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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大阪食文化 東西比較 丼物編

2007年03月10日 | 文化
ここでは、丼ものについて、関東・関西の比較をしてみたい。
先ず丼ものについて、味付けは変わるが、関東・関西とも同じように日常生活には欠かせない食べ物として定着している。

丼ものの代表格は、東西共「親子丼」といえるが、親子丼発祥の地と言われる、東京人形町の老舗店が今も健在。
親子丼の鶏肉には、秋田比内鶏、名古屋コーチン、奥久慈軍鶏(茨城県久慈郡のしゃも)、兵庫県丹波の地鶏などの旨味と卵の風味を活かした、ローカルだが、絶品の親子丼の数々をイメージするにつけ、思わずよだれが流れ出てしまうほど。

変わった丼どころでは、関西ではポピュラーな「他人丼」は、関東では珍しいと云う。「他人丼」という名前は「親子丼」が鳥肉・鳥卵を使うのに対したもので、鶏肉に変えて、牛肉もしくは豚肉を、玉ねぎなどで煮て卵でとじ、丼飯の上に乗せた丼物の一種で、「開化丼」とも称される。

「きつね丼」とは「カツどん」・「親子丼」と同系統の卵とじ丼の一種。



写真は、典型的な、京風のきつね丼。
「きつね」の名の通り油揚げを入れる、京都発祥と思われる丼もので、タップリとつゆを含んだ揚げと卵のやわらかい風味がマッチして、旨味な一品。
京都独自の丼ものとして、「衣笠丼」があるが、これは刻んだ揚げを玉子でとじたもの。





写真は上から、東京の典型的な天丼及び特に濃いだし汁が特徴の天丼。

天婦羅といえば、「天丼」は東京が主導で、男性が好むタイプ。
大阪と東京メイド天丼の典型的違いは、大阪天丼は薄い出汁でご飯は“びしょびしょ”、 一方東京天丼は少な目の濃い出汁で、ご飯はサラッとゴマ油を半分使うことによって天ぷらが香ばしく、エビも旨みが増し、濃い出汁がエビとナイスマッチングして旨い。
ご飯も出汁が少ないから、米本来の美味しさも楽しめるということで、天丼はどうも東京が勝の丼もの!

他に「うな丼」・「アナゴ丼」なども江戸湾で“とれとれ”の鮮魚を食材とした、江戸前の代表的グルメで、これらも東京の丼ものと云える。

丼で変わったところでは、大阪の「チーズかつ丼」・「おろしかつ丼」・「トマトかつ丼」・「カレーかつ丼」等々、「カツどん」の裾野は広く、その存在感はさすがで、大阪が勝の丼もの!





写真は、大阪日本橋の“こけしとんかつ”店頭の光景、及び安くて旨いカツ丼。
当店ならではの素早く・行届いたサービスは業界の模範として、知名度が高い。

ところで、「牛丼」が売り出されたのは、明治30年代で「牛めし」でデヴュー、場所は、当時東京日本橋に所在した魚河岸に「吉野屋」という、味で評判の牛丼屋があったという。



写真は、吉野家復活の米国産牛の丼。
現在の牛肉チェーン店・吉野家の元祖こそ、牛丼を誕生させたが、実はそれ以前に「牛鍋」が、江戸末期には、すでに大坂で大流行していたと云う。

牛肉大ファンであった“福沢諭吉”は、幕末の大坂でたびたび牛鍋屋ののれんをくぐっていたと云う。
さすが「自由と進取」の町民の街・大坂ならではのハプニングで、当時はまだ禁輸対象の牛肉が、既に大坂の巷で、食されていたことになる。

町民の食・伝統ある牛丼が、今や大手全国チェーン店展開に乗って、全国津々浦々にまで浸透しているとは!!!!!
「すきやねん!」


大阪食文化 東西比較 だし汁編

2007年03月09日 | 文化
汁もので、よく引合いに出される、関東と関西のだし汁の色の濃さ・薄さの原因は、関東が濃い口醤油を使い、関西では薄口醤油を使うからと云う。

薄口醤油は、300年以上前に発明され、濃口に比べて色が薄いが、塩分がむしろ強い醤油に風味を良くするために、甘酒を加えることで、素材の持ち味や色合いを重視する、大阪・京都のニーズに合わせた調味料。

薄口醤油の存在により、関西の料理が洗練され、美味しさと見た目に綺麗な料理を提供することができるようになったと云える。

そのほかの違いと云えば、関東では“定食”に“味噌汁”が付いてくるが、関西では“うどん”が付いてくる。



写真は、関東風うどんのだし汁の濃い色合い。
関東の醤油味の濃いだし汁と違い、関西のうどんは薄味でお吸い物代わりとして、ごはんとの相性がよいからと云う。

うどんに限らず、料理でだし汁をとるとき、関東では鰹節から、関西では主に昆布からとるのが一般的。
関東の鰹節の由来は、“勝男武士”に通じるということで、武家社会の江戸で重宝がられた経緯がある。

