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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

楠木正成物語 正成の生誕地

2006年10月07日 | 歴史
楠木正成(楠公)は、大阪府千早赤阪村水分の里で誕生した。
生年はハッキリしないが、1294年説が有力で、幼名は多聞丸。
ここ千早赤阪村は、大阪都心から程近い簡素な田舎で、正成ゆかりの地として、
建武中興を成就させた歴史の舞台を、多くの史跡や遺品から偲ぶことができる。
水分里の田舎道を田畑に沿って廻りこむようにドライブしていくと、郷土資料館入口に出会い、正面右側には、木立に囲まれた「楠木正成生誕の地」の石碑が目に留まる。
この石碑は明治時代、大久保利通の奨めにより建てられたと云う。




上の写真は、楠木正成生誕地としての伝承が残された場所。
ここで、郷土資料館筋向いの「くすのきホール」建設に伴い発掘調査を行った結果、二重の堀を周囲に巡らせた建物跡を検出した。楠公一家の居館かもしれない。
出土遺物も14世紀のものが多く認められ、周囲に点在している、楠公ゆかりの中世山城・出城群と合わせて考えると、楠木氏との関連が偲ばれる。




生誕地付近には、上の写真の通り、楠公「産湯の井戸」の伝承地も残っている。
金剛葛城山連峰から湧き出る豊富な水のお陰で、今でも湧水が滾々と音を立てて降り注いでいる。

この他、楠公ゆかりの地として、建水分(たけみくまり)神社・南木(なぎ)神社・奉建塔・下赤坂城跡・上赤坂城跡・寄手塚・見方塚などが史跡として残されているが、今後このシリーズで徐々に紹介する。


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