<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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このお盆休み中に桂枝雀生誕70年記念落語会に行ってきた。
場所は大阪のサンケイホール。
サンケイホールといえば桂米朝さんや生前の枝雀が独演会を開いていたホール。
ただし、昨年に建て替え工事が完了して昔のモッサイ、チッコイ、小汚いホールはもはやなく、そのイメージもない。
ただ、めちゃ狭くてイスの座り心地がイマイチなイメージだけは踏襲しての新しくなったホールでの開催となった。

私は昼の部を観賞しに訪れたのだが、出演者は紅雀、雀松、南光の順でゲストは落語に笑福亭松之助、トークショーにイーデス・ハンソンと桂ざこばに小米朝改め米團治。
いずれもなかなか面白く楽しい内容だった。
が、驚いたことがただひとつ。
いろいろと生の落語を聞かせていただいたが、一番面白かったのが、中入後に上映された生前の(もちろん死後はあり得ない)桂枝雀が演じた朝日放送の枝雀寄席「道具屋」のビデオだったことだ。

ビデオ上映終了後のトークショーで南光自身も「悔しいですけど」と呆れたように話していたが、今もなお、ビデオとなった枝雀が一番面白いのは、さすがだと実感、。
枝雀の落語がいかにユニークで突出して面白かったかがよく分かる落語会だった。

これで、もし今も死なずに生きていたら枝雀の芸はどんなものに発展していたことやら、と想像するとポロッと涙がこぼれそうになった。
ちょこっと困ったのであった。

それにしても枝雀の人気は今も衰えない。
私自身、枝雀は今も大好きな落語家だし、学生時代に録画した枝雀寄席のビデオテープもひどい画質ながらたまに見たりする。
とりわけ仕事が行き詰まったり、悔しいことや悲しいことがあったりすると枝雀の落語はいとしこいしや人生幸朗と生恵幸子の漫才と共に元気回復の特効薬だ。

最近のつまらない使い捨て芸人の一発芸を観ていて、こちらが恥ずかしくなくとも少なくない。
そういうテレビ衰退時代に、枝雀のような真のエンターテイメントを目にすると人類の歴史と文化度は時と共に発展するばかりではなく、著しく衰退することもあるのだと、痛烈に感じるのだ。

と、思っている今日この頃でござました。


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