一方関西の昆布の由来は、昆布といえば北海道が主な産地だが、江戸時代は潮の流れから太平洋航路より、日本海ルートの西回り航路が発達し、北海道産の昆布は江戸ではなく、「天下の台所」大阪に運ばれた。
それで、大阪では昆布の加工業が発達し、とろろ昆布・塩昆布などが今日でも、庶民の食卓を飾るようになったと云う。

もう一つだし汁元の違いの原因は水質にあり、関東の硬水では昆布のだしが充分に引き出せないと云う。関西は逆にミネラルの少ない軟水のため、昆布のグルタミン酸が溶け易いことも影響しているらしい。

関西の場合、昆布だけでなく、昆布と鰹節でだし汁をとる方法が一般的で、昆布のグルタミン酸と鰹節のイノシン酸の旨味成分がうまく調和して、夫々が相手の旨味を引立たせて、相乗効果を発揮できると云うもの。

日清のカップうどん「どん兵衛」の”つゆの味”の違いが、パッケージに表示されている。



写真は、“どん兵衛”の関西・関東向けのカップうどん。
「東日本:かつおと昆布のまろやかなコクつゆ」に対して「西日本:昆布風味の柔らかなうまみのつゆ」と云うように東西の好みに合わせている。
ちなみに、「どん兵衛」の味付けが変わるのは、富山から関ヶ原・鈴鹿山脈辺りだと云う。

ここまでだし汁の味にこだわっているのは、上述の歴史的背景の影響もあり、消費者の繊細な嗜好の違いが反映されていると云える。
他の全国ブランドのカップうどんでも、同じように関東と関西ではだし汁により、味付けを変えていると云う。

ところで、東海道新幹線の主要駅のうどん店のつゆを並べてみると、西から東へ行くに従って徐々に濃くなっていくというが?????
「あほな!」

大阪食文化 東西比較 魚編

2007年03月08日 | 文化
日本人の食卓に欠かせない魚といえば、マグロとタイが挙げられる。
魚の王様ともいえる、マグロとタイのうち、マグロは東京、タイは大阪というように地域嗜好がハッキリ分かれる。

政府の「家計調査年報」によると、今日の漁業技術・冷凍技術を持ってすれば、漁場がどこであれ、生鮮魚など水産物は、山村を含め全国津々浦々に流通させることができている。

それにも関わらず、タイの消費量は大阪がダントツで、東京の5.5倍にも達する高い数値。
一方東京都民のマグロ消費量は、大阪市民の3.6倍と云うように、タイとは好対照。このような東京と大阪の両極対照は、一体全体どういうことか?



写真は、寿司好きの日本人には欠かせない、マグロとタイ。

前述の家計調査によれば、平均世帯が食費に当てる金額は、東京と大阪ではほとんど変わらないことから、所得の差ではなく、食文化・嗜好の差により、好みに大きなバラつきが発生する。

寿司といえば江戸前、中でも江戸っ子が好んだネタはマグロであり、嘗ては東京湾でマグロが捕れただけに、頷けるというもの。
又江戸時代の東京湾では、マグロのほかにも、サンマ・カツオなどが捕れたことで、江戸っ子は赤身の魚を好んだようだ。

一方関西で寿司と云えば、箱寿司で、これには瀬戸内海で捕れたタイなど白身の魚が多く使われた。
関西で好まれた白身の魚には、他にタチウオ・ハモなどが良く知られている。

土地柄の違いや歴史的背景の違いを含めて、魚に対する東西の嗜好の差は余りにも大きい。
「かまへん!」

大阪食文化 東西比較 肉編

2007年03月07日 | 文化
これから食文化の東西比較をしてみる。
食べ物は、全般に各土地でとれる新鮮な食材、或いは手に入りやすい食材を中心に、気候・風土の違いによる好みの傾向に左右され、それぞれ独特のメニュー・味付けが好まれている。

食文化の歴史的背景・食文化の足跡・伝統などは詳しく後日取上げるとして、先ずは“関東vs.関西”と云う括りで、日常の食べ物を比較・検証してみよう。
最初に食肉を取上げるが、肉といえば関西では牛肉で、松阪肉・神戸牛・近江牛など関西には牛肉のトップブランドが多い。

関西では豚肉は「豚肉」、鶏肉は「かしわ」と呼び、肉の種類をハッキリ識別する。





写真は、全国ブランドで、名実共に最高の松阪牛ロース。
産地という土地柄もあり、関西では牛肉が好まれ、牛肉の一戸当たりの消費量は関東に比べて、2.2倍と高い。

一方関東では肉といえば、牛肉・豚肉・鶏肉など食肉全般を指す。
肉の食材には余り拘らないのは、元々求めて得られる選択肢が限られていたためであろう。関東では豚肉嗜好で、一戸当たりの消費量は、関西より僅かに多い。
「肉じゃが」の肉も、関西は牛肉、関東は豚肉が主流と云う。

