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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



生まれて初めてクラシックバレエを鑑賞した。
どうせ見るのであれば「本物が良い」ということで、ロシアのレニングラード国立バレエ演ずる「くるみ割り人形」を観てきたのだ。

場所は東京国際フォーラムAホール。
観たのはこの年末年始、日本全国をツアーする同バレエ団の初日午前の公演だった。

なんでもレニングラード国立バレエ団が年末年始に日本公演を行うことは恒例となっているそうで、こんな世界的に有名なバレエ団がクリスマスシーズンの大切な時期に海外公演を行っても地元サンクトペテルブルグのファンは文句を言わないのだろうか、と私は不思議に思った。
ともあれ、西欧東欧に関わらずクラシック音楽文化の衰退は目を覆いたい悲惨さと聞いており、それを下支えしているのがヨーロッパ文明ありがたや主義の日本人客ということらしい。
従って、ヨーロッパの一番端。人によると「あんなとこはヨーロッパじゃねえよ」というようなロシアも似たような状況なのだろう。

この日の演目は「くるみ割り人形」。
クリスマスの定番演目だそうである。なんせ私はバレエに関する知識がほとんどなく、もし「一番有名なバレエダンサーは誰?」と質問されたら「ジーン・ケリー」「フレッド・アステア」「レスリー・キャノン」というマヌケな回答をしたしまうだろうくらい無知でなのだ。
つまりなにも知らないのだ。
しかし「くるみ割り人形」は知っている。
なんといっても私はクラシック音楽というとチャイコフスキーの楽曲がとても大好きなのだ。
なかでも「1812年」や「交響曲5番の4楽章」「ピアノ協奏曲第一番」などがダイナミックで一番好みとするところだが、聴いたことしかないバレエ音楽も大好きで、中でも「くるみ割り人形」は最もポップでとっつきやすかったことからお気に入り音楽の一つだったのだ。

バレエといえば女子供または日本家屋に住んでいるのに金ピカのロマノフ王朝様式の西洋家具のなかで暮らしている趣味の悪いキショイ人たちの観るものだ、という固定観念を持っていたが、それは改めなければならないことがわかった。
意外だったのは観客には私のようなオッサンが多く、しかも金持ち風でも西欧かぶれ風でもない、例えるならこの前日に観賞した谷村有美のライヴにやって来ても不思議ではない「ちょっと危ない」層の観客がいたことだ。
ともかく巨大なAホールがほぼ満席になっている中バレエは始まったのだった。

結果から述べると、バレエは素晴らしい芸術だということだった。
やはり本物を見たのが良かったのかも知れない。
これでもう日本人だけで演ずるバレエは生理的に見られないかも知れない。
日本人だけで演ずるバレエは例えるなら、外国人だけで演ずる歌舞伎を見るようなもので、もっといえば日本人ばかりで演じるブロードウェイミュージカルもどきの劇団四季を見るようなものになってしまうだろう。
そう、本物を見たからには、もう偽物、コピーを見るわけには行かないと思ったのだった。

で、私の好きなブロードウェイ・ミュージカルとバレエの違いも今回はっきりした。
バレエダンサーには「ブタ」がいないというのが、ブロードウェイのダンサーとの明らかな違いだった。
バレエダンサーは男女ともスマートで筋肉質だが、ブロードウェイミュージカルには森公美子のように太った黒人のオバハンや、葉巻を加えた太った下品な白人が出て来たりするが、バレエでは「ブタ」では物理的に躍れないことがわかった。
なぜディズニーのファンタジアで「カバのバレリーナ」が出て来たのが面白いのかも、やっと理解することができた。
そして、バレエにはセリフがないことも初めて知った。
従って、ブロードウェイミュージカルのように字幕スーパーはないし、しょうもないギャグもないのだ。
そしてそして、バレエというのは「躍」ではなく「舞」であることも初めて感覚的に知ることができた。
微妙な決めポーズや仕草、動きやリズムの取り方が、どことなく日本舞踊や歌舞伎の「見得」などに相通じるものがあることを理解したのだった。

「花のワルツ」で女性のバレエダンサー(主役でないバレリーナ)が一人コケたことを除けば、素人目に見てほぼ完璧な内容であった。

なお、東京国際フォーラムAホールはバレエやクラシックミュージックを演ずるところとしては相応しくないと思う。あの半分ぐらい、つまり谷村有美がクリコンを公演したかつしかシンフォニーヒルズや大阪のザ・シンフォニーフォール程度の大きさがやはり一番良いのではないか、と思ったのであった。

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