ダゴンマン列車はマンダレーへ向かって走り続けているが、ここで少しティータイム。
ここのところ首都移転問題やスーチー女史の軟禁継続で世界の顰蹙をかっているミャンマー。
首都移転問題については国民にさえ知らされておらず、気がつけば主要な政府機能を遷す作業が始まっていたといわけだ。
新しい首都にしようとしているのはピンマナという名前の街。
日曜日のブログの中に書いた私たちの列車が最初に停車した「タウングー」という街からさらに北に90kmほど進んだところにある田舎町だ。
この街を私たちの列車が通過したときは真夜中であったこともあり、私も眠っていたのでどのような街だったのかはまったく確認することができなかった。
と言うよりも、まったく気づかなかった。
第2次世界大戦中は日本軍の司令部が置かれていたところだというくらいなので、地理的に非常に重要な場所であることは間違いはない。
この突然の首都移転は国民を困らせているのはもちろんのこと、各国も困惑を隠せずにいる。
ミャンマーにとって最も重要な隣国であるタイ王国は日本円にして数十億円をかけ大使館を新築中であるし、先の旅行記で紹介したように日本も多額の資金援助をしてヤンゴン国際空港のターミナルビルの増改築をはじめ数多くの投資をしているところでもある。
一説には、最近影響力を増している中国との関係から首都移転を行っているということだが、真意のほどは誰にもわからない。
ミャンマー人の本心はかつて英国の手先として働いた中国人とインド人は大嫌いなのだ。
一方スーチー女史の自宅軟禁はすでに十年を越え、ミャンマーの民主化を望む国内外の声は日ごとに増すばかりだ。
今回のミャンマー訪問でたまたまスーチー女史の自宅近くを自動車で通る機会を得た。
自宅前の公道には簡単な警備用ガードがあるだけで、ものものしい雰囲気などまったくなかった。
意外なくらい落ち着いた景観だったので拍子抜けするぐらいだった。
昨年失脚したミャンマー政府のキンニョン第一秘書は度々スーチー女史に面会し、和解の機会を窺っていたとも聞くが真相はわからない。
メディアではスーチー女史ばかりが採上げられるが、今現在、スーチー女史の長兄アレキサンダー氏がミャンマーへ帰国して遺跡の街で有名なバガンに自宅を構え生活している。
「残りの人生を父が命をかけた故国に捧げたい」
というのが彼のステートメントだという。
独立の英雄アウンサン将軍の二人の遺児が現在における国民の、とりわけ若い世代の希望の星であることは間違いない。
しかし、二人が幼いうちに外国へ移住し、外国で教育を受けたことが少なからず現政府の気に召さないところでもあるのだ。
実際にスーチー女史は英国籍であり、アレキサンダー氏は米国籍である。
この国籍と彼らが受けた西欧の教育が、ミャンマーの国情に合致しにくいことはメディアがまったく伝えない部分でもあり、国家運営と外交の下手くそなミャンマー軍事政権の泣き所でもある。
実際ミャンマーの人と話をすると、スーチー女史や民主化運動を支持する人は少なくないが、同時に英国や米国に対する厭悪の情も小さくないのだ。
例えは不適切だが、日本で教育を受け、日本人のアイデンティティを持った有名在日韓国人が自国へ戻って、その価値観で自国を非難するようなものなのだ。
人口、国土ともに東南アジアの最大の国の一つであるにも関わらず、唯一政治的に問題のあるミャンマーから暫く目を離すことはできないだろう。
なにせミャンマーは世界一の親日国。
日本人はもっとこの国に目を向けてみる必要がある、というのが私の考えだが、どうだろう。
ここのところ首都移転問題やスーチー女史の軟禁継続で世界の顰蹙をかっているミャンマー。
首都移転問題については国民にさえ知らされておらず、気がつけば主要な政府機能を遷す作業が始まっていたといわけだ。
新しい首都にしようとしているのはピンマナという名前の街。
日曜日のブログの中に書いた私たちの列車が最初に停車した「タウングー」という街からさらに北に90kmほど進んだところにある田舎町だ。