ところで、焼肉の起源として一般的なものは、第二次世界大戦後の食糧不足の状況下で、屋台等にて売られたホルモン焼きとする説。
従って焼肉は韓国ではなく、日本が生んだ食文化であると考えられる。

1946年に大阪で誕生した「食道園」が焼肉店の元祖といわれている。大阪人にとって、焼肉といえば牛であり、ロースにハラミ、骨付きカルビ、ハツ、ミノ、塩タン等々メニューは充実している。

大阪の肉屋やスーパーでも、旨くて安いホルモンをウリにしている店は多い。
評判の良い焼肉店は、焼いた後タレをつけて食べるので、煙が出ない。
このシステムを最初に考えたのが、「食道園」と云われている。

と云うことで、大阪人はしばしば、焼肉屋に行くが、東京人は、なんとなく足が向かないと聞く。関西の牛肉消費量が、関東の倍以上と多いのは、恐らく焼肉に向けられている量が多いからと思われる。

又ビールの消費量にはかなりの地域差があるが、一人当たり購入消費量のトップは京都で、ベスト10に京阪神が揃い踏みしているのには、焼肉文化が影響しているのではないか?

外食焼肉の値段も、東京の焼肉店は大阪の倍はするとのデータがある。



写真は、しゃぶしゃぶ用の黒豚肉。
関東で好まれる豚肉は、「しゃぶしゃぶ」スタイルが定着しているが、関西では、豚は菌があるので生・半生には抵抗があり、豚肉のしゃぶしゃぶは敬遠され気味。どっちかというと、関西では、豚肉は「水炊き」か「寄せ鍋」という、しっかり火を通すスタイルが一般的。

関西の「お好み焼き」部門では、豚肉と玉子入りの「豚玉」が、牛肉と玉子入りの「牛玉」を制している。

それから豚肉といえば、忘れてはならないのが、豚肉が入った中華まんじゅうの「551蓬莱の豚まん」で、大阪自慢のみやげ物として人気上位にランクされている。

と云うように、「所変われば、品変わる」定説は、食肉について当てはまると云える。「ほんまでんな!」


大阪人のコミュニケーション 言葉の東西文化差

2007年03月06日 | 文化
1869年江戸が“東京”に名称変更され、名実共に首都となったが、明治政府の急務は、中央集権国家として、国内の政治的・社会的統一を図ることであった。

そのプロセスとして、人々の意識の根幹である言葉の統一、標準化は欠くことのできない要素であった。
“東京語”か“上方語”にすべきか、しばらく議論が続いたと云う。
そして1895年「現今の東京語が標準語としての名誉を与えられるべきである。」として、理屈抜きで、東京語が選ばれた。



写真は、標準語生みの苦しみのイメージ写真。
以来、東京語が標準語として、学校教育やマスコミなどを通じて、全国津々浦々まで浸透していった。

しかし地元の地名などは、昔からの呼び名が健在で、例えば大阪で「道修町」は「どしょうまち」、「柴島」は「くにじま」、「遠里小野」は「おりおの」、「天下茶屋」は「てんがちゃや」などと読ませるが、こればかりは伝統優先で、理屈の世界ではない。
ローカル色豊かな方言や地名を研究してみるのも、興味があるが・・・・。

標準語が浸透する過程で、「標準語は上位の文化であり、方言は下位である」というコンプレックスが、地方の住民に植えつけられたのではないかと危惧されたが、今日ではそれぞれが共存して、使い分けられているようだ。

大阪に「東京もん」という言葉があるが、東京には「大阪もん」という言葉はない。
大阪人の東京への対抗心が強いためで、その根っこには、大阪文化への自負心と東京に対するコンプレックスが並存すると見る。

東西の文化差は、一部言葉に反映されている。
例えば、東京で「払った」・「笑った」など「った」という言い方が、大阪では「払ろうた」・「笑ろうた」というように「ろうた」と変わる。
大阪の方言の方が、やわらかく聴こえ、聞き心地が良い。東京言葉のイントネーションは荒っぽく聞こえる。

「食いねぇ、食いねぇ、寿司食いねぇ」と云う威勢の良い表現が、江戸っ子の気前の良さの例として、良く引合いに出されるが、東京人は「ケチ」を恥として忌み嫌うためと云う。

一般論として、東京人は宵越しの金は残さないというように、見栄を張って、その場その場でカネを使ってしまうが、大阪人は日ごろ倹約を心がけ、値切った後で値ごろであれば、高価なものでも一点買いする習性があるようだ。

しかし今日では、ネット社会や大手流通資本の浸透、人的交流や交通手段の迅速化など、社会インフラが整備され、東西文化は均一化されつつある。
東西の生活文化や県民性の違い・特性が、薄らぎつつあるのは寂しい気もするが・・・・・・。
「しゃあない!」



大阪人のコミュニケーション “ボケ”と“ツッコミ”

2007年03月05日 | 文化
漫才は平安時代から始まった、“万歳”を元に関西で独自に発達したとされる話芸で、当時は新年を祝う歌舞のことだったと云う。
万歳は、二人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、片方が打つ鼓に合わせて、もう片方が舞うというもの。

江戸時代なって、全国各地でその地名を冠した万歳(大和万歳など)が興り、歌舞のみでなく、言葉の掛け合い噺や、謎かけ問答を芸に加えて、二人で滑稽味を増しながら発展していったと云う。

この二人の演者は、“ボケ役”と“ツッコミ役”と呼ばれる二つの役割に分けられ、ボケ役は話題の中で面白い事を言うことが期待される役割で、話題の中に明らかな間違いや勘違いなどを織り込んで、笑いを誘う所を作り、冗談などを交えて話す。

一方、その相方・ツッコミ役は、ボケ役の間違いを素早く指摘し、笑いどころを観客に提示する役割を担う。



写真は、ボケとツッコミをイメージした可愛らしい猫のポーズ?

このボケとツッコミの応酬は、高度な会話技術なしには成り立たないと云われているが、生粋の大阪人は子供の頃から鍛えられているお陰で、高度な話術ができるという。

大阪人の仲間同士がしゃべっていると、漫才をしているようであったり、早口で喧嘩しているようにも見えるが、これも子供の頃から身についた習性であろう。
この話術は、相手の話をよく聞き、その言葉を受けて的確に反応しないとできないので、結果的にはコミュニケーション能力を助長する。

コミュニケーション力は、即ち営業力となり、コーディネート力ともなり、大阪人が持つ厚かましさ・笑いを誘う源泉は、これらコミュニケーション能力であり、生粋大阪人の貴重な無形資産と云える。

日ごろは何とはなしに見過ごしているが、大阪人で親しい仲間同士の会話には、自然とボケとツッコミが入り、時にはオチも付けながら、漫才師のように進められているとのことで、改めて聞き耳を立ててみたら、面白いと思うが・・。
「なんでやねん!」


大阪人のコミュニケーション なにわことば

2007年03月03日 | 文化
大阪南部では、河内弁・泉州弁などが地元の方々の間で、日常使われているが、一般に大阪弁とは、「なにわことば・船場言葉」と云われるもの。

「なにわことば」は、お笑いをイメージする言葉であり、特にここ20数年前からの漫才ブームに乗って、漫才・コントを中心にお笑いが、茶の間で支持されている。

でも漫才のネタや乱暴な語り口調には、不快感・不満を抱いている視聴者も多いと見られ、大阪人のダサく、厚かましいイメージに繋がっている、マイナス面もあると思われる。

一方上方落語は、漫才やコントとは違い、伝統芸能としての文化の香りが漂う。
江戸時代中期、落語は町民と呼ばれる低い身分の人々の間で生まれたため、落語の噺は、毎日のつらい生活を一生懸命生きていた人々の知恵が、笑いを誘い込みながら語られる。

なにわ言葉で聞き手に語りかける話法は、愛嬌・サービス精神が旺盛で、常に聞き手とのコミュニケーションを大切にする。
「洒落」・「小噺」・「語呂合わせ」・「なぞかけ」などの言葉遊びは、豊かな想像力と知的なユーモアが必要で、語り手・聞き手双方にとって難しい。

落語は一人何役も演じるので、役割によって瞬時の感情変化に、ついていかねばならず、聞き手にとっても、コミュニケーション力のトレーニングになる。

登場人物の相互関係、あるいは距離感などを目線やしぐさでこまやかに表現する、話術や表現力が必要であり、将に伝統芸能そのもの。



写真は、昨年オープンした、大阪北区の“天満天神繁盛亭”の賑わいぶり。
又古典落語を聴くことで、当時の風土・習慣も知ることができ、長屋で暮らす町民のユーモラスな掛け合いから、温かい人情を感じる。

落語は江戸、漫才は上方が笑いの主流と思われているが、そもそも現在盛んに取上げられている、落語の人気演目は上方のものだったと云う。
やはり町人の街・大坂ならではの生活文化を題材にすればこそ、笑いとペーソスを誘う、人情噺の世界を演出できると考える。

人情の機微を理解し、日頃の生活に活かせるのは、大阪人の特権のはず。
「そこが、すきやねん!」

関西人のコミュニケーション 関西弁

2007年03月03日 | 文化
関西人とは、関西に住む人、或いは関西出身の人という意味だろうが、一般的に関西人と云えば、「商売人」や「お笑いの好きな人」といった、土地柄を反映したニュアンスが出てくる。
その場合、大阪人の気質が基準になっている。

