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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



目覚めると列車は止まっていた。

夕食をとった後、暫く歓談していたがだんだんと眠くなってきたので座席に横になり眠っていたのだ。
Tさんも今度は上のベットには戻らず私と座席をシェアすることになった。
雨漏りで湿ったベットなどで眠れるわけはないのだ。
とはいうものの、狭い。
物凄く狭い。
もともと私のベットは座席をスライドさせて組み立てる方式のベットだった。
その肝心の座席をTさんとシェアすることになったので私とTさんは座席の背もたれはそのままで座る部分だけを中途半端に迫り出させ、前と後ろに分かれて眠ることになったので狭いのだ。
Tさんは身体が小さいからまだいい。
日本人としてもどちらかというと身体の大きいほうの私は狭くてかなわなかったのだ。
しかし、これも旅の面白さ。
それにTさんも私のようなわけのわからない日本人のガイドを務めてさぞ心労も多いことだろうと思うとなんら不快な気持ちは湧いてこなかったのだ。

車内の電灯を消してからも暫く外を眺めていた。
ほとんど真っ暗なのだが、時折明かりが見えることがあり、列車のスピードを推し量りことが出来た。
なんといってもダゴンマン列車は「ホアンホアン、ガチャンガッチャン」というようなけたたましい音と、凄まじい振動を伴いながら走っているので、想像以上にスピードが出ているような感覚がするのだ。

夜11時を過ぎたころ、上りの列車とすれ違った。
まだ複線であることに驚いた。
前述したとおり、やはりこの鉄路はミャンマーの大動脈なのだ。
すれ違ったのは長い編成の列車で、色も私たちの列車と同じだったので、きっと夕刻にマンダレーを出発してヤンゴンへ向かう逆ルートを走る特急列車なのだろう。
つまり旅はすでに中間点に達したというわけだ。
午後11時。
出発から8時間が経過していた。
予定では明日の朝、午前8時前に旧都マンダレーへ到着する。

記憶のあったのはこの列車とすれ違った時までだった。

腕時計を見ると午前2時を過ぎたところだ。
あれから3時間。
列車で移動していたわりには良く眠れたほうだ。
私は乗り物に乗って熟睡することが出来ない性質なので、今回の旅行は「十分に睡眠がとれないかもしれない。でも、まあいいや」という覚悟で乗り込んでいた。
この乗り物では眠れないという性質は長距離旅行にとって極めて不向きであることは言うまでもない。
なんといっても飛行機の深夜便に乗ると、いつも睡眠不足で悩まされるのだ。
太平洋を渡るときもほとんど眠ることができない。
もし眠ることができれば10時間以上もの飛行時間はあっという間に過ぎ去ってしまうのであろうが、残念ながらいつも目がランランと冴えて眠れないのだ。
乗り慣れた関空バンコク路線も深夜便が苦痛であることは言うまでもない。
だからいつもわざわざ午前か午後、太陽が明るいうちに飛ぶ便を予約してその日のうちに到着するように予定を組んでいるのだ。
しかし旅費やスケジュールの都合で深夜便を選ばなければならないこともざらにある。
旅は厳しいのだ。
それにしてもなぜ眠れないのだろうか。
たった5時間ほどの飛行時間で深夜にも関わらず機内食を運んでこられたりすることにも原因はあると思えなくはないが、乗り物に乗っているとある種の緊張感が心のどこかを支配して、眠らせないようにしているのだろう。
なかなか会社の研修会を受講しているときのように眠くならずに困っているのだ。
ということで、3時間だけでも熟睡できたということは私にとっては大変重要なことなのだ。
しかも震度5以上とも思えるような強烈な揺れの列車の中で眠れたのだから、どこか体調がおかしいのではないかと疑ったぐらいだったのだ。

通路側のひじ掛けを枕に尻から足までを壁に沿わせてL字型に眠るという姿勢だったので、少々腰がくたびれている。
Tさんは小さな身体を小器用に折り曲げて前の座席で眠っている。Tさんは私の肩ほどまでしか身長がないのでこういうときは特だと思った。

身体を起こして窓から外に目をやると、真っ暗闇でシーンと静まったなか、数十メートル向こうに裸電球が一つ、ぽつんと灯っているのが見えた。
なんだかやけに印象的な明かりだった。

つづく

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