この街を私たちの列車が通過したときは真夜中であったこともあり、私も眠っていたのでどのような街だったのかはまったく確認することができなかった。
と言うよりも、まったく気づかなかった。
第2次世界大戦中は日本軍の司令部が置かれていたところだというくらいなので、地理的に非常に重要な場所であることは間違いはない。
この突然の首都移転は国民を困らせているのはもちろんのこと、各国も困惑を隠せずにいる。
ミャンマーにとって最も重要な隣国であるタイ王国は日本円にして数十億円をかけ大使館を新築中であるし、先の旅行記で紹介したように日本も多額の資金援助をしてヤンゴン国際空港のターミナルビルの増改築をはじめ数多くの投資をしているところでもある。
一説には、最近影響力を増している中国との関係から首都移転を行っているということだが、真意のほどは誰にもわからない。
ミャンマー人の本心はかつて英国の手先として働いた中国人とインド人は大嫌いなのだ。
一方スーチー女史の自宅軟禁はすでに十年を越え、ミャンマーの民主化を望む国内外の声は日ごとに増すばかりだ。
今回のミャンマー訪問でたまたまスーチー女史の自宅近くを自動車で通る機会を得た。
自宅前の公道には簡単な警備用ガードがあるだけで、ものものしい雰囲気などまったくなかった。
意外なくらい落ち着いた景観だったので拍子抜けするぐらいだった。
昨年失脚したミャンマー政府のキンニョン第一秘書は度々スーチー女史に面会し、和解の機会を窺っていたとも聞くが真相はわからない。
メディアではスーチー女史ばかりが採上げられるが、今現在、スーチー女史の長兄アレキサンダー氏がミャンマーへ帰国して遺跡の街で有名なバガンに自宅を構え生活している。
「残りの人生を父が命をかけた故国に捧げたい」
というのが彼のステートメントだという。
独立の英雄アウンサン将軍の二人の遺児が現在における国民の、とりわけ若い世代の希望の星であることは間違いない。
しかし、二人が幼いうちに外国へ移住し、外国で教育を受けたことが少なからず現政府の気に召さないところでもあるのだ。
実際にスーチー女史は英国籍であり、アレキサンダー氏は米国籍である。
この国籍と彼らが受けた西欧の教育が、ミャンマーの国情に合致しにくいことはメディアがまったく伝えない部分でもあり、国家運営と外交の下手くそなミャンマー軍事政権の泣き所でもある。
実際ミャンマーの人と話をすると、スーチー女史や民主化運動を支持する人は少なくないが、同時に英国や米国に対する厭悪の情も小さくないのだ。
例えは不適切だが、日本で教育を受け、日本人のアイデンティティを持った有名在日韓国人が自国へ戻って、その価値観で自国を非難するようなものなのだ。
人口、国土ともに東南アジアの最大の国の一つであるにも関わらず、唯一政治的に問題のあるミャンマーから暫く目を離すことはできないだろう。
なにせミャンマーは世界一の親日国。
日本人はもっとこの国に目を向けてみる必要がある、というのが私の考えだが、どうだろう。
ミャンマーでは数年前まで外国人との結婚についても大きく制限を受けていたと聞いています。
海外で外国人と結婚した場合、ミャンマー国籍であったとしても入国できないとか。(今はそんなことはないようですが)
政治的には摩訶不思議な国なので正確なことは誰にもわかりません。
しかし、スーチー女史が表舞台に出られないのは選管法の関係でないないとは間違いありません。
これは極めて政治的な要因です。
これを長々と書くと「コメント」では終らないので、いずれ書くこととします。
国籍についてはアウンサン将軍博物館でも確かそう聞きました。
という訳で私が知り得たのは以下のこと。
1)スー・チー女史は英国籍だが息子二人はミャンマー籍
2)スー・チー女史はミャンマー籍だが家族はみんな外国籍
3)スー・チー女史は英国籍だったがミャンマー籍に戻した
などなど。他にも留学歴がオックスフォード以前は曖昧だったり、ナゾが多いというか日本におけるミャンマー現代史の認知度が思い知らされます。ちなみに私の同級生は「スー・チー女史のミャンマー民主化運動における仏教思想の影響について」というテーマでしたが、資料集めで苦労してました。