<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



今週新聞を読んでいて、今年は任天堂のファミコンが発売されて40周年ということを知った。
正直驚いた。
自分自身が歳食ってしまったことに驚いたのだ。

私は1982年の11月頃から玩具店でアルバイトをしていた。
それは大学2年生の秋の終わり。
その頃、芸大の学生だった私は授業の実習で製作する作品のフィルム代や現像代、その他機材調達費など稼がねばならなかった。
当時は家庭用ビデオも十分に普及されておらず「動画」といえば「8mmフィルム」で撮影するものと相場が決まっていた。
今のように「スマホで撮影から編集、公開まで」というような世界はSFの世界であって、撮影はフィルムを使ったムービーカメラ。
編集する前に現像の工程があり、編集はエディターとカッターと接着テープ。
音は映写機で上映しながらアテレコをする。
音声はもちろんモノーラルのアナログ音声だ。
さらに公開するには、実習作品の発表会でない限り、どこか上映できる場所と観客を探すという手間が必要なのでった。
このため1本の作品を作るにも相当のお金が必要だった。
フィルム1本約1000円。
現像代も約1000円。
それで撮影できる時間は2分半。
編集してNGや要らない部分をカットしたら1分残ればいいほう、というようなハイコストな世界だった。
大学の授業料は有り難くも畏くも親が出してくれて感謝感謝なのだが、その他の費用まで面倒を見てもらうことは「アホぼん」の私でも大いに憚られるものなのだった。

この製作費を稼ぐためにアルバイトは欠かせない義務なのであった。
2回生のこの頃。
アルバイト情報誌をチェックしまくったものの、見つけたのが某駅前商店街にあった玩具店のバイト募集の貼り紙なのであった。

バイト代は時給500円。
当時としては高いこともなく安いこともないバイト代だった。
マクドナルドの時給が470円だったように記憶するのでマクドよりは良い時給であったという印象がある。
雇ってくれた玩具店はそこそこ大きな店で、ファンシー文具や教育玩具、乳児幼児用品から超合金、リカちゃん、バービー人形、ボードゲームにレゴ、ジグゾーパズル、プラモデルなど、玩具と呼べるものはほとんど扱っているお店だった。

1982年11月に働き始め、12月には最初のクリスマスシーズンを迎えた。
続いて1983年のお正月を迎えた。
年末年始といシーズンは玩具店にとって儲け時。
クリスマスには当然のことながらクリスマスツリーを始めとするクリスマス用品からプレゼントの数々。
とりわけラジコンやリカちゃんの豪華セットなど高価なものが売れる。
これに対してお正月は人生ゲームに代表されるボードゲームやジグゾーパズルがよく売れる。
暇つぶし、時間つぶしのアイテムなのか。
休まずに働けばいいのに、と思ってしまうのは僻み根性でもある。

この1982年から83年にかけての年末年始シーズンの人気商品は「ゲームウォッチ」だった。

つづく


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )