3 コメント

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記憶違ってたらすんません (留学生担当者)
2005-12-14 13:42:19
スー・チー女史、国籍はミャンマーのままではなかったですか?旦那さんは英国人で、子供も英国籍だが、本人はミャンマー籍のままだ、という風に私は記憶しておるのですが…。確か彼女が政治のオモテ舞台に出られないのはミャンマーの選挙管理法で「一族全員がミャンマー籍でなければならない」というのがあるから、と聞いたような気がします。ゼミ友達が卒論でミャンマーを選んでて(大英帝国史ゼミだったもんで…)その子の発表でそんな話を聞いたきがします。でも、ゼミが朝1限目からでいつもウツラウツラしていたので間違ってるかも。
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ん~ (じぇいむず@くたびれ中)
2005-12-14 20:11:27
そうですか、もしかしてたら間違えているのかな。

ミャンマーでは数年前まで外国人との結婚についても大きく制限を受けていたと聞いています。

海外で外国人と結婚した場合、ミャンマー国籍であったとしても入国できないとか。(今はそんなことはないようですが)

政治的には摩訶不思議な国なので正確なことは誰にもわかりません。

しかし、スーチー女史が表舞台に出られないのは選管法の関係でないないとは間違いありません。

これは極めて政治的な要因です。

これを長々と書くと「コメント」では終らないので、いずれ書くこととします。

国籍についてはアウンサン将軍博物館でも確かそう聞きました。
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Unknown (留学生担当者)
2005-12-16 14:48:25
私も気になってサックリ検索してみたのですが、みんな色んな所でてんでバラバラな事を書いてますわー。

という訳で私が知り得たのは以下のこと。

1)スー・チー女史は英国籍だが息子二人はミャンマー籍

2)スー・チー女史はミャンマー籍だが家族はみんな外国籍

3)スー・チー女史は英国籍だったがミャンマー籍に戻した

などなど。他にも留学歴がオックスフォード以前は曖昧だったり、ナゾが多いというか日本におけるミャンマー現代史の認知度が思い知らされます。ちなみに私の同級生は「スー・チー女史のミャンマー民主化運動における仏教思想の影響について」というテーマでしたが、資料集めで苦労してました。
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