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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



先のASEANプラス3カ国会議の席上で「靖国神社に参拝したことを理由に会見を見送るのはおかしい」と小泉首相が名指しで中国を批判してから平穏な状態が続いている。
何が平穏かというと中国と韓国という二大反日国家の人たちが私たちの国に文句をつけるのをぴたりと休止しているということだ。
もっとも、中国は相次ぐ化学工場の事故や経済的な不正事件などでそれどころではなく、韓国も嘘つき事件が噴出してそれどころではないのだろう。
このウソやまやかし、恫喝、詐欺、殺人といったことがとても得意なヤクザのような二つの国(実際に親分子分の関係にある、としか見えない部分があるのが面白い)も、真実を知っている東南アジアの国々の前でめったに文句を言わない日本が怒りをぶちまけたのだから口をつぐんで当然だ。

この二国が得意のスキルを駆使して行ってきたキャンペーンに「日本は残酷だ」「日本は謝罪しないし、誠意もまったく足りない」というものがある。
本当ならばキャンペーンに反論しなければならない日本のマスコミがこの術に乗っかって「自分たちは悪い国です。侵略、略奪、人身売買、強姦、殺人、なんでもやって謝ろうともいたしません。」と記事にした。
これが戦後60年間も続いたものだから、一部の国民はウソをホントと思うようになった。
その代表が南京大虐殺。
「南京大虐殺があったと証明できる証拠は何もない」と原稿に書いたら「相応しくないから「あった」と書き直さなければ出版できません」という憲法無視の出版社も登場した。

で、これと比べて日本と一緒に戦ったドイツはホロコーストに謝罪して、日本とは比べ物にもならない金額を被害者に拠出して戦後補償を行っているらしい。
「ドイツを見習え」意見が声高に叫ばれた。
今も叫んでいる人がいる。
しかし、ホントにドイツはそんなに偉いのか。
そして日本はドイツと同罪なのか。
今の日本人にそこんところを論理的に説明できる人は数少ない。

この「日本はナチスと同罪か」はそういう「ドイツは立派」という論争は明らかな幻であることを論破している良書だ。
著者は扶桑社「新しい歴史教科書」の中心的役割を果たしている電通大名誉教授の西尾幹二氏。

冒頭、前書きを読んだ読者はまず意外な事実に呆気を取られるだろう。
「未だドイツはいかなる国家とも講和条約を結んでいない」
日本人にとって意外なのは、日本が一部を除く旧連合国に対して終戦後わずか数年をしてサンフランシスコ講和条約という国際条約を結ぶことによって過去を完全に清算していることに対して、ドイツという国家は未だ旧敵対国家とまったく講和条約を結んでいないという事実だ。
しかも、日本が国を挙げて「戦争責任を取るべし」と尽してきたことに対して、ドイツは「ホロコースト」も「侵略戦争」もすべて「ナチス(という一つの政党)のやったこと」だから「ドイツ国民は関係ない」ということを正式に述べているのだ。

よくよく考えてみると前大戦中、日本は三国軍事同盟でドイツ、イタリアと同盟を結んでいたが一緒に軍事行動を取ったことはまったくなかった。(情報交換はあった)
ドイツが実施した身障者と病人の殲滅や、ユダヤ人やジプシーといった民族殲滅というような戦争とはまったく関係のない「犯罪」を日本はまったく犯していない。
つまり日本とナチスドイツを比べるというのは一見的を得たような論争のように見られるが、きっちりと調べてみるとまったくお話にならない論争ということに気づかされるのだ。

戦後日本はミャンマーと賠償責任を結び国交を回復したのを皮切りに1974年にベトナム民主共和国(北ベトナム)と国交を回復するまでほとんど全ての国と条約を結び、大戦に対する精算と責任を果たしてきたのだ。
中国、韓国についてもまったく同じで、今さら彼らが日本にケチをつけてくる理由はまったくない。今の彼らの言動と公道は私たちの理由ではなく彼らの事情によるところというのが事実なのだ。
それに乗っかり自国を非難するマスコミや一部政党、市民団体はいったい何を考えているのだろうか。

本書は日本とドイツの先の大戦に対する位置づけをきっちりと論じている数少ない一冊と言えるだろう。

~「日本はナチスと同罪か 異なる悲劇 日本とドイツ」西尾幹二著 ワック刊~

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