<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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もうかなり以前になるけれども、FM大阪で放送されていたSaturday Watting Bar アバンティにゲスト出演していた篠山紀信が、
「世の中の写真マニアには『カメラの好きなやつ』と『写真を写すことがすきなやつ』の2種類がいるんだよね。」
と言っていたことがあった。

私の卒業した大学は芸大で専攻は映像だったから、どちらかというとカメラが好きというよりも写すことのほうが大好きだった。
今も好きだ。
写した結果で「お~!」と言われることを期待しているので、どうしても凝るというのが写すことの楽しみだ。
しかし、「お~!」という写真を写すためには当時はそこそこちゃんとしたカメラを買わなければならず、結局ローンを組んでムービーカメラを購入し、夏休みのアルバイトで稼いだ金でミノルタの一眼レフを購入した。
学生の私にとっては結構な負担で、とりわけムービーカメラは8mmフィルムのカメラにも関わらず30万円もする代物で、今だったら絶対にカミさんが「買ってもいいよ」と言ってくれないプロ仕様のカメラなのであった。
富士フィルムのZC1000という機種で、30年経った今でも中古が十万円以上するカメラなのだ。

ミノルタの一眼レフは、当時付き合いしていたカメラ店にミノルタの技術者が通勤の帰りにやってくるような店だったので、自然と私はミノルタファンになってミノルタのX700という、当時、宮崎美子が木陰でビキニ姿になってピカピカ光って話題になったCMのカメラだった。
確かヨーロピアンカメラオブザイヤーという賞を受賞したにも関わらず、学生にもなんとか買えるカメラだったので買い求めたように記憶する。

だから写すのも好きだが、カメラも好きであることは当然だ。
でも、今に至るまで資金の関係でカメラをコレクションするほどにはなっておらず、一年か二年に一度カメラを買うのがやっとで、それも消耗品扱いでコレクションではないのだ。

ミノルタのカメラはα9iという機種を購入したのを最後に、デジタル時代に突入し、ついにミノルタのデジタルカメラを買うことはなかった。
ミノルタのデジカメを買う前に、ミノルタがカメラを作るのをやめてしまったのだ。
正直かなりのショックなのであった。

「ミノルタカメラ、カメラ事業をソニーに売却」

あのニュースは今も思い出しても非常に悲しい。

で、アナログカメラ的思考であった私には家電のソニーが作るカメラなんぞ買う気にならず、ニコンに鞍替えし過ごしてきたのであった。
キャノンに鞍替えしなかったのは、大学時代の指導教官の先生がニコンファンだったからだ。
またそれに加えて、私はキャノン製品とどうも相性が合わないのでニコン党になった。
キャノンを買うと不思議に、購入した製品が13ヶ月で故障するということが連続したのだ。

そうこうしてニコンを使っているうちに、昨年、ついにソニーのデジタル一眼を買ってしまった。
芸大出なのに理系の仕事を、しかも企画系の仕事をしている私は職務上、出張が多い。だからはニコンのどでかい一眼レフを毎回毎回持ち歩くのに辟易としていて、雑誌の評価や現物を見て、ソニーのミラーレス一眼レフを購入したのであった。

αシリーズへの回帰なのであった。

さっそく使ってみると、なかなか素晴らしい映像が撮影できることがわかった。
他社のミラーレスの撮像素子がコンデジレベルなのに対して、ソニーはAPS-C。
一般的なデジタル一眼と全く同じ。
静止画だけではなく、動画はフルハイビジョンの60P。
もう文句なし。
それでいてサイズはコンデジ並なので、小さくて重宝。
私は自分の撮影した写真で提案書からカタログ、広告原稿まで、幅広く使用するのでショーもないカメラでは困るので「これはこれは」と非常に便利なのであった。

ところが、祭の日。
私はここ毎年、だんじり祭の撮影をある町の人から頼まれてパシパシ撮っているのだが、ミラーレスカメラには重大な問題があることが祭の時に判明したのであった。

ファインダーのないミラーレスでは、動きの早い被写体にはついていけない。さらに被写体が狙えない。

ということなのであった。
しかも、秋空のもと太陽の光が燦々と降り注ぐ場所でも、ファインダーのないミラーレスカメラは周囲の光で液晶が微かにしか見えず、それこそ役立たずになることもわかったのであった。

結局ニコンのカメラを担いて撮影したのだったが、その時ほど、プロのニコン、セミプロまでのソニー、の現実を感じたことはなかった。

つづく

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