関西人と云うと、主に京阪地区に住み、或いは生まれ育った人で、京都弁を含む広義の大阪弁を日常的に使う人々のこと。

ただ「関西」という定義には、疑問が伴う。例えば「京阪」地方なのか、「京阪神」地方なのか、もうチョット広げて「近畿」地方なのか、或いはNHKの天気予報番組では、大阪・京都・神戸以外に滋賀・奈良・和歌山・三重の各県を含む、極めて広域をカバーするのか、議論があるところ。

関西の方言という括りで云えば、近畿地方で話される日本語の各種方言の総称を云い、元々は江戸時代以前の畿内で使われた“京都弁”が中心で、その後商人の町・大坂が中心となって、大坂中心部・“船場の方言”や大阪南東部の“河内弁”が勢力範囲を広げていったと云える。

いずれにしても、関西地方の範囲は、関東地方ほどはっきりしたイメージが沸かない。
関東地方であれば、東京・神奈川・千葉・埼玉・栃木・群馬の各地方という理解が一般的だと思うが、関西地方となると、イメージ的には、「大阪・京都・神戸」といった括りの理解ではないか?

そこで関西人と関東人の究極の違いについて、「アホ」という言葉の理解度ではないかと思うが???「あいつ、あほな!」をどう理解するか?

共通語であれば、「阿呆」とか、もっと云えば「馬鹿」という理解が一般的であろう。関東人は、「バカ」と云われるより、「アホ」と云われる方がムットとする。



写真は、「アホ」のニュアンスを伝える、格好のイメージ写真。

でも関西OR近畿地方では、「アホ」は、相手を罵倒する意味はなく、いわば会話を潤滑にする間投詞のようなもので、「アホ」のニュアンスは、感情・哀感・切なさなど喜怒哀楽を内包した、言葉に奥深さが隠れていると云う。

関西人は「アホ」と云う言葉が好きで、肯定にも否定にも使える便利な言葉。
「アホ」という言葉が日常使われるのは、近畿圏のみで、京都が起源という。

関西人の関西人たる所以は、自分自身が「あほな人間」になれるか否か、或いは「あほな奴」を好きになれるか否かで判断されるとか?

私のような、1/3関西人のような人間にとっては、「アホ」は関東人の反応も分かり、関西人のようにすんなり受入れられず、割切れない気持ちが残る。
同じ日本語でも、関東・関西でこれだけ意味合いが違う言葉も珍しい。

真の関西人のバロメーターの一つが、この「あほ」を素直に受入れられるかどうかにあると思うが・・・・・・・・。
「なんぎやな!」


大阪人のコミュニケーション 大阪弁

2007年03月02日 | 文化
大阪弁のルーツについて、一説によると、江戸元禄期に大坂の町らしい街が出来上がる頃、大坂弁も成立したと考えられている。
丁度この時期に、大坂では文楽・歌舞伎・落語などが成立し始め、天下の台所として巨大な経済力をバックに、大坂文化が花開き、大阪弁が確立された。

井原西鶴・近松門左衛門の文学作品、松尾芭蕉の俳文・句集、相撲などタニマチ文化など多面的な元禄文化の登場と合わせて、読み書きソロバンの習得により、「読み・書く教育」が町民に浸透し始め、日常のしゃべり言葉が文字になって広がったと考えられる。
このような背景があって、大阪弁が広く認知されたのではないか?

大阪弁の特徴としてよく挙げられるのが、相手との距離が近く誰とでも親しく話せるし、相手に合わせて微妙な使い分けができ、合理性・主体性が強く、複雑な内容を感覚的に捉えることができる。更に饒舌に合っているなど、大阪人の生活様式・行動様式・文化が秘められていると云う。



写真は、大阪弁についての本・“大阪弁の秘密”。
大阪弁はややファジーで、鋭さや攻撃性は少なく、丸くて角が取れている感じで、押し付けがましくない印象を与えることで、やんわりと言いにくい事を云える。

ビジネスの場面で比較すると、共通語は技術上の固いネゴの場など、しっかり事実を押える場面に似合うが、大阪弁は中小企業同士のさじ加減一つで、いかようにもなりそうな微妙な商機に似合う。
相手の矛先を鈍らせ、時には笑わせてしまうなど、戦闘意欲がわかないまま、旨く切り抜けられる。

大阪弁は、大阪人の厚かましさや笑いなどのコミュニケーション・ツールをサポートしてくれる、大阪人にとって貴重な資産。
大阪弁は、今や全国的に広がった特異な方言で、TVなどマスコミでも耳慣れただけでなく、昨今は東京の若者の間でも、面白がって使われているらしい。

大阪弁などの方言は、そこの文化までも持ち込んでしまうのではなく、情報化社会において、自在に流通する記号としての存在であり、一種の流行語として気軽に持てはやされていると云える。

