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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



鉄橋が洪水で流されたとなると開通するのはいつになるかわからない。
マンダレーまではここからバスに乗り換えるか、それともタクシーをチャーターしなければならないだろう。
しかしここはきっと田舎だろうからタクシーがあるかどうかわからないし、バスも通っているかどうか定かではない。
そしてたとえバスが走ってたとしても一日に数本、いや数日に1本しかないかもわからないし、ましてそれがマンダレーまで走っているバスかどうかも分らないのだ。

それよりもだいたいここは何処なんだ?

私は発車の見込みのない列車を降りてTさんの向かった駅舎の方に歩いて行ってみることにした。

列車の扉を開けて外を見た。
昨夜来ポツンと灯っていた裸電球の場所は、すぐ近くの民家だろうか納屋だろうかそれとも鉄道関係の建物なのか、とても判断に苦しむニッパヤシ作りの平屋の家の灯だった。
もうすでに多くの人たちが列車の周りを行き来している。
彼らは列車の客なのか、それとも地元の人たちなのか、服装が似たりよったりなのでこれまた判断に苦しむ。
でも、ミャンマーの田舎の朝もいいもんだ。
ステップを降りて大地を踏みしめた。
天気は曇天。
でも雨の降る気配はない。
そして気温は暑くも寒くも湿気もなく、心地よい。
深呼吸をしながら大きく背伸びをしてみたら空気が驚くほど美味しく爽やかだった。

私の乗っている車両は最後尾のほうだったので駅舎へは進行方向に向かって随分と前に歩かなければならないようだ。
駅舎の前が少しく盛り上がっているので、プラットホームはとても短く普段このような特急列車の止まるような駅ではないにちがいない。
歩きながら外から列車を見ると、私たちのが乗っている最後尾の数両を除いて、あとはリクライニングの座席になっていた。
うつろな表情で外を眺めている乗客の姿がチラホラと見られる。

中央部前寄りには食堂車が連結されていた。
食堂車の3分の1ぐらいのスペースが厨房であとは客席になっていた。
通路を挟んで両側に白いクロスがかけられたテーブルがおしゃれに並んでいる。
厨房の扉から中を少し覗いてみると客席と違いお世辞にもあまり綺麗とはいえなかった。が、ふと見ると珍しくそして懐かしいものがあった。
なんとこの食堂車は「かんてき」を使っているではないか。
関西では七輪のことを「かんてき」というのだが、これで炭を熾して煮物や焼き物を作っているらしい。
タウングーを出発直後に食べた焼きそばもこの「かんてき」で調理してくれたのだろう。
この厨房の火気は炭火だけらしくガスコンロも電気コンロも装備されていないようだった。

地面が盛り上げられプラットホームと思しきところまできると駅名表示の看板があった。
「TATKON」
タッコン駅。
どこ?..................ここ。

ミャンマーの地理は大きな街の位置ぐらいは知っていても中核都市から小さい街は名前は聞いてもそれがどこであるのか分るはずもない。
だから今自分の立っているここ「タッコン」がどこなのかはまったくわからないのだ。
昨夜の午前2時過ぎからずっと停車しているということはヤンゴンとマンダレーの中間地点なのだろうか。
それとももっとマンダレーに近い位置なのか。
いろいろと想像をしてみてはしたものの、まったくわからなかった。

駅舎には大勢の人が集まっていた。
これから列車で出かけようと集まってきた出勤の乗客なのか、それとも列車の乗客を目当てに集まってきている物売りたちなのかはわからない。
みんな列車がやって来ないので、ただ呆然と待ち続けているようなのだ。
私はTさんの姿を探したが見当たらない。
きっと鉄道の職員とこれからどうするのか談判しているところかもしれない。

駅舎の改札口から向こう側を見ると、街並みが見えた。
大きな建物はないが人通りは結構ある。
立ち往生した列車を放っておいて、このまま街の中を散策してみたいという衝動に駆られた。
しかし私が迷子になったらTさんが困ってしまう。私はちょっとぐらい迷子になっても平気なので構わないがTさんに迷惑がかかるのはあまりよくない。
散策はよしておくことにした。

先頭の機関車まで歩いてみた。
機関車はエンジンを止めてしまっており発車する気配はまったくない。
そして機関士は運転席で気だるそうに椅子にもたれていた。

つづく

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