近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

磐田市の明ケ島古墳群とは!そのⅠ

2012年07月06日 | 歴史
明ケ島古墳群は、標高37mほどの丘陵上に25基から成り、大量の土製品が出土した「5号方墳」は、5世紀後半の築造と推定される。

5号墳は、南北18.5m・東西13.8mほどの2段築造の方墳、高さは約2.5mで、墳丘には葺石が、2段にわたり整然と貼り巡らされていたが、地元有力者の墓とみられ、3カ所の埋葬部を持っている。

磐田市明ケ島は、磐田市の東部に位置し、緑豊かな環境の中に立地している。

磐田市東部は太田川の両岸にまたがり、西部は磐田原台地にかかっている。西に磐田原台地を控え、太田川は、曾ては台地の裾を流れていたようであるが、今は水田地帯となっている。





写真は、発掘調査時の明ケ島古墳群現場及び今でも残っている本古墳の跡地。

近年、当地内の磐田原台地に、団地が造成され、磐田市東部台地の工場地帯の一環をなすなど、かつての茶園が工場あるいは住宅地に変わった。

明ケ島は、1500年以上も前の遺跡・「明ケ島古墳群」の所在地としても知られ、中でも5号墳は、棺の痕跡から被葬者は3人と見られ、各々から剣・ナイフ・刀・鎌カンナ・鉾・銀象嵌など、高貴な副葬品が見つかったことから、地方豪族クラスのファミリー墳墓と考えられる。

他にも、高貴な副葬品が検出されている。







写真は上から、明ケ島15号墳から出土した水晶の切子玉やヒスイ・メノウ製の勾玉などのアクセサリー、金製の耳環及び銀象嵌で描かれたウロコの文様と龍の文様付鞘金具。

大王クラスの武器や馬具の飾りには、メッキ技術が使われ、当時この地には、高度な金属加工技術を持った専門職人が存在していたと想像される。