大阪弁が、大阪弁として意識しないで、何気なしに使われる、日常会話でチョットボケた感じの癒し言葉として、全国的に更に浸透する日が、そう遠くはないと思うが・・・・・。
大阪弁を筆頭に方言の活性化が、失われつつある日本の無形文化財を残すことに繫がる。



写真は、大阪弁の代表格“ちゃうちゃう”のイラスト。
“ちゃう”は、共通語では「違う」の意味になるが、大阪人は「本当?」と云う軽い否定的表現で、頻繁に使う。自己主張を込めた軽い受け流しかも。

何気なく使われそうで、親しみやすい大阪弁としては、「おおきに」・「けったい」・「しゃあない」・「さよか」・「うそやん」・「ちゃうちゃう」・「すきやねん」・「ぼちぼち」・「かまへん」・「すいまへん」・「ややこしい」・「なんぎやな」・「あんじょう」・「なんのこっちゃ」・「しまひょ」・「まいど」・「めっちゃ」・「あかん」・「ほんま」等々が挙げられる。
「ええやん!」、「さよか!」


大阪人のマナー ムービングウォークの文化

2007年03月01日 | 文化
動く歩道・ムービングウォークは、40年前に、日本で初めて阪急梅田駅でお目見えした。



写真は、阪急梅田駅に通じる、ムービングウォーク。
連続的に平らな踏み面を持ったベルトコンベアに類似した方式で、主として人間用の輸送機器である。トラベーターとも呼ばれている。

大きな荷物を携帯して長距離を移動する必要がある空港内、大規模鉄道駅や大型施設の連絡通路などでの導入例が多い。
踏み面に段差がない事から、乗り降りが容易でつまずく心配も少なく、高齢者や子供など、足元の不確かな利用者にとって親切であり、今後とも各地に普及していくと思われる。

導入当初は大阪らしく、イラチ解消目的で、電車の乗り換え時間を短縮するために設けられ、エスカレーターとは違って歩道上を歩くのが本来の利用法。
従って動く歩道上で立ち止まっていたのでは、歩くより遅くなってしまうだけでなく、ラッシュアワー時では、かえって交通妨害となり、人混みの中で、追突事故にもなりかねない。

ところが、中には立ち止まって小休止する人も出てこようというもの、でもその場合、先を急ぐ歩行者の邪魔になるところから、アナウンスで立ち止まる人は右へ寄って、左側を空けるように呼びかけたと云う。
このことが、エスカレーターでも、大阪では左側を空けることに繋がったという説もある。



写真は、東京羽田空港内でのムービングウォーク。
関東地方では、東京駅や羽田空港の構内、新宿駅の西口から新都心方面への遊歩道、池袋サンシャインシティ、桜木町駅から横浜ランドマークタワーへ続く動く歩道、東京国際展示場(東京ビッグサイト)などに設置されている。

大阪でスタートした当初は、通勤・通学時のイラチ対策であった発明が、今日では大型施設内での移動目的に使われるようになろうとは、誰が夢見たであろうか?
海外でもムービングウォークの導入が始められ、大阪発の発明が、又グローバルスタンダードになるかも?
「オモロイやん!」


大阪人のマナー エスカレーターに見る東西文化差

2007年02月28日 | 文化
東京でエスカレーターに乗る度に、大阪は右側に立つのに、何故東京は左に立ち、右側を空けるのだろうかと疑問を感じる。
マナーの本には、「文明国ではエスカレーターは左を空ける」と明記していると云う。

ある説によると、大阪万博の時に、「世界の基準に合わせよう」と云うことで、左側を空けることに決まったとか。

従って大阪は文明国かと云うと、そうゆうわけではない。
というのは、世界では自動車は右側通行を採用しているため、追い越し車線に左を空ける習慣に習って、歩行者も左を空けるという理屈。



阪急梅田駅構内で、エスカレーター右立ち・左空けの歩行事情。
でも大阪の場合、日本の道路交通事情と合わないので、単に外国の真似をしただけということか? 日本人が良くやることではあるが・・・・・・。

むしろ東京の方が、自動車は左側通行・追越し車線は右を空けるという、国内の道路交通事情に従って、エスカレーターでも、追越し歩行者には右を空ける理屈に合っていることになるが・・・・・。

他にも諸説ある中で、「阪急電鉄」説があり、昭和42年、阪急梅田駅が現在地に移転した際に、長いエスカレーターをつけた。
そこで急ぐ人のために、左右どちらを空けるか問題となり、エスカレーターの使用状況を現場検証したところ、右手で手すりを持って立っている人が多く、「お急ぎの方のために左側をお空けください」とのアナウンスを流したのが始まりというもの。

人間は右利きが多く、利き手で手すりを持つ方が持ちやすいからという理屈は理解しやすいかも。人間は何故右利きが多いかの議論は、別の項に譲るとして、一言加えれば、生理学的に、心臓を守るために右利きの人は左寄りを歩くのが自然という理屈。
そういえば、神社の参道は自然と左側通行になっている?



