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中国本国の法律の改正に端を発した香港市民の抵抗運動は第二の天安門に発展するのだろうか。
今、世界が注目しているのはその一点だ。
香港が中国に返還されたのが1997年。
天安門事件はその8年前に起こった。

19世紀の帝国主義の残滓であった植民地香港がイギリスから中国に返還されるとき、世界の流れは大きく変わっていた。
帝国主義は終焉し民主主義が主流を形成。
その中で共産主義という一党独裁主義の中国は香港を受け取るのに決してふさわしいとは言えない国家だった。
しかもあの天安門事件からたった8年しか経過していなかったその時、香港の返還は誰の目から見ても疑義のあることだった。
現在でもなおそうである。
だが国家間の約束は約束だ。
返還する方のイギリスも、受け取る方の中国もそれを当然のように実行した。
ただ一つだけ、向こう50年間は中国の共産主義体制を香港には持ち込まないという条件が認められた。

しかし今その約束は破られようとしている。

安田峰俊著「八九四六 天安門事件は再び起きるのか」を書店で見つけたのは香港のデモンストレーションが大きく報道されはじめた頃だった。
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本は天安門事件に関わったりあるいは遭遇した中国人たちの現在を取材したインタビュー集だ。
あのとき情熱的に活動した若者が中年あるいは初老になった今、当時をどう考えているかを知ることは香港の騒乱を客観的に見ることにつながるかもしれないし、中国の本質の一つをみることになるのではないかと思った。

たびたび1960年代終盤から70年代頭にかけての日本の学生運動と比較されることがある。真の民主主義を求めて活動する若者たちは、実はその本質を十分に理解しているとは言い難い無責任さが共通していると言えるかもしれない。
多くの同世代人たちが声高に叫び集い、そして運動することに同調する。
その一種お祭り騒ぎが30年の年月が経過した今、冷めた目で見られている。

「結局、民主主義を受け入れなくても中国は経済発展を遂げることができた」

多くの人々はそう現在の自分の国のことを話している。
天安門事件の活動の中心にいた人たちまでも、そのように評価しているところに日本の学生運動と似たような匂いを感じるのだ。

「もし同じような活動が起こったら、今の若者は同調しないだろう」

とも言う。
それは現在の中国が経済的に豊かとなり体制に反抗する理由を見つけるのが難しいという意味でもある。
そうなると、香港はどうなるのだろう。

香港が変換後の50年はその自由な体制が認められるという約束だったが、その約束が反故にされようとしている今、それに反旗を翻している香港市民は中国共産党政府に本当に贖うことができるのか。
そしてそれを中国の他の国民がどのような目で見ているのか。
もし第二の天安門事件が発生したとしても共産党体制のもと豊かになった多くの中国人は1989年6月4日を思い出して賛同するだろうか。

天安門事件が再び起こっても騒ぐのは外国ばかりではないだろうか。
中国は違う意味で大きく変わった。
そう思える天安門事件当事者の今なのであった。




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