誰にもわからない。
ミャンマー人の本心はかつて英国の手先として働いた中国人とインド人は大嫌いなのだ。

一方スーチー女史の自宅軟禁はすでに十年を越え、ミャンマーの民主化を望む国内外の声は日ごとに増すばかりだ。
今回のミャンマー訪問でたまたまスーチー女史の自宅近くを自動車で通る機会を得た。
自宅前の公道には簡単な警備用ガードがあるだけで、ものものしい雰囲気などまったくなかった。
意外なくらい落ち着いた景観だったので拍子抜けするぐらいだった。
昨年失脚したミャンマー政府のキンニョン第一秘書は度々スーチー女史に面会し、和解の機会を窺っていたとも聞くが真相はわからない。
メディアではスーチー女史ばかりが採上げられるが、今現在、スーチー女史の長兄アレキサンダー氏がミャンマーへ帰国して遺跡の街で有名なバガンに自宅を構え生活している。
「残りの人生を父が命をかけた故国に捧げたい」
というのが彼のステートメントだという。

独立の英雄アウンサン将軍の二人の遺児が現在における国民の、とりわけ若い世代の希望の星であることは間違いない。
しかし、二人が幼いうちに外国へ移住し、外国で教育を受けたことが少なからず現政府の気に召さないところでもあるのだ。
実際にスーチー女史は英国籍であり、アレキサンダー氏は米国籍である。
この国籍と彼らが受けた西欧の教育が、ミャンマーの国情に合致しにくいことはメディアがまったく伝えない部分でもあり、国家運営と外交の下手くそなミャンマー軍事政権の泣き所でもある。
実際ミャンマーの人と話をすると、スーチー女史や民主化運動を支持する人は少なくないが、同時に英国や米国に対する厭悪の情も小さくないのだ。
例えは不適切だが、日本で教育を受け、日本人のアイデンティティを持った有名在日韓国人が自国へ戻って、その価値観で自国を非難するようなものなのだ。

人口、国土ともに東南アジアの最大の国の一つであるにも関わらず、唯一政治的に問題のあるミャンマーから暫く目を離すことはできないだろう。
なにせミャンマーは世界一の親日国。
日本人はもっとこの国に目を向けてみる必要がある、というのが私の考えだが、どうだろう。

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3年前。うちの会社にドロボウが入った。
朝出勤して4階にある自分オフィスに上がって行くと様子がおかしい。
前日ちゃんと閉じたはずの引き出しが開いていて、机の上と床の上に書類が散らばっていた。
私は退社時刻に机の上がグチャグチャしているのが大嫌いだから、見かけだけでもなんとか整理して帰宅しているのでなんだか変だと思ったのだ。

夜の間に送ってこられているであろうファックスをチェックしに1階へ降りる途中、物凄い光景をみた。
2階の総務フロアの書庫の扉が全て開けられて、机の引き出しは中身が散乱された状態になっていた。
「おはようご、ざ、い、ま..」
まで挨拶すると総務の部門長は立ち尽くしたまま「ドロボウに入られたんや」と困惑顔。
結局、被害ゼロのフロアは私の部署だけで、他の部署が使っていた全てのノートPCと小型金庫などの金目のものが奪われた。
私の部署は再三の「ノートPCに買い替えろ」という要求を会社に拒否され続け古いデスクトップを使用していたので幸運にも被害を免れたのだった。

その数日後。
会社にセコムが入ってきて遠隔監視装置を設置して帰っていった。
それまで休日でも鍵さえ持っていれば自由に出勤できて、処理しきれない業務を片づけたりしていたが、それがまったくできなくなった。
セコムのおかげで仕事がやりにくくなってしまったのだ。

私の担当の得意先を辞めてセコムに入社したA氏という親しい人に会ったとき、「もしかして、Aさんところ、ドロボウと提携なんかしていない?」と訊ねてしまった。
それくらいドロボウの数と警備保障会社の業績が増えてきている哀しい時代だ。

昭和40年代。
岡山にあった祖父の家には玄関の鍵がなかった。
いや、鍵はあったがかかっていることがなかったと言ったほうが良いだろう。
子どもであった私は「おじいちゃん!」といきなり玄関をガラッと開けてドタバタと入って行くことができた。
この田舎の家は玄関に鍵がないばかりか、暖かくなると始終開けっ放しだったので、人間だけでなくツバメがヒョイヒョイ出入りして、家の土間の天井の梁に毎年巣を作って子育てに励んでいた。

正月、お盆、春休みなどなど。
身内も含めていつも近所の人がいつも勝手に出入りして、ある意味かなり賑やかな家だった。
そんな家は祖父の家だけでなく、他のところも同じような感じで、まったく珍しくなかったと記憶する。

しかし、今は鍵をかけず、玄関を開けっ広げておくことなど田舎の家でもできなくなった。

ツバメの代わりに警備会社が出入りする。
なんて無粋な時代なんだ。


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