写真は、東京の左立ち・右空けのエスカレーター交通事情。

ところで東京の「左立ち、右空け」の理由は、第二次大戦後、日本はそれまでの左側通行を改めさせられ、道路交通法により、「人は右側通行」と定められた。
規則を守る東京人は、与えられたルールを忠実に守っているとのことで、この点でも東西の気質の違いが見えて、なかなか面白い。

大阪でも「人は右側通行」を実行している人も見られ、エスカレーターの左空けの影響による左側通行と混合・混同して、地下街・繁華街の歩行者交通事情は左右まちまちで、今や収拾がつかないまでに各個人が好みに合わせている。
「あほな!」、「しょうもない!」

大阪人のマナー 公徳心・犯罪・防犯

2007年02月27日 | 文化
最新のデータによると、大阪の刑法犯の発生件数は、全国の約1割を占め、人口比の犯罪率は全国でトップ。
殺人、強盗、強姦などの凶悪犯罪が増加しているが、凶悪犯の発生件数では、東京の方が未だ多い。

大阪は街頭犯罪(引ったくり・路上強盗・オートバイ盗など)が多く、ひったくりは29年連続、オートバイ盗は22年連続、車上ねらいは12年連続の全国トップなど、犯罪都市の汚名を被せられている。

刑法犯少年の割合は、東京についで全国で2番目、成人を含めた刑法犯総検挙数・補導人数の34%を少年が占めていると云う。
といことで、少年による街頭犯罪が多発しているし、少年による凶悪犯罪も増加中。

少年・少女が被害を受ける犯罪も深刻で、少年の福祉を害する犯罪として顕著なのが「出会い系サイト」を利用した、売春や覚せい剤密売を強要されるケース。このケースの被害者は、全体の74%が女子で占められていると云う。
又性犯罪、児童虐待も深刻化しつつある。

少年犯罪が多い原因を分析したところ、大阪のおばちゃんの油断、 不法駐車・駐輪が多いことからも分かるように、大阪人は順法精神が弱い点が挙げられる。
ひったくりの場合、加害者の犯罪意識も低く、軽いノリでできるお手軽行為という意識がある。

それと大阪の街の構造が平坦で、犯行によく使われる自転車を走らせやすいことや、通りから横道に一歩入ると入り組んでいて、自転車で逃げやすいし、 横道は街灯も少なく暗がりが多い等々、防犯環境が未整備。
又町内のコミュニティー意識が薄れ、お互いが隣近所のことに無関心になっている点も挙げられている。







写真は上から、いろいろな最新の防犯グッズ及び防犯広告など。

犯罪が多発している割に、大阪人ほど防犯意識が薄く、対策を講じないのも不思議である。
それに比べて関東では防犯意識が高く、犯罪に遭う迄に何らかの対策を講じる傾向にあると云う。

先ずは為政者・警察署・地域住民などを巻き込んで、防犯意識や関心度合いを引き上げて、総がかりで防犯に取組んでいくモラル高揚が喫緊の課題だと思う。
「なんぎやな!」

大阪人のマナー 運転

2007年02月26日 | 文化
トラック・乗用車・二輪車・自転車、いずれも大阪では要注意オブジェで、自転車とて侮れない。特に近年、自転車に撥ねられる死傷事故が急増している折から、運転手のみならず、歩行者も自動車同様気をつけること。
私自身も数年前に、前方不注意で自転車に撥ねられ、入院沙汰の大怪我をしてしまった、痛い体験がある。

大阪だけの問題ではないが、新年になってから自動車死傷事故が急増している。昨年まで年々自動車事故が減少していたが、どうしたことか?
特に飲酒運転による死亡事故が際立つ。しかも地方自治体職員・先生・警察官・消防士など公人が仕掛けた事故が、連日のように報道されている。



写真は、運転マナーの危険・警告サイン。
特に大阪では、狭い路地であろうが、大通りだろうが、見通しが悪い交差点でも、停止線があろうがなかろうが、運転者それぞれが自身優先であるとの自己意識が強い。

譲り合う精神など甘えた根性は、ここでは通用しない。
一般社会常識云々より、「早いもん勝ち」の論理が優先する。

出会い頭に接触しようものなら、「われっ、何処見て走っとんねん!」と一カツを食らう。一旦停止を怠った本人でも、「先に言うた者勝ち」がまかり通っている。
赤信号から青に変わった途端、発進するのは素早いが、青から黄信号に変わっても停車するそぶりを見せず、ドンドン走って行く。
黄信号は「黄ぃつけて行けや!」とのことらしい。



