近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

磐田市の明ケ島古墳群とは!そのⅡ

2012年07月10日 | 歴史
磐田市の東部に位置し、緑豊かな環境の中に立地している、明ヶ島古墳群の続編を紹介します。







写真は、当時の生活ぶりを想像させるに十分はミニチュア道具。

一種の芸術文化とも云え、ヒトだけでなく、時代を反映した道具をデザインしたものが多く、何らかの祈りの道具として造られたのではないか?

一緒に出土した土器から5世紀前半のモノと見られている。

平成9~11年にかけての調査で明ケ島5号噴下部の地表面から、約6,000点に上る土製模造品が見つかった。

国内の調査では例を見ない画期的な質量で、これが作られた約1550年前の祀りの様子や、当時の人々の精神生活が分かるのではと考えられている。

明ケ島から見つかったものは、国内でも他に例のない量であり、県の有形文化財に指定されている。

土製模造品には、機織り具・鳥・琴・ミニチュア土器・人・動物・武人・杖・酒造りの道具・武器・武具・装飾品・祭壇などが見つかっている。

これら土製模造品を大別してみると、弓・靫(矢筒)を背負った武人形・短甲・盾・太刀・ヤジリ等武力をイメージした土製品類。

笛・琴など楽器をイメージした文化的土製品群や杓・臼・甕・杵・ヒョウタン・錘など様々な機織具等生活用具をイメージしたモノ。

玉・鏡・勾玉等アクセサリーをイメージした模造品や犬・イノシシ・鳥・魚・あわび等狩猟・漁労をイメージしたモノ。

又男女の人形、各々全てのつくりが異なり千差万別。

これら30種類余りの様々な土製模造品は、当時の社会文明・生活様式・暮らしぶりの一端を垣間見る思いで、各々の土製品が、何をイメージしたモノか想像するだけでもロマンが溢れる。

墳丘墓の地下から、何故これだけ多量な土製品が埋蔵、又は捨てられたのであろうか?多くの疑問が残されている。

それらの疑問を列挙してみると、
1、被葬者と土製模造品との関係は?
2、当時の生活を再現するような数々の模造品は何目的のため創作されたのであろうか?祭祀用の特別作品か?或いは創作コンテストでも競い合ったのであろうか?
3、土製模造品の精緻・稚拙のバラツキは何を物語っているのであろうか?老若男女を問わずムラ人全員参加による格差であろうか?
4、作品提案者・製作者はどんな想いで取組んだであろうか?ムラ村長の薫陶・祭事メッセージに準じて製作し、従って祭事の主旨を体した、いわば魂を入れた作品集と云えるであろうか?
5、明ヶ島古墳周辺の古墳から類似した土製品は検出されていないことから、明ヶ島古墳固有の情況・必要性があったとも考えられるが?

謎々探しは尽きないが、ロマン溢れるミニチュア土製品は、現代人の夢を髣髴とさせてくれる。

土製品は最大で高さ約10cmで、古墳の盛土を取り去った底部面の直下から破片で発掘されたと云う。

土製品は粘土を焼いて作られ、ほとんどが握りこぶし大で、方墳の築造直前の祀りで使用したものを、そのまま埋めたと考えられるが・・・・・。

従来は民衆の祭具と考えられてきたが、今回の武人形の出土などによって、支配階級とのかかわりもありそうだ。