写真は、大阪天神橋交差点で、終日雑踏した道路事情。

大阪人の運転マナーには、大阪人気質の「いらち」が濃厚に凝縮されている感じで、恐ろしい。
高速道路での運転は、余ほど自信がなければ、避けた方が得策?
いつまでも本線に入れない状況が続く覚悟が必要・・・・。「あほくさ!」

本線に入るポイントは、後方車を確認と同時に、一瞬の隙間を見つけて、ウィンカーと共にハンドルを切る素早いハンドル捌きがコツ!
でもこのコツを身につけるまでは、かなりの期間の習熟・体験が要るぞ!
「ええかげんにしいや!」

大阪人のマナー 路上駐車

2007年02月25日 | 文化
大阪人気質について、「イラチで緩速歩行恐怖症」・「権威嫌いの目立ちたがり」・「美学より実利」・「法より損得」などと陰口を叩かれているが、一般的な常識人とはチョット違うようだ。

大阪人はひょっとして「外国人?」などと揶揄される始末だが、これから数回にわたり、大阪人のマナーについて振り返り、一部の大阪人は、一般的常識人と比べ、どこが・どう違うのか観察・分析してみたい。



写真は、駐車違反を防止する、あれこれの工夫。

先ずは路上駐車についてみると、平成18年6月の道路交通法改正以前のデータであるが、大阪市内には平均して11.5万台の瞬時路上駐車があり、うち9.9万台は違反車両で、交通事故・交通渋滞の誘発原因となっていると云う。

違法駐車は豪快で、民家の前・商店の前・駅のそば・二重駐車・路肩駐車など何でもありで、渋滞が起ころうと、事故が起ころうと、邪魔だろうと、彼らには一切関係ないと見られても仕方ない。

「何でやねん、ちょっとそこまで行っただけやん!」、「おれだけちゃうやんけ!」と、駐車違反をあて散らかそうとする言動は、路上駐車が、長年の間に根付いてしまった、一種の大阪文化みたい。

大阪で生きていくためには、特に車を生活手段とするなら、上手な縦列駐車は必須科目で、これに合格しないと、駐車禁止地区への駐車は不可能なほど、駐車違反車が二重・三重と詰まっていると云う。

駐車禁止地区に止めるから悪い、なんていっていたら商売にならないし、むしろ捕まるほうが悪いという論法で、反省の弁など論外。
常連に路上駐車を止めさせるには、重い罰則しかない。



写真は、駐車違反取締り強化のポスター。
平成18年6月の道路交通法改正により、民間の駐車監視員の導入、駐車違反の取締り強化で5分以上の放置で即アウト、車の所有者が違反金を払うべし等々の取締り強化で、その効果が浸透してきた。

「迷惑駐車」が代名詞だった大阪市内の道路は、随分と姿を変え、御堂筋など幹線道路では違法駐車が、7割近くも減るなど違反車両が激減し、 今のところ取締り件数は例年並みにとどまっていると云う。

あれだけ強気だった路上駐車の常連も、諦めムードで、駐車マナーもグローバルスタンダードの仲間入りができるかどうか、もうしばらく見守ろう!
「しょうもない!」


大阪人の価値観 グローバルスタンダード?

2007年02月24日 | 文化
大阪人の強みの一つは、「オープンに、ストレートにモノを云い、自己主張が強く、且つ笑いを意識している」点で、グローバルな世界でサバイバルするのに必要な資質を持っていると云える。

通訳業を専門にしている大阪人の体験談によれば、日本語の標準化訛りの英語より、大阪弁訛りの英語の方がネイティブに伝わりやすいとか。
外国人が多少珍しくても、大阪人は、決して自分を変えて接することはしないで、 普段通り、日本人と接しているのと同じように話すことが、かえって外国人に喜ばれると云う。着飾るより、普段着が似合う大阪人のイメージ。

日本語ができるかどうか確認せず、最初から日本語で話すことが、本当の自分を相手にぶつけることになり、アメリカ人などもそういうところがあるので、意思疎通が出来やすいと云うが・・・・・・・・。

ところで、大阪人のアイディアマン振りは周知の事実だが、特に外国でも人気がある、カラオケや回転寿司も大阪発の発明で、他にもインスタントラーメン・スーパーマーケット・駅の自動改札など、省エネ・効率化をテーマにした、アイディアを得意としていると思う。



写真は、“グローバルスタンダード”をイメージしたサイン。
合理性・簡素化は大阪人の生活信条であり、今後とも外国に受けいれてもらい易い、発明・情報発信を大いに進めて、グローバルスタンダードを本物にして欲しいと願う。

一方で、「おれおれ詐欺」・「マルチ商法」など余り感心しない、知能犯的ハプニングも大阪発で、「狡賢い」大阪人気質が、悪い方に発揮されてしまった結果か?

合理性を売りにした大阪人気質で、昨今浮ばれない関西経済を元気付けてもらいたいですね。
「どうでっか!」